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通常国会の事実上の閉会にあたって記者会見した安倍首相は、安保関連法案について、「説明する努力を続ける」としたが……(写真は首相官邸HPより)
安保関連法の強行採決で直視すべき「敗北」 最大の敗因は何だったのか
http://biz-journal.jp/2015/10/post_11746.html
2015.10.01 江川紹子の「事件ウオッチ」第38回 文=江川紹子/ジャーナリスト Business Journal
今国会の焦点だった安全保障関連法が強行採決された。特別委員会で総括質疑もせず、与党議員が議長席を取り囲んで、議長の発言がまったく聞き取れない中で「採決」を行ったとして本会議に送った経緯を見れば、政府がなんと言おうと「強行採決」だろう。近年、日本ではまれに見る規模の反対運動が起きたが、何がなんでも今国会で成立させるという政権の強硬姿勢を止めることはできず、運動は完敗した。
■成功した与党による“争点隠し”
敗北したのは反対運動に加わった人たちばかりではない。法律の中身や政府・与党の進め方には、多くの国民は納得していないようで、各メディアが可決後に行った世論調査では、政府・与党の説明を「不十分」とする声は依然として8割に上り、法案成立には6割近くが否定的な回答をしている。それを見れば、国民の大多数が政府・与党に負けた、ということになる。
ところが、どうしても負けを認められない人が少なくない。私がツイッターで「敗北」との表現を使ったことに対し、憤怒のリプライや批判ツイートがかなりあった。確かに、運動は近年稀にみる盛り上がりだったし、若い人たちの積極的な参加もあった。国民が憲法について改めて考える機会にもなり、意義は大きく日本の政治文化に少なくない影響を与えるのではないかと思う。
しかし、「本当に止める」と言っていた法案成立を止められなかったのは、やはり負けだろう。それに対して、「いや、悪いのは、国民の声に耳を傾けない安倍政権だ」などと言っているだけでは事態は変えられない。
しかも、自民党はかつてとは異なり、今や総裁選挙で他の候補者が出馬できないほど安倍支配が強く、多様性が失われている。そうであればなおのこと、現政権とは異なる意見が、もっと政治に反映される状況をつくり出すよう真剣に考えなければならない。そのためにも、ここは負けを直視し、敗因を分析し、そのうえで「次」を考えることが大切なのではないか。過去を振り返り反省することは、未来につながる。
詳細な分析は専門家や運動に携わってきた人たち自身に任せたいが、早いうちに問題の本質を国民に伝えきれず、2014年11月の総選挙の際に明確な争点化ができなかった点は大きかった。
ここでいう「問題の本質」とは、国の基本方針として長く維持してきた憲法解釈を、憲法改正の手続きに乗せず、一内閣の判断によって変更する政府・与党の手法が、「立憲主義」に反し、日本の政治の土台そのものを揺るがしているのではないかという問題提起である。
「立憲主義」については、法案が参議院で採決される直前、衆議院で野党が提出した内閣不信任決議案の趣旨説明を行った枝野幸男・民主党幹事長の演説の中でわかりやすく説明されている。
「権力は憲法によって制約される、権力者は憲法に従ってその権力を行使しなければならない、これが立憲主義であります。まさに内閣総理大臣たる者、この立憲主義によって拘束される。われわれ国会議員も、権力の一端を一時的にお預かりする者として、憲法に縛られ、憲法に反する法律をつくらない、そのために努力をするという責任を負っています」
「私たち国会議員がお預かりをしている『立法権』という権力、それは何によって与えられているんですか、預かっているんですか。内閣総理大臣の権力、それは何によって与えられているんですか』
「『選挙』という人がいるかもしれません。でも、それは半分でしかありません。その前提があります。選挙で勝った者にこういう権限を預ける、選挙で勝った者にこういう権力を行使させる、そういうことを憲法で決められているから、選挙で勝った者に一時的に権力が預けられている。同時にその憲法は、無条件で権力を預けるのではない、こういうプロセスで誰に預けるかを決めることを規定していると同時に、その権力者はこういう規制の中でしか権力を使っちゃいけない。この(民主主義と立憲主義の)両方を憲法で決めて、セットで私たちは委ねられているんです」
立憲主義の下では、法案は憲法に適応するようにつくらなければならない。法案に合わせて、憲法を変えるというのは、あってはならない禁じ手だ。ところが、国会審議の中で、中谷元防衛大臣が「現在の憲法を、いかにこの法案に適応させていけばいいのか、という議論を踏まえて閣議決定を行った」と答弁したように、今回はその禁じ手が使われたのではないか。立憲主義の原則は、ないがしろにされたのではないか。
こうした「問題の本質」が盛んに論議されるようになったのは、今年6月の衆院憲法審査会で、自民党が推薦した長谷部恭男・早稲田大教授のほか、民主党推薦の小林節・慶應義塾大名誉教授、維新推薦の笹田栄司・早稲田大教授の3参考人が、そろって「安保法案は憲法違反」と明言してからだった。その後、メディアが盛んに憲法学者にアンケートやインタビューを行った。内閣法制局長官の経験者や元最高裁判事などの見解も出た。これによって、「憲法違反」との評価は、野党独自の主張や左翼的な一部学者の説ではなく、圧倒的多数の専門家の共通理解であることを国民も理解した。
こうなって初めて、今回の事態は立憲主義を揺るがす問題ではないか、との認識が広がってきた。だが、法案を止めるには遅かった。これは本来、総選挙の時に、十分に議論しておくべきテーマだったのだ。
■立憲vs.非立憲
振り返ってみると、安倍内閣が集団的自衛権行使を容認する閣議決定を行ったのは、昨年7月。すぐさま各地の弁護士会やさまざまな団体が反対の声を挙げたが、運動はあまり盛り上がらなかった。9月29日に、安保法案に加えて原発や消費税、沖縄の基地など様々な問題で“安倍政治”に抗議する人々が国会前に集まったが、その参加者は主催者発表でも2000人だった。これを報じた朝日新聞は、見出しに「大規模デモ」と書いた。当時は、これが大規模と評価されるほど反対運動は低調だった。
マスメディアの報道も、9〜10月には減った。朝日新聞のデータベースで「集団的自衛権」が使われた記事を検索すると、7月には479本、8月には363本あったのに、9月には172本、10月は171本だった。しかも1面など、目につきやすいページに掲載される記事は極めて少なかった。
そんな状態で、11月になると急に“解散風”が吹き始め、衆議院が解散、12月に総選挙となった。安倍首相は「この解散は、アベノミクス解散です。アベノミクスを前に進めるのか、止めてしまうのか、それを問う選挙です」と繰り返した。自民党の公約集も、経済政策を前面に押し出し、「集団的自衛権」の言葉も見られない。「切れ目のない安保法制の整備」が、「外交」の項目に、何の見出しも立てられないまま、ひっそりと載ってはいるが、300近い公約が列挙された中に埋もれて、まったく目立たない。菅義偉官房長官も、特定秘密保護法や集団的自衛権行使容認は争点にならないとして、「何で国民の信を問うのかは、政権が決める」と強調した。
これに対し、民主党のマニフェストは、「専守防衛と平和主義を堅持する」との大見出しを立て、立憲主義にも触れて争点化を図った。しかし、同党が国民の信頼を回復していないこともあり、「アベノミクス」の大合唱の前に霞んだ。
かくして、与党による争点隠しは成功した。このように、選挙の前の時点で「問題の本質」をしっかり国民に伝え、きっちり争点化できなかったことが最大の敗因ではないか。
現政権と異なる国民の意見が国政に反映されるためには、やはり選挙が大事だ。となれば、次の国政選挙の時までに、「問題の本質」についての理解をさらに広げ、「立憲vs.非立憲」という明確な対立軸を提示し、国民の関心を高めていくこと。そのうえで、国民が選択しやすいような野党の選挙協力を構築すること。この2つは不可欠だろう。
後者に関しては、法案が可決・成立した直後、共産党が「国民連合政府の実現」を呼びかけ、来年夏の参院選挙などで他の野党との選挙協力を行う方針を示した。政権の課題はさまざまあり、共産党との連立政権を思わせる「国民連合政府」との言葉は、いくらなんでも唐突感がある。ただ、国政選挙で同党が柔軟な姿勢を示したのは画期的といえよう。
また、維新の分裂などで、野党再編が行われるのであれば、民主党はこの際、現在の党名にこだわらず、「立憲民主党」を名乗ってみたらどうか。そうすれば、党名そのものが、問われるべき争点を広く伝える力になるのではないか。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)
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