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あまり、自衛隊を災害救助で持ち上げるな。やって当たり前だ。それを救国の英雄みたいに持ち上げるから、アベが我が軍なんていうようになる。だいたい、自衛隊の災害救助を賞賛する連中は消防団や土建会社の災害救助に感涙の涙にむせぶなんて見たことが無い。ようするに救国のヒーローへの陶酔だ。
こういう事態を恐れて、かつて、左翼やリベラルの一部は自衛隊の災害派遣に異議を唱えていたのだ。
じっさい、国連のさまざまなPKO活動や海外での自衛隊の災害救助等が徐々に行なわれたが、それが正しかったとしても、今回の戦争法案への筋道をつけたのは明白だ。
恐ろしいのは戦争中の「兵隊さんよありがとう」みたいに、軍や警察を聖職中の聖職としてその職業を神聖化すると言う習性が日本人にはしみ込んでいる。戦中は子供でも兵隊さんはヒーローだと信じ込んでいた。それで、志願して戦死した少年兵も沢山いた。
それが、いつのまにか、武士に対する百姓のへつらいみたいになって、戦中の市民に対する暴虐となった。
消防署や他の災害対策の人たちのほうがプロだし、自治体間で消防のタスクフォースを制度化したほうがよほどいい。
これは自衛隊の災害救助を軽視しているんじゃなくて、災害救助の自衛隊を見て感動で涙が出たとか言う、ばかどもが増えていることへの警告だ。こういうやつらはいざ、自衛隊が安倍の法案で海外で戦死した時も提灯行列で感涙にむせぶだろう。それは、特攻隊を美化したり、靖国で陶酔している連中を見たら分かる。
連中は戦争の犠牲者を本当に悼んでいない。個人の命よりも大きな国家の威信に陶酔しているだけだ。いわく、お国の為に命を捧げて先人がこれだけいるのだから、如何に日本と言う国家は素晴らしく、その一部である自分もいかに誇らしい存在かと。
そこには理不尽に国家の命令で命を失ったり、殺された個人の無念への想いなど、つゆもない。ここに日本型の国家主義がナチスさえやらなかった特攻や切り込み等の人命軽視を当たり前とする恐ろしさが潜んでいる。
一方、欧米(最近アメリカは歯止めが外れたが)の軍隊観は軍隊は市民の命を守ることに命をかけるのが当然とする。それは安っぽい、感動話じゃなくて、シベリアンコントロールと民主制下の軍隊のあり方への共通理解と制度的規定があるからだ。だから、いざとなったら、市民を守って戦死する。ナチのドイツ軍だって、ヒトラーの命令を無視して避難民を逃がす為に戦い続けた。
一方、旧日本軍は満州や南方で日本市民を置き去りにしたことは有名な話だ。アベが安保法政で昨年、米艦に乗っている日本人母子の絵を見せて、後方支援を正当化したのに、中谷が今月、日本人避難民の米艦乗船も条件としないと言ったのが、現在でも残念ながら自衛隊のトップが市民の生命を守る為の戦力と言う自覚に欠けていることを物語っている。
従って、災害救助の自衛隊を認め感謝することはいい。
しかし、それに感動し、だから、そのヒーローたちが私たちの安全の為に海外派兵でも、何でもやってくれるのは正しくて、素晴らしいなどと言うのは間違いだ。
民主制や立憲制の手続きや制度的制御もへったくれも無い、日本国民にただようそんな感情論が、戦争法案(宣戦布告の規定も無い侵略法案と呼べ)をふわっとした憲法解釈で軽々と成立させつつある原動力となっているのを理性と政治制度への理解で戒めるべきだ。
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