http://www.asyura2.com/15/senkyo194/msg/840.html
Tweet |
「辺野古移設しかない」(日本政府)
そりゃそうだわなw これで堂々と、「沖縄の民意」は完全に無視出来るのだから!しかも、永遠に!
辺野古移設の核心は、沖合いに建設される基地施設は「国有化」される、というところに在る。
「国有」なのだから、当然、沖縄には関係ないー口出しも許さない。
沖縄に在って、沖縄には一指も触れさせないー発言権も無いーその意味で、「尖閣国有化」と本質は全く同じである。
では、「尖閣」にせよ基地にせよ、何故「国有化」するのか?
逆に、もしも「国有化」しなかった場合ー要するに今まで通りーを考えてみればいい。
米軍が事故ったり、米兵が何か事件を起こしたりする度に、「沖縄の民意」を宥め、賺し、「反基地感情」や「反米意識」を押さえ込むことに腐心しなければならない。 −元よりそういった事は日本の本土においても基本的には変わりはないのだが、質的にも量的にも、深刻さの度合いが違う、言わば活火山と休火山(実態から言えば死火山か?)の違い、或いはもっと解り易く言うなら、3.11以後のフクシマと他との違いと言えばいいのかー真実を身に沁みて知らさているか否か?
勿論、それだけではないーそれが「国有化しかない」決定的な理由ではないだろう。
では何か?
琉球独立である。
もちろん、今の段階では万に一つの可能性も考えられないかも知れないが、実際に独立へと動かなくても、米軍基地がそのような脆弱な政治的基盤の上に在るという事が知れ渡ったたら、それだけでダメージを蒙るであろう。
考えてみるがいい、如何に見掛けは強大でガッシリしている様に見えたとしても、僅か震度1とか2で倒壊するかも知れぬという思いを人に抱かせるとしたら、誰もそこに住もうとは思わないだろうし、資産価値も無くなるだろう。 また、どのように強力な独裁者であったとしても、あと僅かで死ぬと分かったら人心は離れるだろう。 基地とて同じである。 琉球独立によって「極東最大の米軍基地」が無くなるかも?となったらー
他の何処よりも地政学的に重要な沖縄を失うことは、極東における軍事的プレゼンスの枢要な部分を無くすことであり、そうした事態を想起させるということ自体、米軍基地は、張子の虎ならぬ、東シナ海上の蜃気楼の如き存在と映じるであろう。
最悪、キューバのグァンタナモ米軍基地の様に、例え沖縄が独立したとしても、米軍が居続けることを担保しなければならないのである。
ー誰にとって?
何よりもアメリカ(軍)にとって、そして虎(米)の威を借るキツネ(霞ヶ関官僚)にとって。
また、この意味で、「尖閣国有化」も全く同じことが分かるだろう。
もしも沖縄が独立したならば、その瞬間「尖閣問題」は消失するーつまり、日中間の「領土問題」は消失するのである。 当然であろう。 沖縄県に属する「尖閣」は、必然的に、独立した沖縄に編入され、「尖閣」を巡る「領土問題」とは沖縄ーその時は琉球共和国となっているだろうがーと中国の問題になるのだから。
また、もちろん、独立が現実の問題として政治日程に上がらなくとも、独立の可能性が少しでも国民の意識に上ることがあったら、その時国民は気づくかも知れない。 ひょっとしたら、沖縄がそうである様に、「尖閣」も「日本の領土」でなくなるーかも知れない、と。 今でさえ多くの日本人が沖縄の基地問題を自分達の問題として考えていないのだから、その時、「尖閣は自分達のもの」とする意識は急速に薄れ、意識の片隅に追いやられて行くだろう。
それでは困るのである。
ー誰にとって?
何よりもアメリカ(軍)にとって、そして虎(米)の威を借るキツネ(霞ヶ関官僚)にとって。
周辺国全てと係争していることで、又その経緯を見れば更にハッキリとする様に、「領土問題」とは、アメリカが、日本がアメリカ離れしないように、仕掛けた機雷なのである。 ーと同時に、相争わせることで、調停者として、バランサー役として、極東における米(軍)の存在理由及び存在価値は飛躍的に高まるー何れをとっても、分割支配の為にのみある、ということだ。 −他方霞ヶ関の官僚にとって、それは与り知らぬことであり、ただ自分達にとっては<張子の虎>であっては困るー本物の虎であって欲しいー威を借るキツネの本領ではあろう。
かくして、「辺野古移設」の本質が炙り出されて来たであろう。
何が何でも(例えその実質は”レガシィ”としても)太平洋or極東の<要石>を保持しておきたい米軍と、それに利害の一致を求める植民地型官僚による「独立」への予防的処置である。
歴史の節目に噴出して来る「琉球独立論」だが、今回は、質的にも量的にも、従来とは大きく異なる潜勢力を秘めていると彼等は判断しているのだろう。
何故なら、その動きは、言うならば、同時代的な普遍性を持っているからである。
昨年、英国が「スコットランド独立」を巡って大いに揉めたが、同じ様な動きは世界的に遍在している。 それが「選挙」という合法的な形を取るのか、「テロ」とか「内戦」という非合法的な形を取るのか?−ソフトランディングかハードランディングか?ーの違いだけ。 ネトバカどもに言ってやるが、琉球独立は「チベット独立」や「ウィグル独立」と、その本質において変わらない。 近代国家=国民国家が緩やかに解体に向かう時代において、通有の問題として、現れ出ているーということだ。 言わば、近代国家を強引に作ったツケがそういう形で現れているのである。
これが、歴史の横軸とするなら、歴史の縦軸としてあるのが”琉球処分”である。
琉球王国を強制解体することに始まり(1872)、日清戦争の結果、中国から最終的に切り離して(1895)、日本支配を確定したー第一次琉球処分
米軍による大日本帝国解体=占領統治に始まり(1945)、太平洋戦争の結果、日本から切り離して(1952)、アメリカ支配が確定したー第二次琉球処分
日本への復帰ー「核抜き、本土並み」とされたものの、言葉とは裏腹、沖縄への比重が格段に進行し、却ってそれは本土における米軍支配の合理化、つまりその大半を沖縄に押し付けることによって、日本人が、日常生活において、米軍存在を意識しないで済む仕組み、即ち「日米安保体制」=占領支配体制の透明化の犠牲にされたー第三次琉球処分
このように、沖縄から見た歴史の縦軸とは、沖縄の自己決定権が毀損され続けた処にあり、日本に強制的に編入されて以来、一度として、自分達の事を自分で決めることが出来なかったーのみならず、常に、本土の為に、犠牲を強いられて来たーということに在るのである。
そして、今度の「辺野古移設」=国有化である。 私がこれを第四次琉球処分と見做すのは、自己決定権の毀損から更に進んで、沖縄の土地を永久に剥奪する−これを沖縄から見れば、今回、遂に、自分達の土地を、永久に奪い取られるということを意味するのだ。
即ちこれは、沖縄に犠牲を永久に押し付けるという、本土側の意志の表れと、沖縄の人達には映っているのである。
その上、今回、ゴテイネイにも、「辺野古地区に予算を直接振り向ける」という。 市や県を飛び越えて、国が直接地域に差配するーこれは地方自治=住民自治への公然たる介入であり、沖縄の自己決定権を破壊する行為であることは明白であろう。
「どうせ、カネ目でしょ?」 フクシマに対してイシハラjrが言い放った様に、札束で引っ叩けば何とかなるとでも考えているのかー本土側で次々と「原発再稼動」へ動いている様に、各個撃破で、今の内だったら、早期に芽が摘み取れるとでも考えているのかも知れない。
だが、本土と同じものと考えているのなら誤りである。 「お金じゃない」というより、琉球人(沖縄人というよりもこちらだろう)としての誇りや尊厳等、お金に還元できない所から吹き出てきた<欲求>だからである。 私は、この動きは、当事者の考えている以上に大きな問題であり、深い所から、我々に突付けたものだと思う。
アベ等の動きへのリアクションとして出て来ている、と考えられるからである。 もちろん「戦争ハンターイ」とかいったレベルのものではない。
「安保関連法」や「積極的平和主義」に執念を燃やすアベは「日本を取り戻す」としているが、沖縄にしてみれば、「沖縄を(琉球に)取り戻す」ということである。
即ち、現在の日本を「戦後レジーム」(ポツダム体制)でスポイルされてきたと認定し、そこからの脱却を目指すというのに対して、その日本で一貫してスポイルされてきた沖縄がそこからの脱却を目指す、ということなのだ。 しかも、矛盾撞着、支離滅裂なアベに対して、沖縄は確固としている。
私はこの問題について考える度に、70年前の沖縄戦最後の日に、太田実海軍中将が日本に向けて打った最後の電報を思い浮かべる。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
沖縄の人にすれば、我々に対する「特別ノ御高配」がこれなのか!ーということだろう。
この沖縄からの問い掛けに、正面から応えることが出来る者が本土にどれだけ居るのか?−翁長知事を非難する者は、須く、この問いに答えるべきであろう。
ー独り鳩山由紀夫氏を除いて、そうして鳩山氏への処遇及び多くの人の態度を見て、改めて日本にとっての沖縄の位置及び意味を感じ取ったに違いない。
沖縄からすれば、これまで、真の意味で、終ぞ日本は沖縄を受け入れたことはなく、認めてくれたこともない、ということを。
ここまで来れば、この沖縄の<欲求>の正体が分かるだろう。
即ちこれは「承認を巡る闘争」なのであり、日本に向けられた「承認要求」なのである。
アベのアメリカに向けた「承認欲求」が、沖縄において、反転して現れ出ている、ということなのだ。
勘違いしないように。 アベ等の動きと沖縄の動きは同じものと言っているのではなく、ベクトルは逆、沖縄を犠牲にすることで成り立つアベ等の「要求」に対しての「異議申し立て」なのである。 アベとは何者か?何故霞ヶ関は清和会政権にかくも従順なのか?を理会するには、明治以来のこの国を支配している権力のDNAということを知らなければならないが、それは下記スレを参照されたい。
近代政治史とは<統治>官僚と<代表>政治家の対立史
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html
とまれ、明治維新以来この国のヘゲモニーを握って来た薩長=維新主体勢力が、この150年を一繋がりのものとして是とし、それを、日本人は無論、欧米(特にアメリカ)に認めてもらうということを根本動機にしているとするならば、その維新主体勢力によって国を奪われた琉球人が、真逆の立場から、この150年を俎上に載せようということなのである。
そうしてそれは、もしも日本に否認されたなら次の段階へ行かざるを得ないーそのような性質を帯びたものなのである。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK194掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。