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体罰を認めた馳浩文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、反省」は一切なく逆に体罰を擁護!(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo194/msg/690.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 10 月 13 日 20:45:05: igsppGRN/E9PQ
 

             13日に開かれた馳浩文部科学大臣による記者会見の様子(YouTube文部科学省公式チャンネル「mextchannel」より)


体罰を認めた馳浩文科相が会見でついた大ウソ…義家副大臣との対談に「自戒、反省」は一切なく逆に体罰を擁護!
http://lite-ra.com/2015/10/post-1583.html
2015.10.13. リテラ


 新たに文部科学相に就任した馳浩氏が、本日10月13日の記者会見で、教師時代に生徒への体罰をしていたことを認めた。

 ことの発端は、リテラが今月9日に「生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談」という記事を公開したことだ。

 これは、保守系月刊論壇誌「正論」(産経新聞社)2008年6月号にて、馳新文科相と、おなじく第三次安倍改造内閣で文科副大臣に着任した義家弘介氏の対談記事のなかで、ふたりが「一週間に一本くらいは竹刀が折れていましたよ」(馳氏)、「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった」(義家氏)などと、“体罰自慢”を披露していたことを指摘したもの。


 今日の会見で馳文科相は、「部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」「授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた」などと事実を認め、釈明した。

 だが、馳文科相は「体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した」と言っているが、なんど問題の対談を読み返しても、記事のどこにも「自戒」「反省」「謝罪」の文言はひとつも見当たらず、むしろ全体のトーンは明らかに体罰を容認するものだった。

 もしかすると馳文科相は「一部を取り上げられただけなんですぅ」と言いたいのかもしれない。であれば、本サイトとしても改めて、くだんの対談記事を検証する必要があるだろう。

 まず、問題発言があったのは、全体の中頃、「体当たりの生徒指導〜身体で教えるということ」という小見出しがつけられている箇所。文脈としては、その前のパートで義家氏が、「『型』を軽視し、個性を尊重すると言ってきたのが戦後教育」とし「結局、没個性な大衆が生まれている」と、現代の学校教育を批判した流れを受けたものだ。保守政治家に分類される義家氏らからすれば、個人の自由を尊重する教育方針は集団や組織、あるいは国家の解体に結びつくと考えるみたいなので、こうした意見自体は別段驚くことではない。

 問題はその後である。進行役から「型の話が出ました。ルールを教えるという意味での生徒指導にはどう臨まれましたか」と振られたふたりは、まず義家氏から、「生徒指導で大切なこと。これはいったんひいた線は絶対死守することに尽きる」としたうえで、過去の体罰経験を開陳し始める。

「困るのは高校の場合、生徒が教師を殴るとほぼ一〇〇%退学となることです。だから生徒が殴り掛かってくるときに『受け止めてあげるよ』なんて甘いことは言ってはいけない。それではそのまま殴らせてしまい、結局その生徒は退学です。そうならないためにどうするか。これはこちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しいと僕は思います。とにかく私には毎日体当たりするしかなかった。それは生徒を守らないといけないからですよ。そのために筋トレは一日も欠かせませんでした。指導方法を云々なんて余裕は全然なかったのです」

 ようするに、「生徒を退学にさせないため」などといって「こちらから掴みかかってでも倒してしまうのが正しい」と主張しているのだが、当然ながら、こうした義家教諭のやりかたは学校で問題視された。なかでも「いじめの指導で放課後四時間教室から出なかった時は他の教職員がハラハラしながら私の教室の外で見守っていて後で散々言われました」という“生徒監禁エピソード”を持ち出して、こう持論を打つ。

「口で『いじめはダメですよ』と説くのは誰でもできる。でもこれはそんな次元で済ましてはダメで態度で示す以外ない。教室の用具はボコボコになり、最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓ったので終わりにしましたけど、これは仲間内の教職員から散々に言われました」

 つまり、義家氏は、いじめをした生徒を放課後の教室で4時間監禁したあげく、「教室の用具はボコボコに」というのである。本当に「ボコボコに」なったのは教室の用具だけか?と聞いてみたいものだが、この義家氏の発言の直後、馳氏はこう返しているのだ。

「私は朝七時前には必ず学校に行き、職員会議が始まるまでの時間を校門に立って口うるさくやりました。爪、スカートの丈、髪型など。私の場合は終始怒鳴らなくても済んだんですね。というのは私が教員になってすぐに五輪の代表に選ばれましたし、私の身体を見れば生徒は『馳は怒らせると怖い』と分かるのです。生徒は逆らったら怖いとビビっているから、むしろ『怒らせると怖いけれども、そうでなければ普通に話せる』と思わせるよう、授業の始まりにいろいろな話をして気をつかっていましたね」

 おそらくこの部分が、馳文科相が会見で「教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げ『なんだこれは』と、こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思う。しかし、それはダメだ。特に体の大きい声のデカいこのような私がしたことの謝罪と反省を踏まえて申し上げたと記憶している」と釈明した部分なのだろう。問題はこれに続く“竹刀が折れるほどの体罰”だ。

「では殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない。私は高校のレスリング部の監督を務め、石川県で強化委員会をやってましたけど、私の高校はそう強いチームではなかったのです。ですから一週間に一本ぐらいは竹刀が折れていましたよ。これは理由はハッキリしている。短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない。私は、できるのに、できないふりをする生徒には一貫して厳しく臨んだのです」

 ようするに、弱小レスリング部を強くするために、「一週間に一本ぐらいは竹刀が折れ」るほどの強烈なしごき・体罰指導を行ったというのである。では当時、この馳氏の“教育”が評価されたのかといえば、どうやらそうではないらしい。馳氏はこう続ける。

「周囲からはまずいんじゃないかという声も聞こえてきましたが、生徒の親にも積極的に自分の考えを分かってもらうよう努めましたね」

 つまるところ、こういうことではないのか。レスリング部生徒の異常な様子、あるいは身体にいくつも刻まれた竹刀での殴打の痕を見た保護者が、学校側に連絡し、事情を聞いた。しかし、当の馳氏は「短期間でチームをまとめ、強くするには基礎体力をつける以外にない」などと保護者に言って、その後もその“教育方針”を曲げなかった──。

 真相はその生徒らが名乗り出ないかぎり闇の中だが、少なくとも、馳文科相が会見で言うように「迷惑をかけたことを反省をしているとの意味で、発言した」という調子はつゆほども確認できない。これをどうやったら「自戒・反省・謝罪を込めて発言した」というふうに言えるのか、大いに疑問である。

 いや、そもそも、この対談のトーンは一貫して“体罰は教育として肯定される”という流れなのだ。実際、前述の馳氏の発言の後に、義家氏がこんなことを言い出している。

「この機会に申し上げますが、私は正直、体罰という言葉の定義にいつも違和感を抱いてしまうのです。罰を加えるうえで、生徒への悪意、見下した思いに基づくものだったり、生徒を自分の感情のはけ口にするような力の行使は、それは教育ではない。調教か、それですらないと思うのです。許されないことはいうまでもありません。ただ、では教師が力を使えば、全て教育にはなりえないか、教育として否定されてしまうのかといえば、それも違う。敢えて言えば身体を通して教える場面というのはあり得ると思うのです」

 もはや、コメントするまでもない。義家氏は明らかに、“体罰は教育として認められる”という自身の考えを明言しているのだ。体罰が“教育になりえる”かどうかは、教師側が決めることではない。義家氏がどういうつもりで体罰を加えたとて、暴力は暴力である。前述の生徒監禁事件によって「最後は加害生徒が泣いて詫びながら二度といじめないことを誓った」のは、本当に教育の成果だと思っているのか。ただ、犯罪的監禁に生徒が屈しただけではないのか。だとしたら、それは教育ではない。“洗脳”である。

 では、対する馳氏はどうだったのか。もし「自戒・反省・謝罪を込めて」というのならば、どのような理由があっても体罰を認めてはならないはず。しかし、この義家氏の体罰容認発言にたいする馳氏の答えはこうだった。

「さきほど私の指導について周囲からまずいんじゃないかという声が聞こえてきたといいましたね。先生同士の間で齟齬があったり、疑義や互いに批判すること、『こんなやり方は間違っているのではないか』という思いを抱くことは私も含めて珍しいことではないのです。ただ一点、生徒の前で他の先生の悪口を言わないこと。これは気をつけましたよ」

 これ以上引用する必要はないだろう。ようするに、義家氏のあけっぴろげな“体罰には教育的効果があるのでOK”という暴論を見事に“スルー”しているのである。その後、対談は「正常な教育現場をおかしくする勢力」(馳氏)つまり、おきまりの戦後民主主義教育批判へとシフトし、体罰の話題は消えるのだが、やはり、こうして詳細に読んでいっても、当時の馳氏が生徒への強烈な暴力を反省している様子は感じられない。義家氏にいたっては、体罰はさも当然という空気すら漂わせていた。

 読者もお分かりいただけただろう。こんなふたりが、文科省のトップに居座っているのだから、本当に恐ろしい限りである。しかし、気になるのは、マスコミは会見での馳氏の言い分を垂れ流すだけで、一切厳しい追及を見せようとしないことだ。しかも、義家副大臣はもっとひどい体罰容認発言をしているのに、今のところ追及の姿勢を見せていない。

 この問題を放置し続けることは、体罰を消極的に容認するだけでなく、この国の教育全体を暴力支配に委ねることを意味する。馳氏、義家氏のふたりを、そして彼らを任命した安倍首相の責任を、厳しく追及していかねばならないだろう。

(宮島みつや)


 

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コメント
 
1. 2015年10月13日 20:59:29 : hfHn3ED8v6
馳文科相、教員時代に体罰「私が未熟だった」
2015年10月13日12時18分 朝日新聞

■馳浩文科相

 (過去の月刊誌の対談で体罰経験を語ったことについて聞かれ)体罰は絶対反対です。記事全体を読めばおわかりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した。

 教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げて「なんだこれは」と、こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思う。しかし、それはダメだ。特に体の大きい声のデカいこのような私がしたことの謝罪と反省を踏まえて申し上げたと記憶している。部活動においても本当は体罰は絶対してはいけないのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省をしているとの意味で、発言したと記憶している。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい。

 体罰はあってはならないし、してはいけない。形を変えてもだ。たとえばこう(「ドンッ」と書類で机をたたく)やって教壇で教員が感情にまかせてやるだけで、児童・生徒は萎縮して本来の自らの気持ちを先生に伝えようという気持ちすらなくしてしまう。星稜高校の教員時代も、授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた。(記者会見で)

http://www.asahi.com/articles/ASHBF3VQ5HBFUTFK005.html


2. 2015年10月13日 21:00:21 : hfHn3ED8v6
馳文科相:30年前に竹刀で体罰「高校生に謝罪したい」
毎日新聞 2015年10月13日 19時07分(最終更新 10月13日 20時30分)

 ◇高校の教員時のことを告白 「体罰は絶対反対」と

 馳浩文部科学相は13日の閣議後の記者会見で、高校の教員だった約30年前に生徒に体罰をしていたことを明らかにし「あの時に私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」と述べた。その上で「体罰は絶対反対。私が未熟であったばかりに迷惑をかけた」と話し、自戒を込めながら体罰を否定する姿勢を強調した。

 馳文科相は1984年4月から85年8月まで石川県の私立星稜高校で国語を担当し、レスリング部監督を務めた。2008年に雑誌の対談で教員時代の体罰経験を告白していたことについて、この日の会見で質問された。

 馳文科相は会見中に机をたたき「教壇で教員がこうやってたたくだけで、感情にまかせてやるだけで、高校生、特に小中学生は萎縮して、気持ちを先生に伝えようという気すらなくなってしまう」と体罰の問題点を説明。「『ねえ先生』と話がしたくなるような教職員にならなければいけない」と訴えた。【三木陽介】

http://mainichi.jp/select/news/20151014k0000m040037000c.html


3. 2015年10月13日 21:08:37 : YxpFguEt7k
「身体を通して教える場面というのはあり得ると思うのです」

ないですね。バカ馳氏は死ぬまで反省しつづけるように。


4. 2015年10月13日 21:41:54 : qR018y1gQY
『“半グレコンビ”が教育行政?ブラックユーモアかい?』

“デモシカ”教員上がりに、文部科学行政をリード出来るわけがないじゃん。
だから<ヘドロ姦猟>にとってはウハウハ…「国民」にとっては大惨事…日本終末・存立危機事態に突入した!
一刻も早く、<大惨事・パンパース政権>を引きずり下ろさなければならない!


5. 2015年10月13日 22:01:42 : uwHCXlkXLY
2015/10/13 「私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」馳浩文科大臣、会見で教員時代の体罰認め謝罪 ユネスコ記憶遺産「南京大虐殺資料」登録については「非常に残念」
2015.10.13 IWJ Independent Web Journal


 馳浩文科大臣は議員時代の2008年、産経新聞社の論壇誌『正論』6月号で、現文科副大臣の義家弘介氏と対談。「殴ったことがなかったかと言えば、必ずしもそういうわけでもない」「1週間に1本ぐらいは竹刀が折れていました」などと述べた。教員時代の体罰を容認しているかのようなこの発言に、今、ネットを中心に問題視する声があがっている。


生徒を4時間監禁、竹刀が折れるまで…新文科相の馳浩と副大臣の義家弘介が教師時代の体罰自慢対談(リテラ 2015.10.09)
http://lite-ra.com/2015/10/post-1569.html

 IWJは2015年10月13日、閣議後の定例会見でこの件について質問。体罰は少々なら容認されると考えているのか、体罰の定義は難しいと考えるのか、そして、この『正論』での発言は「体罰の肯定発言」なのかを聞いた。

 質問直後、官僚からメモを受け取った馳大臣は「体罰は絶対反対です。(『正論』の)記事全体を読めばお分かりいただけると思うが自戒・反省・謝罪を込めて発言した」と述べたうえで、「私が未熟だった」「あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい」と教員時代の体罰を認め、謝罪した。

 「教員時代、朝の登校時に生徒のカバンを見て、中に何も入っていない生徒のカバンを取り上げて『なんだこれは!』と…こういったことがなかったとは言わない。やられた高校生がよく覚えていると思います。しかし、それは駄目だ。

 特に体の大きい、声のでかい私がそういうことをしてはいけない、という謝罪と反省を踏まえて(『正論』では)申し上げたと記憶しています。部活動においても、本当は体罰は絶対してはいけないと思うのだが、私が未熟だったばかりに高校生の諸君に迷惑をかけたことを反省しているとの意味で、発言したと記憶しています。改めて、あの時、私に竹刀で殴られた高校生たちに謝罪したい。

 体罰はあってはならないし、してはいけない。形を変えても。たとえばこうやってね(「ドンッ」と机をたたき、続いて背後の壁をたたく)教壇で、教員が感情にまかせてやるだけで、児童、生徒は萎縮して本来の、自らの気持ちを先生に伝えようという気持ちすらなくしてしまう。これは改めて反省し、自戒したい。生徒が話をしたくなる教職員にならなければならないと、あらためて思う。

 星稜高校の教員時代も、授業においては常に気をつけていたつもりだが、部活動でそういうことがあったのは事実であり、改めて申し上げた」

151013 馳浩・文部科学大臣 定例会見
https://www.youtube.com/watch?v=ntKAS_31vmo
・日時 2015年10月13日(火)
・場所 文科省(東京都千代田区)

■ユネスコ「南京大虐殺資料」登録は「公平性」に欠ける!?

 会見では他に、ユネスコの世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺の資料」が登録されたことについて、質問が集中した。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などの歴史認識において、安倍政権はこれまで、数々の事実誤認や一方的な主張を繰り返している。しかしこの件について馳大臣は、ユネスコ側に「中立」や「公平性」、「双方の意見を聞く姿勢」が足りていない、という主張を展開した。

 産経新聞がまず、「この資料のなかには、事実関係がはっきりしていないものもあるとされているが」「記憶遺産の政治利用との声もあがっているが」などと批判をまじえながら質問すると、馳大臣は開口一番、「非常に残念」と強調した。

 「ユネスコの本来の役割は、政治的対立を煽るのではなくて、協調していくもの。双方で事実に対する認識が違う場合は、双方の事実に基づく意見や申し入れを、事務局が公平で中立的な立場で対処することが重要です。わが国の申し入れが十分に聞かれずに登録されたことは非常に残念。この件は、外務省、最終的には菅官房長官と足並みをそろえてあたっていく」

 産経新聞が続けて、「国際機関のお墨付き」が与えられたことに教育現場への影響はあるかを聞くと、馳大臣は「教育現場で扱うことは、慎重にならざるを得ない」と述べ、国際機関であるユネスコの判断に対し、日本が独自に対抗していく姿勢を見せた。

 「事実確認について、お互いの主張が齟齬がある場合は、レフェリーである事務局が双方の意見を聞き、事実を確認したうえで対処するのが当然だが、残念ながら、そのような対応ではなかった、と聞いている。事務局対応について指摘をしている最中です。これが解決されるまで、登録されたということについて、教育現場で扱うことは、慎重にならざるを得ない」

■「国民が納得できるような手続きの透明性」がない!?…呆れたブーメラン発言連発!結局は拠出金減額という圧力に賛同

 菅官房長官や二階俊博総務会長は、この件を受け、ユネスコへの拠出金の「見直し」や「減額」に言及。安倍政権の意に沿わない決定を加えたユネスコに対し、露骨に圧力を加える姿勢を示した。

 朝日新聞から、こうした政府の姿勢に賛同するのかを問われた馳大臣は、「外務省、最終的には菅(義偉)官房長官と足並みをそろえたい」と述べた。

 「中国側が主張する事実関係と、わが国が当事者として把握している事実関係とですり合せがなされてから登録されるべきだ。わが国として納得できる…、拠出金は、誰のお金なんですか?
国民の税金と考えれば、国民のみなさんが納得できるような手続きの透明性をふまえて対処すべきで、外務省、最終的には菅官房長官と足並みをそろえたい」

 安保法制をめぐる「採決の強奪」、TPPをめぐる密室での大幅譲歩など、「手続きの透明性」に多くの国民から疑問の声があがっている安倍政権の姿勢を棚に上げ、自身の正当性を強調する馳大臣。消費税増税分を社会保障にまわすという国民との約束を反故にし、逆に社会保障を軒並み削減し続けている安倍政権に、「税金」の「国民が納得できる」使い道を論ずる資格があるのだろうか。

(佐々木隼也)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/270075


6. 2015年10月14日 02:08:46 : vIZUY4qEPc
騒ぎになりビビって釈明かい、なら最初から体罰自慢などするな脳筋野郎。

7. 2015年10月14日 16:11:20 : 38xqq7xWok
体を使って教えますじゃなくて、
言葉を使って教えるだけ能力がありませんって言いましょうよ。
言葉なんかなくても、愛情は、押し倒してヤっちゃえば伝わる、とか言いそうで怖い。


8. 2015年10月15日 20:34:32 : LY52bYZiZQ
Domestic | 2015年 10月 15日 20:12 JST

文科相、記憶遺産見直し要請へ

 馳浩文部科学相は15日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「南京大虐殺」の資料を世界記憶遺産に登録したことを受け、11月上旬にパリで開かれるユネスコ総会に出席し、登録制度見直しを要請する方針を固めた。

 総会は2年に1回開催。馳氏は、各国代表による4〜7日の一般政策演説で、資料の登録を政治利用できないようにする方策や、審査の透明化の必要性を訴える。ボコバ事務局長との会談も調整している。

 菅義偉官房長官は15日の記者会見で「政治利用を未然に防ぎ、公平性や透明性が確保されるよう、登録制度の改善を強く求める。実現に力を尽くしたい」と強調した。


{共同通信}

http://jp.reuters.com/article/2015/10/15/idJP2015101501001808


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