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あたらしい憲法のはなし
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2015/09/post-bb86.html
2015.09.22 きっこのブログ
昨日9月21日(月)のTBSラジオ『Sasyuracom-22』の、日付けが変わった深夜0時からの「Session袋とじ」に、翻訳家の柴田元幸さん、憲法学者の木村草太さんがゲスト出演して、新刊『現代語訳でよむ日本の憲法』(アルク)の紹介をした。日本国憲法の「英語版」を、アメリカ文学研究家で翻訳家の柴田元幸さんが現代日本語に翻訳して、憲法学者の木村草太さんが法律用語を監修したものだ。
また、この本には、声優で舞台俳優の関俊彦さんが全文を読み上げたCDが付いていて、番組ではほんの一部を放送したんだけど、荻上チキさんがしきりに「いい声ですね〜♪」って感心していたように、とても素晴らしかった。
日本語と英語では表現がビミョ〜に違う部分もあるし、柴田元幸さんは「宇宙人の目」、つまり、「まったく予備知識や先入観のない目」で翻訳するようにつとめたそうで、あたしたちが知ってる日本語の日本国憲法とは、ずいぶんニュアンスの違ったものになってる。特に良かったのは、原文の「people」を「日本国民」ではなく「人々」と訳した点で、これによって「憲法が誰のものなのか」、「日本の主権はどこにあるのか」などがジンワリと感じられた。
放送を聴き逃した人は、以下の番組HPからポッドキャストで聴くことができるので、ぜひ聴いてみてほしいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?
TBSラジオ『Sasyuracom-22』 9月21日の「Session袋とじ」
http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/09/20150921session.html
2015年09月21日(月)「Session袋とじ」をポッドキャスティングで聴く
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20150921fukuro.mp3
‥‥そんなワケで、この『現代語訳でよむ日本の憲法』という本では、英文の日本国憲法を現代日本語に翻訳して読み直してみる、つまり、日本のことをほとんど知らない英語圏の人たちから見た日本国憲法、という視点もある。このように、同じものでも視点を変えて見てみると、新しい発見や気づきがある。そこで、あたしは、もうひとつの別の視点を紹介したいと思う。それは「子どもの視点」だ。
現在の日本国憲法は、昭和22年(1947年)5月3日に施行されたものだけど、その約3カ月後の7月28日に、文部省(現在の文科省)が子どもたちに向けて『あたらしい憲法のはなし』という教科書を作り、全国の子どもたちに教え込んだ。この教科書は、その後、昭和47年(1972年)に改定されて発行され、今から約10年前の平成16年(2004年)に第38版が出版されている。
子どもたちにも分かる言葉や表現で、日本国憲法の要点を解説してるので、大人であるあたしが読んでみると、いろいろな発見や気づきがあった。だから、ぜひ紹介したいと思った。まず最初の「一 憲法」は、「前文」にあたるもので、この日本国憲法そのものについて説明されていて、次の一節から始まっている。
「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。」
この章では、憲法が「國でいちばん大事な規則」であること、そして、「これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。」と明記されている。そして、次のように書かれている。
「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。」
この章の最後には、ここに書かれているのと違った憲法解釈をしてはいけない、もしも解釈を変えるのなら、今回と同じように国民全員の意見を聞くために選挙をしなければならない、と明記されている。そして、続く「二 民主主義とは」にも、次のように書かれてる。
「國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。」
「しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。」
‥‥そんなワケで、ここまでの冒頭の一部を読んだだけでも、安倍政権が今回行なったことが完全に「憲法違反」だと、憲法学者でなくても、子どもだって分かるだろう。以下、続く章の中から、大切な部分だけを抜粋して行くので、サクッと読んでみてほしい。子ども用に作られたものだから、これなら小学生レベルの国語力しかないどこかの総理大臣でも、きっと理解できると思う。
三 國際平和主義
「世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。(日本は)この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。」
四 主権在民主義
「國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。」
続く「五 天皇陛下」では、天皇が「國の象徴」であると書かれている。そして、次の「六 戰爭の放棄」は、とても大切な章なので、ちょっと長いけど、全文を紹介する。
六 戰爭の放棄
みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。
‥‥そんなワケで、これが、子ども用の「平和憲法」だ。これを読めば、「集団的自衛権」どころか、自衛隊の保有だって完全に憲法違反だということが子どもでも分かるだろう。だけど日本政府は、他国が武力で日本を侵略して来た時のみ、日本の領土内で日本国民を守るために最低限の武力が必要だとして、「日本の領土外では武力の行使はしない」ということを条件にして、自衛隊を設立した。ストライクゾーンのアウトコース低めギリギリに決まったスライダーとも言えるけど、審判の10人に8〜9人が「ボール!」と判定するであろう変化球だ。
「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」
こんなに素晴らしい憲法は、あたしは他にないと思う。これこそ日本が世界に誇れる憲法だと思うし、たとえ軍隊を持っても、その矛盾を世界から突っ込まれなかったのは、日本の自衛隊がPKOなどで海外派遣されても、決して武力を行使せずに、人道的支援に限った活動を根気強く続け来たタマモノだと思う。しかし、日本が「集団的自衛権」を行使するようになれば、国内的に「安倍政権の憲法違反」というだけの話では済まなくなる。日本を平和国家だと評価していた多くの国々や武力組織などから、日本もアメリカと同じ侵略国家だと見られるようになる。
‥‥そんなワケで、この先は、「七 基本的人権」、「八 國会」、「九 政党」、十 内閣」、「十一 司法」、「十二 財政」、「十三 地方自治」、「十四 改正」、「十五 最高法規」と続くんだけど、ぜんぶ取り上げてたら長くなりすぎちゃうので、今回の問題で一番重要な「十四 改正」を紹介して、終わりにしようと思う。全文を読んでみたい人は、最後に『あたらしい憲法のはなし』へのリンクを貼っておくので、アクセスしてほしいと思う今日この頃なのだ。
十四 改正
「改正」とは、憲法をかえることです。憲法は、まえにも申しましたように、國の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。
そこでこんどの憲法では、憲法を改正するときは、國会だけできめずに、國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。
まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。これを、憲法改正の「発議」というのです。それからこれを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになります。これを國民の「承認」といいます。國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。これを改正の「公布」といいます。あたらしい憲法は、國民がつくったもので、國民のものですから、これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。
『あたらしい憲法のはなし』(文部省)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
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