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戦後70年日本のかたち
(14)平成の大合併 人口減に備え アメとムチで自治体半減、過疎地の衰退加速も
1999年から10年余りの間、全国各地で進んだ「平成の大合併」。市町村の数が半分近くに減り、日本地図は大きく塗り替えられた。地方行政の効率化や地方分権に向けた受け皿づくりが目的だったが、各地であつれきも生まれた。合併で地方の衰退が加速したのか、それとも本格的な人口減少社会に向けた備えだったのか。その評価はまだ定まっていない。(文中敬称略)
今年4月、江戸時代の民謡が起源とされる「丹波篠山・デカンショ節」が文化庁から「日本遺産」に認定された兵庫県篠山市。市にとって久々の明るい話題だった。
「合併バブルの街」
1999年4月に4町が合併して誕生した篠山市は「平成の大合併」の第1号の自治体だ。そして「合併バブルの街」としても知られてきた。
市は当時、交通インフラの整備や合併による知名度の向上で4万7千人程度だった人口が6万人に増えるという計画を策定した。そして、赤レンガで時計塔も備える図書館、温水プール付きの運動公園など箱物建設にひた走る。それを支えたのは返済の7割を国が肩代わりするという合併特例債というアメだった。
しかし、人口が増えたのは数年だけで、現在は4万3千人とむしろ減っている。合併から4年後には市の借金が1136億円まで膨らみ、市財政は急速に悪化した。
「過大な人口想定に基づく無理な計画だった」。2007年に市長に就任した酒井隆明は市民参加で財政を立て直す計画をつくり、市職員の削減や補助金カットなどに取り組んできた。市の借金はピーク時より4割減り、「認定こども園の整備など必要な事業にようやくお金を回せるようになった」と酒井は話す。
99年に3232あった市町村は大合併で10年3月末には1727に減った。岐阜県高山市のように大阪府や香川県の面積を上回る広大な市ができた一方で、13県で村がなくなった。
市町村名も続々と変わり、山梨県南アルプス市のようにカタカナ市も誕生した。全国350カ所以上で合併を巡る住民投票が実施され、地方は合併騒動に揺れ続けた。
大合併につながる動きは93年が起点だったといえるだろう。この年の6月、衆参両院は地方分権の推進を決議し、分権改革がスタートする。10月には臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)が分権の推進とセットで市町村の合併を求める最終答申をまとめた。
当時の大きな政治課題は行政改革。行革のためには地方への権限移譲が必要で、その前提として受け皿の整備が欠かせないという筋立てだった。政府は95年に市町村合併特例法を改正して合併推進を打ち出す。ただし、当時はまだ自治体や住民の主体的な取り組みを後押しする程度だった。
そんな政府が積極策にかじを切ったのは「平成8年(96年)に行われた小選挙区制での初の総選挙が大きなきっかけだった」と当時、自治省(現在の総務省)の行政局長で、事務次官も務めた松本英昭は振り返る。
この96年1月に橋本龍太郎内閣が発足し、自民党は6月に橋本行革ビジョンを公表する。そこには「地方団体は分権の真の受け皿となるにふさわしいものに脱皮する必要がある」と明記された。そして、10月の衆院選では自民、新進、民主など主要政党が軒並み、合併を公約に盛り込んだ。以降、国会議員から「小さな市町村を減らせ」「地方議員が多すぎる」という大合唱が起きる。
政治からの圧力が強まるなかで、地方分権推進委員会や地方制度調査会も相次いで合併の促進を求め、自治省は99年に合併特例法を再び改正する。ここで盛り込まれたのが篠山市に最初に発行が認められた合併特例債というアメだった。
しかし、これで合併の機運が一気に高まったわけではない。市町村数をみてもしばらくは3000台が続く。急速に減り始めるのは04年以降だ。
様子見から一転
03年12月、全国の自治体に「地財ショック」と呼ばれた衝撃が走る。04年度の政府予算案の決定に先立って公表された地方財政計画で、地方交付税の大幅な削減が打ち出されたのだ。小泉純一郎内閣が取り組んだ国と地方の税財政改革(三位一体改革)の一環だった。
3年間続いた三位一体改革で、自治体にとって命綱ともいえる地方交付税が約5兆円削られた。小規模な市町村に交付額を上乗せする措置も見直された。自治体財政は悪化し、それまで様子見だった市町村が一斉に合併に走り出す。
財政面からのムチの効果はてきめんだった。市町村数は05年度末には2000を下回った。06年6月に明らかになった北海道夕張市の破綻もダメ押しになったといえるだろう。
平成の大合併が終わって5年あまり。役場が消えた過疎地では「合併でさらに廃れた」という声をよく耳にする。一方で、合併したかどうかに関係なく、大半の地方で人口は減り続けている。
14年5月、民間有識者からなる日本創成会議は全国の自治体の半数を「消滅可能性都市」に分類した。平成の大合併は行政を効率化し、本格的な人口減少社会に向けて市町村の財政基盤を強める効果はあったのだろう。
合併第1号の篠山市の市長、酒井は「周辺が取り残されたという住民の声があるのは事実。だが、4つに分かれていた地域が一体になった利点は大きい。あの合併は間違いではなかった」と話す。
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昭和の大合併 町村の希望強く
戦後70年を振り返ると、「平成の大合併」の前に「昭和の大合併」があった。
1953年(昭和28年)の町村合併促進法、56年の新市町村建設促進法に基づき、当時1万近くあった市町村は61年6月に3472とほぼ3分の1に減った。
昭和の大合併は、税制改革と地方自治の強化を求めた49年のシャウプ勧告がきっかけになった。それを受けて地方行政調査委員会議(通称、神戸委員会)が50年に行政事務の再配分と町村の合併を提言。新制中学校の設置が決まり、中学校1校を維持する規模として市町村は人口8000人以上が目安になった。
内閣官房副長官や東京都知事などを歴任した鈴木俊一は回顧録『官を生きる』のなかで「規模を大きくして力を強くすることは地方団体、ことに町村の強い希望だった」と振り返っている。
昭和と平成の合併を比較すると「今回は新制中学のような新たな制度も、そのための人口目標もなかったために、なぜ合併なのか、わかりづらくなった」と自治省の元事務次官、松本英昭は話す。
編集委員 谷隆徳が担当しました。
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地方分権改革、合併迫る 交付税削減は邪道だった 東大名誉教授 西尾勝氏
政府の地方分権推進委員会や地方制度調査会の委員などを務めた東大の西尾勝名誉教授に聞いた。
――地方分権が平成の大合併につながりました。
「1996年12月に分権委員会が1次勧告を出す直前に、諸井虔委員長らと自民党の行革推進本部に説明に行きました。すると知事の権限が強くなるのは好ましくないから市町村への権限移譲もやれ、人口が少ない市町村が多いから合併についても勧告しろ、と次々と議員が立って意見を述べる。反論したのですが、『おまえはわかっていないなあ』と言われました」
「私は合併を急ぐ必要はないと思っていた。分権社会の見取り図が出て、これを自治体がやっていくのは大変だと自覚した後でいいと。しかし棚上げできなくなり(97年7月の)2次勧告で『あくまで自主合併だけど、政府も積極的に推進を』と入れたわけです」
――自治省(現在の総務省)はどうでしたか。
「省内にはいろんな意見があったでしょうが、行政局の幹部の大勢は大々的な合併をやる必要はないと考えていた。しかし国会議員の声に押され、分権委も勧告したので、追い詰められていったのでしょう」
――地方制度調査会は2002年に小規模な自治体は事務の一部を都道府県などが代行する、いわゆる「西尾私案」を出しました。
「日本の国土からみて合併できないところが必ず出てくる。そうした地域に他と同じ仕事をしなさいというのは無理なのではないかと思って提案しました。私は小さな町村が無理に合併しなくていいようにと考えたのですが、それが一部のマスコミで『町村制の廃止』と報道されて全国町村会はショックを受けた。結局、制度化されませんでしたが、『西尾私案』のせいで合併が進んだと多くの人に言われました」
――実際は地方交付税の削減が最も効きました。
「私は交付税で脅して合併させるのは邪道だと思っていた。人口が少ないのがまずいなら政府、国会の意思として人口基準を明示すべきだと。介護保険と結びつけられないかと考えて厚生省(現在の厚生労働省)に(保険運営に必要な)人口規模を何度も聞きました。そしたら最初は『20万人ぐらい』という。あり得ない数です。次は『せめて5万人』と。これでもすべてが市になってしまう。それで分権委では何らかの施策と結びつけるのは無理だなとなった」
――人口減少は理由にならなかったのですか。
「いずれ本格的な人口減少時代に入ることはわかっていたが、当時はそこまで差し迫った課題ではなかった。昨年、日本創成会議のリポートが出ました。あの時に(合併を)やっていなければ、今、合併が大問題になっていたでしょうね」
[日経新聞10月4日朝刊P.11]
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