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IWJ Independent Web Journal
【スピーチ全文掲載】「何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」−−新宿・歩行者天国で大学4年の栗栖由喜さんがスピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/261975
12万人以上の市民が国会周辺を埋め尽くした翌週の2015年9月6日、今度は東京・新宿のショッピングエリアが安保法案に反対する1万2000人の人々でジャックされた。
歩行者天国を利用したこの街宣行動は、学生からなる「SEALDs」と「安全保障関連法案に反対する学者の会」の共催。人々が差す色とりどりの傘と、「戦争反対」「9条こわすな」「WAR IS OVER」などと書かれたプラカードの山で、雨の歩行者天国は華やかに彩られた。
「貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」
ステージに登壇した学生の一人、国際基督教大学4年の栗栖由喜さんがスピーチした。多額の借金をしながら大学に通っていることを告白しながら、栗栖さんは次のように続けた。
「この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない」
栗栖さんは、憲法や国民の声を無視してまでも法案の整備に急ぐ安倍政権を強く批判する。
「国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃない。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができない。『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです」
安倍総理は集団的自衛権の行使を「喧嘩」になぞらえてその必要性を説いた。また国会では法案の違憲性や集団的自衛権行使に対する歯止めについて、野党の追及に十分に応えていない。それを、「理論は崩壊し、議論な未熟」だと批判した栗栖さんは、「私たちは権力に対する沈黙を破る」と、知性と若さで抗う強気の姿勢を見せた。また、「人の死に対して無力であるからこそ」、武力ではなく「言葉」で戦う対話の道を選ぶべきだと訴えた。
以下、栗栖由喜さんのスピーチ全文とスピーチ動画を掲載する。
「こんにちは。国際基督教大学4年の栗栖由喜です。
テレビドラマや映画、演劇など、戦争を題材とした作品が普段より目立ち、ニュースでも戦争を特集した番組が良く放送される。日本各地では戦没者を追悼する式典が開催される、そんないつもの夏がすでに秋へと模様替えする町に霞んで、今年もまた過ぎ去ろうとしている。
戦争の時代を生きた人々の記憶を辿り、その傷跡に触れ、無残に散っていった数知れない命を思い、あのような歴史はもう二度と繰り返さないと、その決意を心に刻もうとする。けれど気づく。私たちはすでに二度目を初めてしまっている。
この国で終戦が宣言された後もずっと、沖縄は米軍の傘の下を生きることを強いられ、また、米軍基地と並んで佇む自衛隊の基地が意味すること。それは沖縄の人々の生がアメリカだけなく日本自身によっても踏みにじられているということです。
福島における原発事故の記憶は忘れ去られ、日本最大の活断層の上にある爆弾を私たちは動かし始めてしまいました。原発事故の問題を何一つ解決させないまま、東京オリンピックへと走り、オリンピックの準備が進む中で、中心から終焉への新たな差別と排除が始まるでしょう。
異なる国籍の人々に対するヘイト的な言動や難民申請者の強制送還、外国人労働者らに課せられる過酷な労働。路上でひっそりと死んで行くホームレスの人々に、私たちのうちの誰が、彼らのことを心に留めるのでしょう。
形こそ、70年前の大戦のようなものではないかもしれないけれど、未来永劫の平和を求めたはずの私たちは、繰り返さないと誓ったはずの歴史を繰り返すかのような社会の中にあります。
そして今、安倍政権は私たちが繰り返さないと心に刻んだあの戦争を真っ正面から出迎えるかのように、安全保障関連法案を急ピッチで成立させようとしています。
彼はこの国の最高法規である憲法を無視し、この国そのものである私たちを無視し、私たちの声を無視し、アメリカの甘いささやきにヨダレを垂らしています。自衛隊は『家族への手紙』という名の遺書を書かされ、戦争への準備をさせられています。彼らはこの国の国家権力によって、死の契約を結ばされているのです。
私は安倍さんに言いたい。私たちは戦争をするため、人を殺すために生まれてきたんじゃないんです。私たちは生きるために、それも、より良く生きるために生まれてきたんです。
その私たちが戦争をしたくない、人を殺したくない、死にたくないと思うことは何もおかしいことではないんです。自分に向かってきた攻撃から自らを守るため、武力や兵力を用いることは、もしかしたらやむを得ない場合だってあるのかもしれません。
しかし、自らが攻撃されていないにも関わらず、敵だと仮想して銃口を向けるなんて、もはや意味不明です。国家の安全保障における集団的自衛権や個別的自衛権の行使を、喧嘩なんかに例えようもないのは、その武力の行使によって何の罪もない多くの人々の命が犠牲になる可能性があるからです。
集団的自衛権はもちろん、個別的自衛権ですら、自衛のために起きた沖縄戦のことを思うと、簡単に認められるものではないと国家による武力行使によって、本当に自衛などできるのかと私は考えます。
私は専門家でも何でもないですが、国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃないと思っています。
なぜなら、そこには人の命がかかっているからです。富と権力への欲に頭が麻痺し、目が眩んでいる安倍さんには分からないかもしれませんが、金で人の命を買うことはできないんです。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができないんです。それに対して『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです。
私たちは人の死に対して無力です。しかし、それがもたらすものは絶望だけではありません。私たちは人の死に対して無力であるからこそ、武力ではなく対話の道へ進むことができる。武器ではなく、言葉を持って戦うことができるのです。
それが、それこそが人間の強さです。
私はこの間、初めて靖国神社を訪れました。靖国神社を参拝する安倍さんに対して言いたいのは、御国のために尊い命を捧げて死んでいった兵士たち。戦争の犠牲となり死んでいった罪なき人々に対して、本当に頭を下げる気持ちがあるのならば、あの惨禍を繰り返させはしないという決意と覚悟を持って、政治と外交を行なってくださいということです。
今の私たちにとって一番の脅威は安倍さん自身です。
今の安倍さんは、今に限らずいつの安倍さんだってそうですけど、私たちにとって暴力そのものであります。
彼によってこの国がどれだけの危機にさらされ、悲鳴をあげているか彼は気づこうともしていないでしょう。
私は今大学生で貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか安倍さんに教えてやります。
それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です。
安倍さんは喜ぶべきです。この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない。
私たちは権力に対する沈黙を破ります。安倍さんにとっては存立危機事態なのかもしれませんが、それはこの国にとってとても良いことだと思います。
戦後70年と言われる今なお、未だに戦後を生きることができない人たちがいます。国家の歴史に埋もれた、しかし、確かに存在する個々人の記憶。私たちはその声と叫びに耳を傾け、その教えを未来へと紡いで行きましょう。
私たちはただ、口をパクパクと開けて餌を待っている魚ではありません。意思ある生きた言葉と思考に基づいた行動によって確かな歩みを進めて行きましょう。
平和を希求し、より良く生きる努力をしましょう」(了)
【スピーチ全文掲載】「何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」−−新宿・歩行者天国で大学4年の栗栖由喜さんがスピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/261975
12万人以上の市民が国会周辺を埋め尽くした翌週の2015年9月6日、今度は東京・新宿のショッピングエリアが安保法案に反対する1万2000人の人々でジャックされた。
歩行者天国を利用したこの街宣行動は、学生からなる「SEALDs」と「安全保障関連法案に反対する学者の会」の共催。人々が差す色とりどりの傘と、「戦争反対」「9条こわすな」「WAR IS OVER」などと書かれたプラカードの山で、雨の歩行者天国は華やかに彩られた。
「貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか、安倍さんに教えてやります。それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です」
ステージに登壇した学生の一人、国際基督教大学4年の栗栖由喜さんがスピーチした。多額の借金をしながら大学に通っていることを告白しながら、栗栖さんは次のように続けた。
「この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない」
栗栖さんは、憲法や国民の声を無視してまでも法案の整備に急ぐ安倍政権を強く批判する。
「国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃない。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができない。『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです」
安倍総理は集団的自衛権の行使を「喧嘩」になぞらえてその必要性を説いた。また国会では法案の違憲性や集団的自衛権行使に対する歯止めについて、野党の追及に十分に応えていない。それを、「理論は崩壊し、議論な未熟」だと批判した栗栖さんは、「私たちは権力に対する沈黙を破る」と、知性と若さで抗う強気の姿勢を見せた。また、「人の死に対して無力であるからこそ」、武力ではなく「言葉」で戦う対話の道を選ぶべきだと訴えた。
以下、栗栖由喜さんのスピーチ全文とスピーチ動画を掲載する。
栗栖由喜さんのスピーチ全文
「こんにちは。国際基督教大学4年の栗栖由喜です。
テレビドラマや映画、演劇など、戦争を題材とした作品が普段より目立ち、ニュースでも戦争を特集した番組が良く放送される。日本各地では戦没者を追悼する式典が開催される、そんないつもの夏がすでに秋へと模様替えする町に霞んで、今年もまた過ぎ去ろうとしている。
戦争の時代を生きた人々の記憶を辿り、その傷跡に触れ、無残に散っていった数知れない命を思い、あのような歴史はもう二度と繰り返さないと、その決意を心に刻もうとする。けれど気づく。私たちはすでに二度目を初めてしまっている。
この国で終戦が宣言された後もずっと、沖縄は米軍の傘の下を生きることを強いられ、また、米軍基地と並んで佇む自衛隊の基地が意味すること。それは沖縄の人々の生がアメリカだけなく日本自身によっても踏みにじられているということです。
福島における原発事故の記憶は忘れ去られ、日本最大の活断層の上にある爆弾を私たちは動かし始めてしまいました。原発事故の問題を何一つ解決させないまま、東京オリンピックへと走り、オリンピックの準備が進む中で、中心から終焉への新たな差別と排除が始まるでしょう。
異なる国籍の人々に対するヘイト的な言動や難民申請者の強制送還、外国人労働者らに課せられる過酷な労働。路上でひっそりと死んで行くホームレスの人々に、私たちのうちの誰が、彼らのことを心に留めるのでしょう。
形こそ、70年前の大戦のようなものではないかもしれないけれど、未来永劫の平和を求めたはずの私たちは、繰り返さないと誓ったはずの歴史を繰り返すかのような社会の中にあります。
そして今、安倍政権は私たちが繰り返さないと心に刻んだあの戦争を真っ正面から出迎えるかのように、安全保障関連法案を急ピッチで成立させようとしています。
彼はこの国の最高法規である憲法を無視し、この国そのものである私たちを無視し、私たちの声を無視し、アメリカの甘いささやきにヨダレを垂らしています。自衛隊は『家族への手紙』という名の遺書を書かされ、戦争への準備をさせられています。彼らはこの国の国家権力によって、死の契約を結ばされているのです。
私は安倍さんに言いたい。私たちは戦争をするため、人を殺すために生まれてきたんじゃないんです。私たちは生きるために、それも、より良く生きるために生まれてきたんです。
その私たちが戦争をしたくない、人を殺したくない、死にたくないと思うことは何もおかしいことではないんです。自分に向かってきた攻撃から自らを守るため、武力や兵力を用いることは、もしかしたらやむを得ない場合だってあるのかもしれません。
しかし、自らが攻撃されていないにも関わらず、敵だと仮想して銃口を向けるなんて、もはや意味不明です。国家の安全保障における集団的自衛権や個別的自衛権の行使を、喧嘩なんかに例えようもないのは、その武力の行使によって何の罪もない多くの人々の命が犠牲になる可能性があるからです。
集団的自衛権はもちろん、個別的自衛権ですら、自衛のために起きた沖縄戦のことを思うと、簡単に認められるものではないと国家による武力行使によって、本当に自衛などできるのかと私は考えます。
私は専門家でも何でもないですが、国家の安全保障の問題はとても複雑で、理論は崩壊し、未熟な議論のままで決定できるようなそんな単純なことじゃないと思っています。
なぜなら、そこには人の命がかかっているからです。富と権力への欲に頭が麻痺し、目が眩んでいる安倍さんには分からないかもしれませんが、金で人の命を買うことはできないんです。
この世の全ての富を手に入れても、死んでしまった誰一人の命も私たちは生き返らせることができないんです。それに対して『私が責任を取る』ということがどんなに無責任で残忍なことであるのか、安倍さんはしっかりと認識すべきです。
私たちは人の死に対して無力です。しかし、それがもたらすものは絶望だけではありません。私たちは人の死に対して無力であるからこそ、武力ではなく対話の道へ進むことができる。武器ではなく、言葉を持って戦うことができるのです。
それが、それこそが人間の強さです。
私はこの間、初めて靖国神社を訪れました。靖国神社を参拝する安倍さんに対して言いたいのは、御国のために尊い命を捧げて死んでいった兵士たち。戦争の犠牲となり死んでいった罪なき人々に対して、本当に頭を下げる気持ちがあるのならば、あの惨禍を繰り返させはしないという決意と覚悟を持って、政治と外交を行なってくださいということです。
今の私たちにとって一番の脅威は安倍さん自身です。
今の安倍さんは、今に限らずいつの安倍さんだってそうですけど、私たちにとって暴力そのものであります。
彼によってこの国がどれだけの危機にさらされ、悲鳴をあげているか彼は気づこうともしていないでしょう。
私は今大学生で貸与の奨学金を受けながら大学へ通っています。私は高校の時から奨学金を貸与しながら学校へ通っているのですが、何百万という借金をしながら何を学んでいるのか安倍さんに教えてやります。
それは抑圧者の権力に抗い、それと戦う知性です。
安倍さんは喜ぶべきです。この国には知を身につけ、権力に隷属しない批判的な思考力を養う多くの学び者がいるのです。この国は教育を受けるのにお金がかかりすぎますが、この国の教育はまだ死んでない。
私たちは権力に対する沈黙を破ります。安倍さんにとっては存立危機事態なのかもしれませんが、それはこの国にとってとても良いことだと思います。
戦後70年と言われる今なお、未だに戦後を生きることができない人たちがいます。国家の歴史に埋もれた、しかし、確かに存在する個々人の記憶。私たちはその声と叫びに耳を傾け、その教えを未来へと紡いで行きましょう。
私たちはただ、口をパクパクと開けて餌を待っている魚ではありません。意思ある生きた言葉と思考に基づいた行動によって確かな歩みを進めて行きましょう。
平和を希求し、より良く生きる努力をしましょう」(了)
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