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安保法制反対 大橋巨泉の「こんなモノいらない!」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150910-00000007-sasahi-pol
週刊朝日 2015年9月18日号
安倍晋三首相(60)が成立に追い込みをかける安保関連法案。8月30日には国会前など全国各地で大規模デモが開かれ、「NO!」の声が続々。タレントの大橋巨泉氏(81)も、「ハイアン!」と叫び続けようと主張する。
* * *
何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。これまで主として反対してきたのは、われわれ戦争を体験してきた世代であったが、すでに80の坂を越え、日に日に少数になってゆく。井上ひさし、菅原文太、愛川欽也と毎年消えてゆく。この10年間で4回のがんを体験したボクも、いつ彼らの後を追ってもおかしくない。焦りは日々つのる。
ボクらは「忠君愛国」「滅私奉公」と教わって育った。国のために命を捨てるのは当たり前と信じていた。だから特攻や人間魚雷は、崇高な行為だと思った。ところが戦後学んでみると、こうした行為を米国では、「日本人の狂気」と言って恐れていたという。
ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである。
竹槍こそ使わなかったが、本土決戦を本気で考えているうちに、東京大空襲から広島・長崎まで、何十万人という市民の命が、無意味に失われた。そして300万人の貴重な犠牲の上に、われわれは平和を手に入れ、戦争のできない憲法のもと、70年の繁栄を享受してきた。
いかに戦争が悪で、平和や自由が尊いか。若い人もようやくわかってくれたようだ。8月30日の大集会はインパクトがあった。こうした若者に対し、自民党の武藤貴也衆院議員が、「戦争に行きたくないので反対」というのは「利己的個人主義」と批判(※1)したのには驚いた。この人は36歳、若者である。ここにはすでに「滅私奉公」のメンタリティーが感じられる。デモの若者たちの発言は、「殺人したくないから反対」というのと同じだということがわかっていない。もう日本人は崖っぷちに立っているのだ。空気に流されやすい日本人は、戦争法制ができあがったら、後戻りできまい。何とか参議院で廃案にできないものか。それは「ハイアン!」と叫び続けることだ。継続こそが力なのである。
※1 7月30日、自民党の武藤貴也衆院議員(8月19日離党、現在無所属)が自身のツイッターに、学生団体「SEALDs」について、<「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは(略)、非常に残念だ。>と書き込んだ。
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