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新国立競技場計画を迷走させた5人の男 すったもんだの末、白紙撤回〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150908-00000000-sasahi-soci
AERA 2015年9月7日号
すったもんだの揚げ句、首相の鶴の一声で計画が白紙になった新国立競技場の整備計画。今月に入ってデザインなどの再公募を始めたが、迷走を始めた発端は6年前の北欧にあった。(ジャーナリスト 山田厚史、青柳雄介)
建設計画が大きく揺らいでいる新国立競技場。その現場はいまどうなっているのか、行ってみた。
JR中央線の千駄ケ谷駅から東へ歩いて5分ほど進むと、白っぽい木の塀で覆われた国立競技場跡地が視界に入ってくる。重機のうなるような低い音が響く。メインゲートがあった千駄ケ谷門は、工事車両の出入り口になっていた。
1月から始まった解体工事は、今月末で終わる。囲いの隙間からのぞくと、スタンドなどの建物はすべて取り壊され、ブルドーザーが土を掘り起こしていた。
「周辺にある高い木960本のうち740本を伐採する」
国立競技場建て替えの事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は言う。
土ぼこりが舞う周辺に人通りはほとんどなく、寂寥感と殺伐とした雰囲気が漂っていた。
旧競技場の解体工事は着々と進むが、新競技場の建設計画は足踏み状態。政府はどこでかじ取りを誤ったのか。
「コペンハーゲンの敗退」が迷走の起点という指摘がある。
2009年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれたのがコペンハーゲン。ここで16年五輪の開催地はリオデジャネイロに決まった。
●誘致勝つには巨大スタジアム
民主党の文部科学副大臣(当時)として乗り込んだ鈴木寛はこう感じた。
「8万人収容のスタジアムがなければ誘致競争の土俵にも上がれない」
東京都が東京湾岸地域に予定した新スタジアムは、収容人数こそ最大10万人とうたっていたが、内実は安藤忠雄の絵コンテが示された程度の段階で、誘致の意欲を示すには力不足だった。
2年後に始まった再度の挑戦で、JSCは20年五輪に用意するスタジアムは建設費1300億円と決める。今と比べるとつつましく思える額だが、当時の常識を突き抜ける大盤振る舞いだった。ところが翌年に国際コンペが行われ、ザハ・ハディドの案に決まると工費は3千億円超に膨らんだ。
デザインが奇抜、工事が複雑、資材費が高騰……。理由はいろいろあるが、見落とされている問題がある。新国立競技場の規模である。他国の五輪スタジアムに比べ、けたたましく大きい。
ザハ案で延べ床面積は29万平方メートル。他国を見てみよう。12年のロンドン大会の競技場は10.9万平方メートル(建設費650億円)、00年のシドニーは8.1万平方メートル(同460億円)。他の先進国の主会場を三つ合わせた規模は、スタジアムの戦艦大和とでも言うべきものだ。
弱いとされる交渉力を補うためインパクトの強いデザインが必要だった、という声もある。
実際「29万平方メートル」は宣伝用だった。東京開催が決まると、JSCはデザインを修正。カブトガニに似たスタジアムの尻尾の部分を切って規模を22万平方メートルに削り込んだ。それでもロンドンの2倍超。8万人収容は同じなのに、なぜ規模が2倍になるのか。ここに新国立競技場の謎が潜んでいる。
●成熟国家らしい先進競技場に
12年3月、JSC理事長、河野一郎の私的諮問機関として「国立競技場将来構想有識者会議」が設置された。選ばれた14人の有識者の中に、コペンハーゲンで涙をのんだ3人がいた。都知事(当時)の石原慎太郎、元首相の森喜朗に鈴木。この3人と建築家の安藤、そして河野が中心となって新競技場の基本コンセプトが煮詰まってゆく。
「開催は神宮で」という基本線は石原と森で合意されていたという。これには都知事選が絡む。五輪招致に敗れた石原は4選に消極的だった。「知事になって五輪をやると宣言してください」と説得したのが日本ラグビーフットボール協会長だった森だ。
ラグビーはワールドカップ(W杯)を19年、日本で開催することが決まっていた。しかし、国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)が求める8万人収容スタジアムが、東京にない。五輪という「錦の御旗」を立てて、国立競技場を建て替えようという思惑が見え隠れする。
「政治的な仕切りは森、基本コンセプトを描いたのは鈴木、実務の差配は河野、という分担だった」
事情を知る関係者は言う。河野は学生時代ラグビー選手でスポーツ医療に携わる傍ら、強化推進本部長を務めるなど、日本ラグビー協会に深くかかわり、森に引き立てられていた。
鈴木は旧通商産業省の官僚だったころから、政策通と言われていた。
「1964年の五輪は工業化で復興を成し遂げた日本のハードレガシー(遺産)を残す意義があった。2020年は成熟国家にふさわしいソフトレガシーを後世に継承することに意義がある」
鈴木はこんなビジョンを掲げ、新競技場をスポーツにとどまらずエンターテインメントや、ITを使った映像技術の発信基地にする方向で議論を主導した。
基本コンセプトは「多目的利用のスタジアム」。三つのワーキンググループ(WG)が有識者会議に設けられた。
競技団体の要望を取りまとめるスポーツWGは、日本サッカー協会名誉会長の小倉純二が率いた。作曲家の都倉俊一は文化WGを担当。両者の希望を競技場に取り入れる作業は安藤の施設建築WGが担当した。夢いっぱいのアイデアが競技場の規模を膨らませた。
22万平方メートルとされた巨大な建築物の中をのぞいてみよう。
●面積は2倍でも収容人数は同じ
競技場に欠かせないグラウンド・トラックなどは2.6万平方メートル、観客席が8.5万平方メートル。控室など関連機能を合わせた競技場としての機能は合計で約12万平方メートル。全面積の半分強しかない。ロンドンやシドニーではこの大きさで8万人以上の競技場が成り立っている。
新国立競技場が抱える残りの半分、ここに「多目的競技場」の秘密がある。運営本部、会議室、設備室などの維持管理機能2.5万平方メートル、駐車場3.5万平方メートル、VIPラウンジ・観戦ボックス・レストランなどホスピタリティー機能2万平方メートル、ショップ・資料室・図書館などスポーツ振興機能1.5万平方メートルなどだ。
競技場をにぎわいのあるビジネス拠点にしよう、という考えが下地にある。
8万人を動員する国際大会は、多くても数年に一度だろう。国内の陸上競技は開催回数が少なく、集客に限りがある。サッカーや野球なら人が集まるが、年間の利用枠を埋めるには十分ではない。
日本武道館や東京ドームでやっているようなコンサートやイベントで切れ目なく会場を埋める。開閉式の屋根を採用したのもそのためだ。雨天を気にせず、数万人を動員できるミュージシャンを外国から呼ぶこともできる。
そんな興行には、映像技術が不可欠。大型スクリーン向けの映像は日本が得意とする技術だ。映像を遠隔地から送信して大勢で見るパブリックビューイングや、3Dで立体的に見える映像配信のための装置を配備する。結婚式やパーティー、国際会議にも使えるようにする。
●屋根あれば帰宅難民も安心
「屋根つき」に鈴木がこだわった理由がもう一つあった。3.11の教訓だ。帰宅難民の対策に追われた。大学などの施設を開放し家に帰れない人々を受け入れた。都内は震度5でも大混乱だった。首都直下型が起きたらこんなものでは済まない。新競技場は50年は使う施設だ。その間に大災害が起こる可能性は大きい。東京のど真ん中に20万人が避難できる巨大なテントがあったら、どれだけの命が助かるか。
通常はにぎわいのある多目的スタジアムで収益を稼ぎ、災害が起これば巨大シェルター。新競技場のコンセプトはどんどん五輪から離れていった。こうしたアイデアは競技場問題を仕切るごく一握りの人たちの間では共有されたが、アスリートや納税者と議論を交わすことはほとんどなかった。新国立競技場をどのような目的で建てるのか。一番大事な論点が政府や国会、国民の間で共有されずに、計画は静かに進んでいった。
今年になって、3千億円を超える建設費案が明らかになると、JSCや、監督官庁である文科省に世論の批判が集中。その結果、焦点は「建設費はどこまで削減できるか」に移り、どんな競技場にするか、という問題の根本はまた、置き去りにされた。
「白紙撤回なら基本コンセプトから見直すのが筋だ。時間がないというだけで本質的な議論をあいまいにするのはおかしい」
自民党行政改革推進本部長の河野太郎は指摘する。
●アスリート第一出たのは最近
1550億円にしたことで床面積は13%減の19.5万平方メートルになった。それでもロンドンやシドニーの2倍近いのは変わらない。
旧計画の白紙撤回を政治判断した首相の安倍晋三は、8月の関係閣僚会議で「アスリートファースト」を強調した。そんな言葉が出るほど、これまでは競技に励む人たちの声は届いていなかった。元東京都副知事の青山やすし(※)は言う。
「旧競技場は、五輪スタジアムで競技した手応えと誇りを、全国の子どもたちが味わえる場として、スポーツ文化を育んできた。その伝統は大事にすべきです」
トップアスリートや協会役員ではなく、草の根のスポーツ人口の底上げに競技場を使うなら、VIP席や宴会場はいらない。だが19.5万平方メートル、1550億円という規模は「多目的スタジアム」の構想を捨てていないように映る。
そもそも、建設費は1550億円に収まるだろうか。
内閣官房の資料によると、スタジアム本体1350億円、人工地盤や空中歩道など周辺整備が200億円、合計1550億円となっている。ただ、いずれの数字も「程度」という言葉が付け加えられ、あいまいさを残している。
「デザインや設計が決まっていない段階で出せる数字は、目安でしかない。政府の事情で削った分だけ業者のリスクは高まる」
建築関係者は打ち明ける。ギリギリまで粘って白紙撤回になっただけに工期もギリギリだ。震災復興などの工事が重なり、資材費も人件費も高騰している。
さらに、内閣官房の資料をよくみると、関連経費という項目が別に計上されている。計283億円。これらを1550億円に足すと、実際の費用は1833億円になる。
内訳はこうだ。設計・監理等40億円、解体工事費55億円、日本青年館・JSC本部棟移転経費174億円、埋蔵文化財発掘調査費14億円。これらは何を指すのだろうか。
旧競技場南側の代々木門近く。ホテルやコンサートホールを備えていた日本青年館もその姿を消した。2年後、100メートル南に場所を移し高さ70メートル、16階建てに生まれ変わる。
実はこの建て替えこそ、永田町界隈で「五輪便乗焼け太り」といわれる案件だ。
日本青年館は全国にある青年団の総本山ともいえる施設で、所有者は財団法人日本青年館。明治神宮の造営に各地の青年団が貢献したことで建設が許され、1979年に改築された。
その築36年のビルを新競技場の周辺整備と称し、税金を使って建て直す。4フロアをJSCが本部として使う。先に書いた移転費174億円にこの事業が含まれている。青年団を出身母体とする自民党政治家は少なくない。今回の建て替えでも自民党の有力議員が動いた、と言われている。
しかも、この周辺はもともと、建物の高さは15メートルまでと規制されていた。都市計画法が定める風致地区として、自然の景観や住環境を維持するため建物の建築や木の伐採などが制限されていたのだ。それが、神宮外苑再開発に伴い、高さ制限と容積率が緩和された。
●便乗焼け太り 規制も緩和
決めたのは2013年5月17日に行われた東京都都市計画審議会。議事録によると、いくつかの議題に続いて神宮外苑地区の地区計画が審議され、新国立競技場や日本青年館が含まれる地区は、建築物等の高さの最高限度を75メートルとすることが認められた。しかも審議では5分ほどの説明があっただけで、全員一致で可決した。
もう一つ、腑に落ちないことがある。神宮外苑の高さ規制が緩和される10カ月前、公募が始まった新競技場の国際デザインコンペの基準には、すでに高さが「70メートル以下」と書かれていたのだ。JSCが決めた基準を都の審議会が追認した形になる。背後にどんな力が働いていたのか。
都内の貴重な緑地として環境が守られてきた神宮外苑。「山手線内に残された最後の再開発地」と、不動産開発業者の垂涎の的でもあった。
「規制を取り払うのは五輪誘致しかないと言われ、森の動きが注目されていた」
政治評論家の鈴木哲夫は話す。 再開発には一帯の大地主である明治神宮の協力が不可欠だ。森は宗教法人を管轄する文科省に強い影響力をもつ。宮司の中島精太郎に会って協力を求めたのは、森の意を受けた鈴木寛だった。
「明治神宮も再開発には前向きでした」(元都副知事の青山)
内苑を維持管理する費用は外苑の不動産で稼ぐ、というのが神宮のビジネスモデルという。
今年4月、都と明治神宮、JSC、三井不動産、伊藤忠商事など7者は「神宮外苑地区まちづくりに係る基本覚書」を締結。協力して再開発に取り組むことで合意した。外苑から青山通りにかけ、都市再開発が動き出す。
100年近く、静かに東京のスポーツや文化を育んできた神宮の森は、国立競技場建て替えの槌音をどう聞いているだろうか。(文中敬称略)
※やすし…環境依存文字のため、ひらがなで表記。元の字は1文字で、にんべんに「八」に「月」
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