4. 2015年10月13日 09:29:48
: aa86V1oKlA
>>3. 2015年10月13日 06:49:06 : QYus6EP92w > まず君が読んだ、アメリカ人によって沢山書かれた“何故日米戦争が起きたのかを 追及する研究書”を少しだけ紹介して欲しいな、ほんの5-6冊だけでも良いので。 ぜひ参考にしたい。ルーズベルト大統領が第二次世界大戦および日本の対米戦争を引き起こしたと主張する本は、アメリカ人によっても多くの本が書かれている。 ルーズベルト大統領の娘婿であったカーチス・B. ドールは 「無辜の男女、子供を大量殺戮し、ベビーベッドに寝ている赤ん坊を生きながら焼いた広島と長崎への原子爆弾の投下を命令したのは、アメリカにおける外交問題評議会(The Council on Foreign Relations, CFR)と一身同体の、これらの戦争謀略者たちでした。」 「私の以前の岳父、ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保障することではなく、事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていた」、 「大西洋でヒトラーを戦争行為に挑発できないことがはっきりしてきた一九四一年六月の、日本の経済的捉殺で始まった戦術の切り換えを除いては、戦争への道はまったく直線的であった。全局面を通ずる戦争工作の建築家であり大指揮者だったのはフランクリン・デラノ・ルーズベルトだ。」 [1]と書いている。 その他、ロバート・スティンネット、ハミルトン・フィッシュの本を紹介する。 1.「操られたルーズベルト」「―大統領に戦争を仕掛けさせた者は誰か」 – 1991/10 カーチス・B. ドール (著), 馬野 周二 (翻訳) http://www.amazon.co.jp/%E6%93%8D%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E2%80%95%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AB%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E4%BB%95%E6%8E%9B%E3%81%91%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%9F%E8%80%85%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B-%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BBB/dp/4833414252/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1444695088&sr=1-1&keywords=%E6%93%8D%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98 これはドール氏の自伝といっても差支えない。 娘婿だから書けるF・D・ルーズベルト評伝である。 ルーズベルトが戦争を待ち望んでいたとの指摘は意味深い。 著者はルーズベルトの娘婿。岳父が米国を日本との戦争に巻き込んだという事実を知って、かなり幻滅した様子。 ルーズベルトは真珠湾騙し討ちという言いがかりを作り、奇襲を自国民に故意に知らせず三千の米兵士を死亡させた。 ルーズベルトは「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とチャーチルに言った。 当時、米国民は非戦を求め、ルーズベルトも平和を約束して大統領になったので、米国側から戦争を始めるわけにはいかなかった。 だからいかに米国民の激しい感情を焚き付けるか、いかに日本を戦争に誘い込むかの、難しい計略を立てた。 1941年11月25日スチムソン長官は日記でこう書いている。 「問題はいかに日本人を誘導して、我々があまり大きな損害を蒙ることなく、最初の弾を撃たせるかだ。これは難しい計略だ」 2.「真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々」2001/6/26 ロバート・B・スティネット、 妹尾 作太男 http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88 真珠湾攻撃が米国中枢の策謀であるとの噂は当初から存在した。 だが本書は、単なる噂話ではく、多くの公文書に基づいて実証しようとした点が素晴らしい。しかも公文書の出典、番号までもが明示されているから、アメリカ国民なら誰でもそれを確認することができる。 一方で、開戦近しは既知としても、日本の情報秘匿と無線封止により、時間と場所は知りうるところではなかった、というのが正当な戦史評価でした。しかし、昨今の情報公開法(FOIA)と、著者の精力的な調査が次々と明らかにしたのは、日本の暗号は戦前から破られており全てがワシントンに筒抜けだったという事実と、無線封止を軽率に破り意図丸出しでハワイ沖に接近していた連合艦隊の情報戦意識の低さでした。 3.「日米・開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか」 (PHP文庫) 文庫 – 1992/12 ハミルトン フィッシュ http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E3%83%BB%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E2%80%95%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%82%92%E6%8B%9B%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4569565166/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1444694378&sr=1-2&keywords=%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5 ブリット大使は、合衆国は、 「戦争の際には、英仏の側に立って、積極的に介入する用意がある」 ということを確約しているのである。 ブリット大使の発言は、アメリカの不干渉主義者たちが、ヨーロッパで戦争が勃発する前 に主張していたことを、まさに裏ずけるものである。それはまた、もしルーズベルトが、余計な介入をせず、英仏を戦争に追い込まなかったならば、ヨーロッパで戦争は起きず、ダンチヒ問題も、平和的に解決されていたであろうとする、対ルーズベルト非難が正しかったことを証明するために極めて重要なものである。 チェンバレン英国首相とジョルジュ・ボネ仏外務大臣の二人も、ドイツに対して戦争を起こすよう、ルーズベルトからの圧力があったことを公に認めている。 このブリット大使との会談についてのポトツキー大使の報告は、ルーズベルト大統領が、ブリット大使を通じて、また直接チェンバレン首相に対して、強力な戦争を起こすための影響力を行使したことの明確な証拠の一つである。 合衆国大統領が、ヨーロッパの政治に直接介入し、平和ではなく、戦争を推進したのはアメリカの歴史が始まって以来の出来事である。 いずれにしても、この本を読まずして、第二次世界大戦を語る事は出来無いと、私は思ふ。 1941年11月26日ルーズベルトは、日本に、日本軍及び警察のインドシナ、中国(満州を含む)からの即時全面撤退を要求した最後通牒(ハルノート)を突き付けた。これにより、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかったとある。この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。 日本は、この最後通牒を受ける前に、8月には近衛首相が米国に出向いて首脳会談を行うことを提案したが、この会談は、対日戦、対独戦を既に決定しているとの理由で拒絶されたとある。11月には、日本は、甲案による計画的撤兵を提案し、乙案による南仏印から撤兵する暫定案を提案していたのである。米国側の日本案に対する戦争を回避できる可能性のある暫定案は、事前に蒋介石とチャーチルに示され、彼らにより否定された。ルーズベルトは、コミンテルンの財務省のホワイトにより起案された宣戦布告ともいうべきこの最後通牒を承認し、これを日本に手渡したのである。 |