32. 2015年10月07日 02:12:26
: NFoz0ck7OY
先生たちにルールはない? 2015年10月6日衆参両院で200時間も審議した安保関連法がやっと成立した。しかし、参院の特別委員会は、学級崩壊ならぬ”委員会崩壊”だった。重要法案の採決に、こんな見苦しい場面を見るのは残念でならない。 反対陣営は、数で負けることが明白なため、席を離れて実力行使に出て、それを与党のせいにしているのだから滑稽と言わざるを得ない。「民主主義」を簡単に口にする先生方は、自分たちのこのような行動を何と心得ているのだろうか。 先生方は法律を作る専門家だろうから、まず国会における無秩序な状態をなくすため、委員会中は勝手に席を立ってはならないなどのルールを作ったらどうか。 その上で録画装置を導入して、違反者には罰則を設ければいい。この録画を有権者が見られるようにすればと思う。 少なくとも国民が「さすが国民の代表だ」と思えるように変わってほしいものだ。 憲法改正で安保議論深化を 2015年10月6日 先日、安保関連法が成立したが、国会論戦は「違憲か合憲か」ばかりで、国の安全保障についての議論は深まらなかった気がする。 振り返ってみれば、憲法論議が高まったのは、衆院憲法審査会に参考人として出席した3人の憲法学者がそろって安保法案を違憲だと表明したのが契機だった。ある新聞のアンケートによれば、憲法学者の大半が自衛隊を違憲だと考えているという。安全保障の大本である自衛隊を違憲だとする人からすれば、自衛権の行使など、個別か集団かを問わず、許されないのだろう。このような人たちと安全保障の議論をしても、噛み合うはずがない。 我が国で安全保障についてまともな議論ができない原因は、やはり「憲法9条」にあるのだ。速やかに憲法を改正し、自衛隊の存在を認めなければ、安保論議は深まらない。 もちろん、そのとき護憲論者は堂々と自衛隊の廃止を訴えればよい。 「口頭注意」処分に呆れる 2015年10月6日 奈良教育大の越野和之教授(50)(障害児教育学)が、安保法案に反対する声明への賛同と署名を募るメールを、学内のシステムを使い全学生(約1450人)と教職員に一斉送信していたそうです。学内での署名には、約130人が応じたという。これに対する大学の処分が、「口頭注意」とのこと。何とも軽い処分に呆れてしまいました。処分の理由は、大学が定めたシステムの利用規約を逸脱したからだそうです。本当に越野和之教授の違反行為は、それだけでしょうか。 越野和之教授が安全保障関連法に反対するのは、個人の自由です。しかし、教授の名前で全学生にメールを送り、署名や賛同を求めるのは、立場を利用した思想信条の押しつけではないでしょうか。教員を養成する大学の教授として、あるまじき行為だと思います。 また細かなことを言えば、メール作成や送信を勤務時間中にしたのなら、おそらく就業規則の職務専念義務違反。こんな教授のもとで、しっかりとした教員を養成できるのでしょうか。 2015.9.25 15:00 「安保法案の成立許せない」全学生に反対呼びかけメール送信 奈良教育大教授、学内ネット使い http://www.sankei.com/west/news/150925/wst1509250057-n1.html 奈良教育大(奈良市)の教授が、安全保障関連法案に反対する声明への賛同と署名を募るメールを、学内のメールシステムを使って全学生と教職員に一斉送信していたことが25日、関係者への取材で分かった。大学側はシステムの利用規約を逸脱した行為として、教授に口頭注意した。 メールは越野和之教授(50)=障害児教育学=が15日午後10時ごろ、「【賛同・署名のお願い】安全保障関連法案反対声明」とのタイトルで、同大の全職員と学生約1450人に学内のメールシステムから送信した。「奈良教育大教職員有志」名で、呼びかけ人として越野教授ら同大の教職員14人の名前とともに「命を犠牲にし、未来を閉ざす戦争につながる法案の成立を許すことはできない」などとして法案の廃案、撤回を求める声明文への賛同と署名が呼び掛けられていた。 越野教授らは翌16日、この声明文を報道関係者に公表。学内での署名には、約130人が応じたという。 同大総務課によると、学内のメールシステムは利用規約で「本学における教育・研究に関する活動のために利用されなければならない」と規定。同課は「今回のメールは目的に合致せず、大学の規約を逸脱した行為」とし、16日に越野教授に口頭で注意した。 産経新聞の取材に対し、越野教授は「法案の成立が近く、ほかの手段がなかったので学内メールを使った」と説明。「大学の利用目的にのっとっていなかったのは遺憾。今後は気をつけたい」と述べた。 大学側は18日、全職員と学生に対し、「情報モラルに気をつけて他者の迷惑になるような使用は控えてください」と、学内メールの利用に注意を呼びかけるメールを送信。教授らに対する処分は「検討していない」としている。 2015.10.6 14:00 【正論】 首相が自衛隊最高司令官であることを知らない国〜安保法制は日本の「現実的一歩」だ ジェームス・E・アワー http://www.sankei.com/politics/news/151006/plt1510060010-n1.html 約20年前、私がたまたま日本を訪れていた最中に、自民党と社会党、新党さきがけが土壇場で連立政権を樹立し、社会党の村山富市委員長が思いもかけず首相に選出された。報道陣は新首相の自宅に駆けつけ、自衛隊の最高司令官である首相になったことについてどう思うかと感想を聞いた。報道によれば、村山新首相は自らがそのような役割を担うことはないと否定したという。 ところが、翌日になって村山氏は事務所を通じ、自衛隊は国会を通過した法律に基づいて設立されたので、その正当性を暫定的に容認すると述べた。 《最高司令官としての首相の認識》 さらに驚いたのは、5年前、民主党政権の菅直人首相が自衛隊幹部との意見交換会でのあいさつで、改めて資料を調べてみたところ、首相である自分が自衛隊の最高司令官であることを知ったと述べたことだ。 これを聞いたとき、首相本人は一体だれが自衛隊の最高司令官だと思ったのだろう、と驚いた。天皇を最高指揮官と規定した明治憲法がまだ効力を持ち続けているとは思わなかっただろうと推察はできるが。 安倍晋三首相はもちろん、自らが日本の自衛隊の文民最高司令官であることを認識している。自国の防衛に失敗して多数の死者や甚大な国家的損害が出たりした場合には責任を問われる最高司令官である。 安倍首相は、日本が直面する脅威をめぐる状況が、1972年に最低限の集団的自衛権の行使も許されないとした当時とは異なり、より不利になっていると認識した。そして、国の安全保障が脅かされ、他に手段がなく、他国と協力しての武力行使を最低限とする、との極めて制限された条件下で集団的自衛権の行使は容認される、とした2014年7月の閣議決定を実行するための穏当な法案を提出した。 9月19日に成立した安全保障関連法案は、他の多くの国々が自国に認めているよりもはるかに限定された集団的自衛行動しか認めていないことは認識されるべきだ。 《直接的脅威に手遅れになる》 例えば、仮に北朝鮮がミサイルを発射して何千もの大阪市民を殺害した場合、米国は、自国の安全が直接的に脅かされたかどうかにかかわらず、大規模な通常兵力や、さらには核戦力をもって日本を支援することが可能だ。 しかし、日本は新法の下で、自国が著しく脅かされない限りは自衛隊が米国を支援するのを認めていないし、特定の状況下で、自衛隊がどれだけの防衛能力を発揮し得るかにかかわらず、自衛隊が行使する手段を最低限にとどめている。 とはいえ、これは一歩前進だ。なぜなら、この新しい法案が成立する前は、日本が行動できないことに起因して直接的な脅威にさらされた場合でも、日本は必要最低限の集団的な行動さえ禁じられていたからだ。 最も明白なのは、北朝鮮から発射されるミサイルの事例である。これは明らかに現在の日本への深刻な脅威であるものの、日本が集団的自衛権を封じていた1972年には脅威ではなかった。 2015年現在、北朝鮮のミサイルが日本の都市や日本の民間商船、自衛隊艦船を狙うよりも、日本海にいる米艦船を狙っているかもしれないため、日本領土や日本の船舶が標的であると明らかになるまでは日本が対応に踏み切れない。だがそれでは北朝鮮のミサイルが日本の標的に到達する前に破壊しようと効果的な行動を取るには遅すぎる。 もし付近に日本の船舶がいなくても、米国の艦船は自らが攻撃を受けなかったとしても行動を取るだろう。だが、1972年の方針では日本は手遅れになるまで行動が取れないのだ。 《確実に強化される抑止力》 日本に対する米国の安全保障は、日本の新法の下でも日本による米国に対する安全保障よりもはるかに強力だ。 だが、新しい安全保障関連法は、控えめではあるが日本の安全保障をより確実にする現実的な一歩だ。 米国から日本への保障はより手厚いが、ここでより重要なのは、もし北朝鮮や他の脅威国が、日本が脅かされれば米国と日本は共同行動を実施すると知れば、こうした脅威に対する抑止力は確実に強化されるということだ。 また、日本の安全保障に影響が及ぶような状況下で日本が米国を支えることが可能であると米国が知れば、米国が日本を守るために乗り出してくる公算はより大きくなるだろう。 逆に、日本の安全が直接脅かされたときに、日本が米国を支援してともに戦わないなら、米国は異様に感じるだろう。 1972年以降、安全保障環境が悪化しているのは懸念される事態だ。だが、現職の日本の首相が、状況の変化や、日本が深刻な脅威にさらされていることを理解しているというのはすばらしいことだ。(ヴァンダービルト大学名誉教授)
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