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2015年09月30日 (水)[NHK総合]
視点・論点 「安保法制を考える(3) 〜正しい判断をするために〜」
早稲田大学教授 植木千可子
安全保障関連法が、成立しました。
今までの法律では日本の安全を十分に守れない、という理由で、この法律は、作られました。ところが、この法律は、武力行使の基準が曖昧で、逆に、安全を損なう恐れもあります。法律が成立した今、重要なことは、この法律で安全が確保されるようにすることです。それには、2つのことがとくに重要です。1つは、正しい判断ができるようにすること。もう1つは、抑止をいかに成功させるかということです。現在の制度では、正しい判断をするには不十分な点も少なくありません。
新しい法律ができて、これまでと一番大きく変わるのは、どのような時に、日本が武力を使うかという点です。これまでは、日本が直接に攻撃を受けた場合にだけ、日本は武力を使って反撃しました。
これからは、政府が必要だと判断すれば、他の国が攻撃を受けた場合でも武力を使うことができます。つまり、これからは、日本は戦う戦争を選ぶことになります。
それでは、正しい判断をするためには、どんなことに注意する必要があるのでしょうか?
まず、忘れてはならないのは、自衛隊を派遣するというのは、あくまでも軍事的な行動だということです。外交の手段では、ありません。日本が戦争に参加することによって戦争を終結することができ、紛争の原因となった問題を解決することができるかどうかを判断しなくてはなりません。そのことによって、日本の安全が増すのか、また、地域と世界の安定が図られるのか、などを見定める必要があります。その上で、軍事的な手段を取るのか、それとも非軍事的な方法を取るのかを選択する必要があります。
具体的に判断を迫られるのは、次に、戦争が起こった時です。日本は直接、攻撃を受けていませんが、戦いに関与するかしないかを決めなくてはなりません。選択肢は3つ。1つめは、戦争に関わらないというもの。2つめは、弾薬の提供など、米軍や韓国軍の後方支援をするというもの。3つめは、日本に対する攻撃と同じだと見なして、反撃する、というものです。3つめの場合、集団的自衛権を行使します。戦争に関与した方が日本の安全が守られるのか、あるいは、戦争に関わることを避けた方が、日本の安全にとってプラスなのか、という判断をしないといけません。
これまでと違って、日本が他国の戦争にも関わっていくかどうかの判断をするとなると、現在の態勢では不十分です。潜在的な攻撃国の軍事能力を詳しく知る必要があります。戦争の背景にある地域情勢についての知識も必要です。自衛隊はこれまで海外で戦ったことがありませんから、軍事能力の評価や分析をする組織や能力を十分持ちません。スパイ活動のような海外での情報収集も、これまではほとんどしていません。正しい判断をするためには、拡充する必要があるでしょう。
もちろん、そのようなことをする国になりたいかどうかも議論しなくてはなりません。
これまでの日本は、外国で戦争が起こった時には、外交的な判断をしてきました。アメリカが協力を要請した時、断ったらどうなるか、諸外国の反応はどうだろうか?国際社会の日本に対する評価はどうだろう?などという問題意識です。今回の法律ができた背景にも自衛隊を派遣して日本の外交的な影響力を高めようという考えがありました。けれども、他国の評価を中心に考えていては、安全保障上の問題は解決しません。
日本が自衛隊を海外に派遣する場合は、集団的自衛権を行使する存立危機事態の場合でも、国際平和協力活動の場合でも、達成すべき軍事的な目的が明確であることが重要です。どのような脅威を取り除くために、自衛隊を派遣するのか。どのような状況を回復できたら、撤退するのか。守るべき対象は、日本にとってどのくらい大事なものか。そのためには、どのくらいの代償を払う覚悟があるのか。これらの問いに、あらかじめ答えを出して判断する必要があります。いずれも、日本がこれまで考えてこなかった問題です。
ここまでは、実際に戦争が起こった後にどうするか、という話です。現実には、未然に戦争を防ぐことが重要です。そのためには、普段から、日本には戦う覚悟があるから戦争は諦めろ、と潜在的な攻撃国を思いとどまらせる必要があります。これを抑止と言います。政府は、今回の法律で抑止が増す、と言っています。北朝鮮や中国を例に挙げて、抑止の必要性を訴えています。けれども、今回の法律だけでは抑止は完結しません。
抑止が成功するためには、3つのことが必要だと考えられています。
1つめは、反撃する軍事的な能力と意思があること。
2つめは、そのことを相手に正しく伝えられること。
3つめは、状況認識を共有していることです。つまり、この1線を越えれば、日本は確実に反撃するけれども、逆にその線を越えなければ、日本から攻撃することもない、という理解です。これは、安心供与とも言います。
新しい法律は、1つめの反撃する能力と意思があることを増強しようとするものです。けれども、法律では、武力行使の基準が曖昧です。他国のどのような行動を日本が許さず、武力を使ってでも止めようとしているかも、明らかではありません。これでは、相手を思いとどまらせることができません。日本は、何をしようとしているのか、何ができるようになったのか、日本の意図が明確でないのです。
また、2つめですが、日頃から、意思疎通ができていないと、日本の意図が正しく伝わりません。現在の日朝関係は意思疎通のパイプが確立しているとは言い難い状況です。日中関係は、改善の兆しが見られますが、まだ不十分です。危機に際して、たとえ最悪の状況にあったとしても正しく意思疎通ができるようなしくみを作る必要があります。
3つめの認識の共有と安心供与は最も難しい部分です。1線を越えなければ、日本から攻撃することはない、と相手に思い込ませるためには、一定の信頼が必要です。越えなくてもやられてしまうのではないかという疑いがあれば、先に攻撃した方がマシだ、という考えを引き起こす危険があります。
武力による脅しだけでは、抑止は成り立たず、かえって緊張を助長します。攻撃すれば、こんな悲惨な結末が待っているが、攻撃を控えれば、こんな明るい未来が待っているのだ、と示すことによって、相手を思いとどめることが可能になります。そのためには、武力による抑止を強化するだけでなく、失ったらこんなに損だ、と相手が思うような利益を経済面や社会の様々な交流を通じて共有し、制度化を通じて強固な関係にすることが大切です。中国との関係の改善は急務です。
これまでは、法律で武力行使を厳格に制限していたわけですが、これからは、その時々の状況に応じて判断することになります。政府が判断を誤らないためには、私たち国民一人ひとりが安全保障について日頃から考え、監視していくことが重要になります。
日本が人命を犠牲にしてまでも守るべきものは何か。地域の長期的な安定をどうやって実現していくのか。どんな世界を築き、維持したいのか。本来、法律を作る前に議論する必要がある大事な問題ですが、国会の法案審議の中でも、議論は深まりませんでした。けれども、今からでも、遅くはありません。これからも、政府内や国会の場だけでなく、私たち国民も含めて、議論を続ける必要があります。
新しい法律によって安全が高まるかどうかは、私たちが、これからも、どれだけ安全保障に関心を持ち続けられるかに、委ねられているといえるでしょう。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/228400.html
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