45. 2015年9月09日 17:04:41
: Sop2IyaDbo
国会審議が明らかにした与党の怠慢と野党の非見識 世界の変化が見えない政治家が戦争を引き起こした歴史に学べ 2015.8.25(火) 横地 光明 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44580衆議院本会議、安保法案を可決 国民に怒り広がる 国会議事堂前で、衆議院平和安全法制特別委員会が可決した安全保障関連法案に抗議するデモに参加した市民団体のメンバー(2015年7月15日)〔AFPBB News〕 http://www.afpbb.com/articles/-/3054700?pid=16178580&ref=jbpress 安保法制の国会審議は参議院における熱い夏の陣に入った。 政府与党はますます緊張を増すアジア国際情勢のもとで我が国の安全を確保するためには、日米同盟を強化し、ASEAN(東南アジア諸国連合)ならびにオーストラリアなどと連携する必要上、集団的自衛権の一部の行使が不可欠でありそれは合憲であるとし早期成立を期す。 これに対し、野党は政府の施策は立憲主義に反して納得できないし国民の多くが反対であり、歴代の内閣・内閣法制局が守ってきた最も重要な憲法解釈の変更を一内閣が勝手に変更すべきでない、あるいはこの暴挙は平和憲法の根本を崩すもので決して許されず必ず廃案に追い込むと息ばんで対決姿勢を露わにしている。 学会では憲法学者を中心に明確な違憲であり、解釈変更は法の安定性を損ない戦後政治の基本を揺るがすとし、マスコミ・進歩的文化人は「徴兵制」「治安維持法」まで持ち出して国民を怖気づかせ、世界に誇る平和憲法を壊し戦争への道に逆送するもので決して許せないと反対の声を大きくしている。 このため一般国民の中にもこの影響を受け、戦争反対・戦争をする国にするなと抗議行動を展開している向きもある。 問題の根源は本音と建て前の使い分け この安全保障を巡る我が国および社会の分裂的現象の根源は、第1には政府・与党側が国政の紛糾を回避しようとし本音と建前を使い分け、なぜそれが必要かの本当の背景を言わず、またそのための負担とリスクをはっきり明言し国民に覚悟を求めないからだ。 野党にそれでは戦争するのかと聞かれても「自衛権を発動する」と答え、一般用語の自衛戦争という言葉を避けるのでこのため国民に国家国民の命をかけて国を守る危機感と決意が生まれてこない。 加えて野党も、国民の戦争反対姿勢を利用し、政府の本音と建前の矛盾追及のみに走っている。 憲法学者は自己の学問的視点にのみにこだわり現実の日本国家と国民の安全保障の具体策構築に考慮を露も顧みず、マスコミ・進歩的文化人達も実際の国際社会の変化の実態を知りつつも、特殊な環境で成立した憲法の観念的価値感のみを礼賛し、事情変更に伴う解釈の変更の必要性に頬被りして専らガラパゴス化したステレオタイプの情緒的ポピュリズムに流れている。 政府与党に求めたいこと 急激に台頭する中国は、当面西太平洋とアジアを支配下に置こうとして、力を背景に既存秩序に挑戦しつつある。 その増大する軍事力に日本だけでは到底対応できないばかりか、力を減衰しつつある米国もかつての一極支配の面影は既になく、中国に対抗するための欧州、中東からアジア太平洋への兵力のリバランス計画も情勢上頓挫し、単独での対応が困難になりつつある。 このため、米国は日本、ASEANおよび太平洋州諸国と連合して中国に対応せんとしているが、ASEANと太平洋周諸国が連合するためその地域リーダーの日本の先駆的行動が求められる。 このため米国は、アジア太平洋における軍事作戦には自衛隊の支援協力が欠かせないとし、かねて「日米防衛協力を実効あらしめるには日本の集団的自衛権の行使が不可欠だ」(リチャード・アーミテージ元国務副長官)と主張してきた。 あるいは「日本の集団的自衛権行使は憲法違反だとする意見が日米防衛協力の障害になっている」(議会調査局)と叫んできた。 しかし、ここにきて中国の攻勢が強まったことで、米軍と自衛隊の相互連携を可能とする日本の集団的自衛権の行使の必要性が喫緊の課題となってきた。 この具体的事例をいくつか挙げれば。例えば米国は戦略ミサイルによる本土攻撃を極端に恐れ、進歩を遂げつつある北朝鮮の長距離ミサイルに備え日本周辺海域にイージス艦の配備を行っているが、イージス艦は弾道ミサイル対処時には航空機・ASMに対処困難で、この防護を海自に期待しなければならない。 また、世界の原油の大動脈維持を阻むホルムズ海峡の機雷敷設によるシーレーン断絶は単に日本の経済的存立危機をもたらすだけでなく世界経済の大混乱を来す恐れがあり、またその奥のペルシャ湾内バーレーンに位置する第5艦隊司令部の機能不全化の憂いを生ずる。 このため米英海軍はこれを恐れ毎年30カ国の海軍と合同掃海訓練を実施しているが、これを指導するのは最高の掃海能力と経験を持つ海上自衛隊であり、万が一の事態が生起すれば、米国が最も期待するのは海自なのである。 また国連の要請あるいは有志連合軍として米軍が日本の国益がかかる地域で作戦行動を実施する場合、海外派兵の許されない同盟国日本に可能な限りの戦闘以外の支援を要請してくるのは当然である。 このため、米軍は直接の戦闘でない兵站支援をより実質的に行うことを求めてきている。ここにおいては燃料補給はするが弾薬補給はできない、出撃作戦機への給油は作戦と一体化するからできないなどの日本独特の論理が通ずるはずがない。 なぜなら作戦は戦闘とこれを支える情報・兵站(後方)・人事・広報・警備・救助からなり、機能で分けて理解することは可能だが、これらが一体となり作戦が成立するから、初めから地理的距離関係で兵站活動が武力の行使と一体になるとかならないとかの論議は全くの空論でしかないのだ。 また兵站活動は本来的に脆弱鈍重で空爆ミサイルの目標になりやすく、特殊部隊などの攻撃に晒されやすいリスクを抱えている。従って政府は以上の背景を隠さずに国民に率直に訴えなければならないのだ。 日米安保は相互の国益の上にのみ存在し得る 日米安全保障条約は集団的自衛権を根拠に成立しているから、日本の領土と日本国民の生命財産を守るためには米国青年の血を流してもらうが、米国のために日本青年の血を流したくないのでは日米安保は瓦解する。 日本はその代わり基地を提供しているから双殺されていると主張する向きもあるが、それは現在の戦略環境には適応しない論理だ。 それが適応されたのは米軍が圧倒的に強く米軍が日本の基地に存在するだけで、日本の安全が保障され、米国のアジアにおける国益が守られた国際情勢当時の話で、現今のように強い国際緊張が生じ日本の安全と米国のアジアの国益の擁護には軍事力の行使も覚悟しなければならない事態では全く通用しない。 従って日米は同盟関係を維持するためには可能な軍事的相互支援を負担しなければならないのである。 もし日本が集団的自衛権の行使を拒否し、今後も一方的受益者を望み続ければ日米安保はやがて日英同盟の轍を歩み解消も覚悟しなければならないだろう。それでもよいのだろう。 言うまでもなく、明治維新で開国し近代化に乗り出したばかりの弱い日本は、強大なロシア帝国の極東支配の野望を阻止するため、国益を共有化した英国と同盟を結びその絶大な支援とこれにつながる米国の支援で勝利し、一躍世界の列強への地位を築いた。 そして第1次世界大戦が始まると連合国側に立ちドイツの青島要塞を攻略し、中部太平洋の広大なドイツ植民地を占領して莫大な利権を手中にしたが、英国がドイツ帝国軍に苦戦を強いられ、日本に軍事支援を強く要請してきても、海軍は駆逐艦主体の特別艦隊を地中海に送ったが陸軍は「建軍の本義に戻る」として派兵を拒絶した。 このため、英国は日本に不信感を生じ日英同盟の価値を疑い出し、これが米国に利用されて新たに結ばされた日、英、仏、米の4カ国条約を名目に日英同盟は破棄され、日本は孤立化と日米対決への坂を転がり落ちた。 日米同盟はあるのが当然のごとく考える向きもあるようだが、国益を共にできなければ明日にでも解消され放り出され見捨てられる。これが国際関係の常なのだ。 一般社会でも国際社会でも孤立化ほど危ない道はない。例にするのは適当ではないが、少年のいじめによる悲惨な事象が報道されるが例外なく孤立化した者が狙われている。 そして、これらの我が国安全保障上必要な新たな任務が自衛隊に課せられれば、自衛隊の責務は拡大し、自衛員のリスクが増大するのは明らかで、政府はこれを率直に認め覚悟して自衛隊の新たな任務に従事する自衛官・自衛隊への至当な国家的施策を確立しなければならない。 政府が建前と本音を使い分け、野党もこれを非難するだけでは危険に身を投ずる自衛隊は浮かばれない。もしそうであればやがては自衛隊が存否の危機を迎えるだけでなく終には日本国家・国民が存立の関頭に陥るのを避け得まい。 野党に求められるもの 野党と雖も国民の選良たる国会議員であり、現下の国際情勢の下では、今日までのままで国の安全が保て得ないことを理解しないはずがない。 また野党は過去にも憲法の安全保障に関する解釈変更(自衛権の有無・戦力及び文民の定義)が、当時の内閣の手で行はれ、さらに集団的自衛権の行使には国会の事前審議が義務づけられ、時の内閣の手で際限なく恣意的に行われるものでないことを知りつつ、国民の反対論を利用し、政府の説明の本音と建前の矛盾を突いて、もっぱら与党に打撃を与えようとしているように見える。 されど、民主政治体制下においても、政治家は一度選ばれて国政に参画すれば、国民の意を尊重しながらも、客観情勢から国民の一歩前に立って国民を啓蒙する責任もあろう。 日本の安全法制問題とギリシャの財政危機問題を同日に論じえないが、ユーロ圏首脳会議の要求する緊縮政策に反対して国民の支持を集めてギリシャ政権を握ったアレクシス・ツィプラス率いる急進左翼連合は再びこの要求が示されると国民投票にかけて反対を勝ち取ったが、交渉でさらに厳しい改革案を突きつけられると、国際情勢の現実に即し逆に国民の反対を押して国家国民のためとして国会でこれを受け入れ、国家破産の道を避ける選択を断行した。 この英断可否の能力こそが政治家・政党の存在意義であろう。 憲法学者、進歩的文化人・マスコミに求めたいこと 衆議院における安全保障関連法案審議は、意図しない憲法審査会における3人の参考人の憲法学者に対する民主党委員からの集団的自衛権に関する質問に対する反対表明によって、思わず大きな火の手が挙がった感がある。 憲法学者は多年教わり研究し教えてきた学問的信念の一貫性を表明したのであろうが、憲法制定当時想定した安全保障感「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我等の生存を保持しようと決意した」が現国際情勢と著しく乖離し事情変更の背景を十分に認識しながらも、そのための政策樹立は我々の関与するところではないとしているようだ。 彼等の1人が現実を顧みず「その政策が必要なら憲法改正の手続きを取れ」と言い放つったことがまさにこれを証明している。 また「砂川事件」の第一審で「違憲」と判決した伊達東京地裁裁判長が記者会見で「それでは国の安全はどうなるのかとの非難を受けるだろうが、それは政治家の責任だ」と言ったが、これら憲法学者や裁判官の学理が国民の安全保障感を歪め、政府の現実的安全保障政策を阻害するとしたらそれは国家の不幸でしかない。 国家の各権力サイドが部分最適に集中したら一体統一体の国家はどうなのか。憲法解釈への事情変更の原則適用には諸論があるが、憲法の想定する世界観と現実があまりにも乖離ししかも憲法改正手続きが事態に相応できない場合に「事情変更の原則適用」を否定するのは「信義衡平の原則」に戻るものではないか。 進歩的文化人の発言にも国民迎合のポピュリズムに驚きを隠せないものがある。ある有名ジャーナリストは国会で「アメリカに組みして中東でその作戦行動に関与すればISから敵とみなされ、日本の安全な新幹線がテロの対象になる」と証言した。 これではあたかも「警察の暴力団制圧運動に協力すると、暴力団から狙われるぞ」と社会悪との戦いに参加する善良な市民の努力に水を差す無責任な意見で肯定できない。 同様にあるNGOの関係者が「日本は中立的平和政策で知られ、イスラム過激派からも狙われず安心して活動できたが、今後アメリカと組めば敵とみなされ活動が危険になるので反対だ」とTVで語っていたが、これは私人の任意の活動と国家と全国民の安危生存にかかわることを同一に考える主張で公正を欠きははなはだしい誤りだ。 また安倍政権の安保政策を極端に誹謗する元内閣官房副長官補は「アメリカについて中国に対抗すれば日本は中国の中距離ミサイルで真っ先に攻撃される」とあたかも米国との同盟が危険なように説いているが、これはまさに中国の日米分断の策に嵌る主張で、安倍政権の進める勢力均衡論と真っ向から対立するもので、日米関係の信頼性を甚だしく損なう主張だ。 氏は中立国ベルギーが真っ先に攻撃された歴史を御存じないのだろうか。さらに極めて高名な尼僧の作家も「美しい憲法を壊す安倍首相は世界の恥だ」だと宣たようだが、情緒的論法で、現実の重い政策を担う首相を中韓国以外非難せずむしろ支持しているのを顧みず非難して国民を誤らせる発言こそが国民としての恥ではないのか。 マスコミも、反対論を大きく報じその拡大に焦点を置いているようだが、1つだけ挙げておくと、某有力紙は憲法学者への調査結果として「209人中119人が違憲または違憲の疑いありと回答し、合権論者はわずかに2人だった」と報じた。 しかし、彼らの中には自衛隊の存在はもちろん個別的自衛権さえ違憲と主張する者が60%以上、憲法改正反対者が80%以上と言われており別段驚かないが、違憲または違憲の疑いと回答した人の中の38人が匿名なのはどう解釈すべきものであろうか。さらに40%近い90人の学者が無回答なのは某紙の調査の狙いを警戒してのことではないだろうか。 また、NHKも日本公法学会会員学者1.146人にアンケートを行い「回答者422人中377人が違憲または違憲の疑いとありとし、合権とするは僅かに28人であった」と報じたが。しかし、賛否を明らかにしない無回答者が722人(61%)もあったのは、どんな意味を持つのか。またこれは意図外の利用を警戒したものではないのか。 我々は冷静に 一般国民はマスコミに踊らされ、「戦争反対」はともかく「やがて徴兵制がくる」「治安維持法だ、軍国主義復活だ」などの荒唐無稽な杞憂に陥ってはならない。 国民が戦争に反対し平和が失われることを懸念するのは当然である。しかし問題は目的は同じでも、平和をどう確保するかの方策なのだ。 時代と情勢が変化すればその必要な具体策は変らなければならず、それが問題なのである。戦後の国際感覚のままで平和憲法擁護を叫び平和を愛する諸国民公正と信義を信頼しただけで現在の国際状況下では日本の生存は国際社会から保証されることはなく、そこには具体的な安全保障の実態が講ぜられなくてはならないのだ。 ダーウィンは言った。「生き残れるのは強い種でなく環境に適応できる種だ」と。我々はこの適者生存の原理を忘れてならない。このため我々は生存をするために変わらなければならのだ。 有名なアニメ監督が「中国の軍事的進出は武力では止められない。平和憲法こそが大事だと」と言ったが、それではフィリピンが平和憲法を持てば中国は武力で占拠した南沙諸等島を平和裏に返還するとでも考えるのであろうか。 現実世界の国際関係にはおいては「力は正義でないが正義は力」なのである。安倍政権が無法に屈しない姿勢を取り、安全保障政策を強化し始め、虚報には事実をもって反論し始めてから中国・韓国が対日姿勢を変え始めたことはその証左であろう。 またまさかの事態の発生に鑑み「最悪に備え最善を期待する」ことが賢明であり、これが古来「治に居て乱を忘れず」「平和を欲すれば戦争に備えよ」と言われてきたゆえんである。 安倍首相がTV番組で、今次の安保法制は「自宅に隣接するアメリカ人の離れが火事にあったら消火に協力するようなものだ」と説いたら、野党議員が参議院審議でこれを強く非難したが、あくまで仮定の話だ。 例え話を続けては恐縮だが、治安が悪化すれば戸締りを固くし、地震の予想発生率が高くなれば、地震保険を見直すのは当たり前だ。 制限速度を守らず信号を無視して交差点に突っ込む無謀運転が増えているのに交通安全運転を呼びかけるだけでは済まず、安全保障でも「備えあれば憂いなし」の格言に従って對策を講ずべきことに変わりはない。 重ねて言うが孤立化が最も危険であるし、情勢の変化を顧みず環境の変化への対応を拒否する者に未来はなく、国内ばかりを見て権謀術数の渦巻く世界情勢に目を閉じるガラパゴス人には日本の将来を任せられない。 つらつら思うと、長く政権を担って来た自民党政権が、「自衛隊は戦力でない」などの建前的空論で憲法に対してきたつけがここにきて噴出したのだ。憲法9条2項の「前項の目的を達するため」の以外(すなわち自衛戦争のため)戦力だとなぜ言わなかったのだ。建前論はいずれ重大な袋小路に陥ることを悟らなければならない。 ともかく、抑止力を高め戦争を防止し平和を守るため、一刻も早い今次安保法制の成立が求められる。 |