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学校教育に洗脳されなかった シールズ奥田愛基の野生
http://diamond.jp/articles/-/78953
2015年9月28日 佐高 信の一人一話 [評論家] ダイヤモンド・オンライン
奥田愛基はいま、注目の23歳である。私は何度か国会前の安保法制という名の戦争法案反対集会で一緒になったが、むしろ、静かな印象を与える若者だった。もちろん、「安倍はやめろ」とラップ調でコールする声は激しい。しかし、たとえば9月15日の参議院特別委員会の中央公聴会では公述人として次のように切り出している。
「大学生の奥田愛基と言います。シールズという学生団体で活動しています。こんなことを言うのは非常に申しわけないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。僕も2日間くらい緊張して寝られなかったので。僕も帰って早く寝たいと思っているのでよろしくお願いします」
奥田にメモを渡して、こう発言するよう促したのは、やはりシールズのメンバーで、同じ明治学院大4年生の牛田悦正だった。
シールズとは、Students Emergency Action for Liberal Dmocracy-sの略で日本語に訳せば「自由と民主主義のための学生緊急行動」となる。
奥田によれば、特定の支持政党を持たない無党派の集まりで、保守、革新、あるいは改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。
最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月から行動を開始した。その後、デモや勉強会、街宣活動などを通じて、自分たちの考える国のあるべき姿や未来について社会に問いかけてきたつもりだという。
シールズに対しては「騒ぎたいだけだ」とか、「若気の至り」などの非難の声も投げつけられたが、私の接した奥田は、浮わついたところのない好青年である。
■「家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?」
どうして、こういう若者が育ったのか? その秘密を尋ねて1冊の本に行き当たった。高橋源一郎×SEALDs著『民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)である。
作家の高橋は明治学院大学国際学部の教授でもあるが、奥田と牛田はそのゼミ生らしい。
大学の入試で高橋は奥田を面接し、奥田のつくるカレーの話になって盛り上がったという。それまでの学校教育に“洗脳”されて、受験生はほとんどおとなしいのに、奥田はとびぬけて野性的だった。
高橋の「言語表現法」という文章を書く授業でも異彩を放ち、高橋はしばしば、奥田の書いたものを題材にした。高橋の奥田評を引こう。
「惚れ惚れするような、変な、文章を書いてくるんだ。どこに向かっているのかわからない、無鉄砲なところもよかった。文章も奥田君も。それから、奥田君は、突然姿を消したり、いきなりゼミにやって来て、ゼミ長みたいに振る舞ったり、またいなくなったりした」
奥田の父親の知志は北九州で貧困者やホームレスの支援をしている有名な牧師である。でなければ、愛を基になどという名前を息子につけないだろう。しかし、奥田にとって、このことはけっこう重かった。
たとえば放火で服役していて出所して、また放火した人を親は引き受けるという。緊急家族会議が開かれ、「うちが火つけられない?大丈夫?」といった話になる。
結局、引き受けたのだが、朝起きると、知らないおじさんがいるのも日常茶飯事だった。
「この人は新しい家族だから」と父親は平気な顔で言う。
とまどいながらも奥田は、「パン、何枚食べますか? あ、2枚っすか」といった応対をしていた。
「すごい教育受けてるね」と高橋も合いの手を入れているが、奥田は小学校まではそれが普通だと思っていた。他の家とは違うことがわかっていなかったのである。
酔っぱらった勢いで、一度、父親に「なんでそんなことやってんの?」と尋ねた。返ってきた答は、「僕な、人間が好きなんよな」だった。自分の父親は「ヤバいぞ」と奥田は思ったという。
「いいお父さんだね」と言われて、奥田は胸の中で呟く。「よく想像してみてくださいよ。家にマザー・テレサがいたらウザくないですか?」
■飼いならされていない野性が大人を惹きつける
奥田は語る。
「そういう親父のもとに育って、中学で家を出ました。北九州にいたときは不登校とかいろいろあって、というか家と世俗の価値観があまりにも合わなすぎて(笑)。だから九州を出て、八重山諸島の鳩間島っていう、ディズニーランドよりも小さい周囲4キロくらいの島に行って、そこで中学生生活をおくりました。卒業して、島根県の浅利町という人口が千人くらいしかいない所の高校に行って、そして今に至るという感じですね」
海が好きな奥田が鳩間島を選んだのはグーグルで検索した結果である。最初は海外に行こうとか、国内で一番遠い北海道に行こうかと考えていた。しかし、北海道は寒いなと思って沖縄にしたのである。
奥田が入った島根の全寮制の高校は3学年で50人。1学年が20人足らずだった。
奥田の飼いならされていない野生が育まれた背景である。
そんな奥田も、自民党を離党せざるをえなくなった武藤貴也が、シールズの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という利己的な考えに基づくと発言し、「どう思いますか」と何度も訊かれた時は辛かったという。
バカな発言をまともに取り上げるメディアにうんざりしたのだろう。
しかし、そんな大人ばかりではなかった。自発的に慶大名誉教授の小林節がやって来たのである。マイクを渡すと小林は口を開いた。
「こんなひどい雨の中で集団的自衛権に反対していると聞いて多少なりとも応援にと来ました」
神奈川新聞「時代の正体」取材班『時代の正体』(現代思潮新社)によれば、奥田はこの時のことをツイッターでこう振り返っている。
「小林節さん片手が少し不自由だから、マイク持ったら傘持てないんだよね。それ初め分からなくて、マイク持ってもらったらめっちゃ濡れちゃって。けど全く動じず話し出して、スピーチして。超堂々としてた。動画見たら分かるけど、メガネに水滴が垂れるぐらい雨降ってた中でだよ」
生まれつき左手の指がない小林は、いじめられ、したたかに孤独を味わってきた。その小林の言葉を引きながら、奥田はさらにつぶやく。
「疲れてるのもあるけど、もうこれ電車の中でボロ泣き。『君たちはひとりじゃない。エネルギーは正しい方向に向かっているよ、と励ましたかった。僕がひとりで闘ってきたから、余計にそう思うのかな』先生、俺マジで頑張ります」
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