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五輪エンブレム、重すぎた重鎮 決断困難、対応後手に[朝日新聞]
原田亜紀夫、宮嶋加菜子 編集委員・稲垣康介
2015年9月28日05時00分
「日の丸を足元に置くなんておかしい」「躍動感がなくなった」。白紙撤回に至った五輪エンブレム問題で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は修正をごく一部の人間だけで決めていた。「盗用」が世間で騒がれ始めた後の対応も後手に回った。混乱の責任の所在ははっきりしないままだ。
7月24日に発表されたのは、すでに2度の修正がなされたデザインだった。
複数の関係者によると、8人の審査委員の中で修正の経緯を当初から知っていたのは、1人だけだった。組織委のクリエーティブディレクターの肩書も持つ委員(45)で、コンペで選ばれた佐野研二郎氏(43)に方向性を指南していた。
残りの多くの審査委員が修正案を見せられたのは発表の直前。デザイナーの平野敬子委員は「適切なプロセスを経ていない」として修正後のデザイン承諾を拒否したが、その主張は受け入れられなかったという。
組織委幹部はエンブレムの決定について、森喜朗会長(78)や武藤敏郎事務総長(72)に意見を求めながら進めたと認めている。ここで浮かぶのは重鎮の影響力だ。森氏は元首相で、武藤氏は森政権下の大蔵・財務事務次官だった。
組織委の最高意思決定機関は本来、理事会だが、エンブレム白紙撤回の際にも開かれることはなかった。撤回は、下村博文・文部科学相ら6人からなる調整会議で正式に決まった。そもそも理事の数が定款の上限の35人に膨らみ、年に数回しか一堂に集まれない組織で臨機応変な決断を下すのは難しい側面もあった。
「招致はスポーツ界だけでなく、政界、財界を含めてオール・ジャパンで臨んだのが勝因だった。しかし、その後も政財界の主導で物事が進んだ」と、日本オリンピック委員会(JOC)幹部は指摘する。
16年リオデジャネイロ五輪では、バレーボールの元五輪選手でブラジル五輪委員会会長を務めるカルロス・ヌズマン氏(73)が、スポーツ界の顔として組織委の会長に就任した。20年東京大会では、馬術の元五輪選手の竹田恒和JOC会長(67)が、6人が名を連ねる組織委副会長の一人ではあるが、肩書ほどの発言力は感じられない。
組織委は今月28日に理事会を開き、新しいエンブレムを選ぶ委員会の再立ち上げをはかる。プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長(75)ら、広く各界から人材を集める考えだ。
あらかじめ宮田亮平・東京芸大学長(70)を座長とする準備会も発足。18日以降、会合を3回開き、前回の公募のように過去のデザイン賞の受賞歴を条件に入れるのではなく幅広く門戸を開くなど、新たな方針を確認した。宮田座長は「前回の選考は、透明性が不足していた。明らかにできることは明らかにし、国民の賛同を得ていきたい」と言う。
一方で、旧エンブレムをめぐる騒動の責任を組織委内部で検証し、今後に生かす動きはなお鈍い。
第1回の準備会後の記者会見で、検証について考えを問われた組織委の中村英正・企画財務局長は言った。「組織委として反省すべきは反省し、改めるべきは改める。だが、どのタイミングで何をするかは私の範囲を超えている。今は答えを持ち合わせていない」
この場に森会長、武藤事務総長の姿はなかった。(原田亜紀夫、宮嶋加菜子)
■忖度優先、失敗のもと
新国立競技場、五輪エンブレムは、いずれも問題をこじらせた末に、白紙撤回に至った。共通するのは責任の所在のあいまいさだ。
新国立競技場問題を検証した第三者委員会が24日にまとめた報告書の中に、キーワードはある。
「トップヘビー」。いわゆる、重鎮の弊害だ。
新国立問題で、やり玉に挙がったのは有識者会議だった。森喜朗組織委会長、建築家の安藤忠雄氏、スポーツや文化団体の幹部らが顔をそろえたことで、事実上、「意思決定の承認機関」に格上げされ、柔軟な見直しの弊害になったと指弾された。
東京の組織委を取りまとめるのは元首相の森会長と、元財務事務次官の武藤敏郎事務総長。スポーツ界の人材がトップとして「顔」になった前回のロンドンや来夏のリオデジャネイロと違い、政官主導でしか物事を仕切れない日本社会の縮図にも思える。
組織委の運営費だけで3千億円を超す巨大プロジェクトだ。協賛金集め、会場計画の見直しなど、政官の大物OBに一役買ってもらうことも多い。スポーツ界に適任者がいない現実も、直視せざるを得ない。
ただ、重鎮の意向を周囲が忖度(そんたく)することが優先され、臨機応変な決断、改善の遅れを招いていないか。責任を問われるべきなのはトップだけではない。問題を認識しても、「空気」を察して直言をためらう組織内の当事者意識の希薄さだ。そこを改めないと、失敗は繰り返される。(編集委員・稲垣康介)
http://digital.asahi.com/articles/ASH9W6601H9WUTQP030.html
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五輪エンブレム 組織委幹部、審査委通さず修正要求
朝日新聞デジタル 9月28日(月)5時0分配信
2020年東京五輪のエンブレムが白紙撤回された問題で、大会組織委員会幹部らが、デザイナーの佐野研二郎氏(43)が応募した案では下部にあった赤い丸を「日の丸」に見立てて「足元に置くのはおかしい」などと佐野氏に修正を求めていたことがわかった。こうした注文は2度に及び、いずれもエンブレムの審査委員らには伝えられていなかった。複数の関係者が証言した。
国際コンペという公の選考が密室で曲げられた形だ。経緯の不透明さに対する指摘を踏まえ、組織委は28日に最高意思決定機関の理事会を改めて開き、新エンブレムの選考委員会を発足させる。
旧エンブレムの審査会があったのは、昨年11月17、18日。104案の応募があった。国際コンペに参加したデザイナーは若手からベテランまでに及び、現在活躍する国内のデザイナーのほとんどが応募していたという。
審査委員8人は応募者名を伏せた状態で、評価する案にチップを置いて投票。14案に絞り、さらに1人1票で再投票した。複数の関係者によると、トップの4票を獲得した佐野氏の案と2票を取った1作品、各1票を取った2作品から3点に候補を絞り、約2時間話し合った。
「インパクトの強さ、展開例が非常に優れていた」との理由で審査会は佐野氏の案を選んだ。だが、組織委が国内外の商標登録を確認したところ、この案と「若干類似する作品が見つかった」(組織委関係者)ため、修正を迫られた。
別の複数の関係者によると、「日の丸」発言があったのは昨年12月ごろ。数人の組織委幹部が協議するなかで、「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」と案への強い違和感を訴える意見が出たという。Tの字の右下に赤い丸が置かれるデザインだった。
指摘を受けた佐野氏は今年2月、組織委に1度目の修正案を提示。赤い丸を右上に移した。だが、組織委幹部らは再び、「躍動感がなくなった」と指摘。4月上旬、佐野氏から受け取った2度目の修正案を組織委は正式な国際商標調査にかけたという。
協議の場にいた幹部は取材に対し、「佐野氏にもいろいろ言ったが、意見として言っただけ。指示したわけではない」と話した。
審査委員代表だった永井一正氏(86)が、自分たちが選んだ案に修正が加えられているのを知ったのはこの直後のことだった。組織委から「4月初めには公表したい」との説明を受けていたが公表されなかったため、問い合わせた。このとき初めて、「商標登録の関係で微調整中」との説明を受けたという。
組織委は国際商標調査を終えて7月24日、2度目の修正案を正式なエンブレムとして発表。その後、「盗用」騒動があり、9月1日に撤回を決めた。組織委関係者は「審査委員らに知らせずに修正したのがまずかった」と振り返った。
朝日新聞社
最終更新:9月28日(月)10時26分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150928-00000006-asahi-soci
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