http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/318.html
Tweet |
http://31634308.at.webry.info/201509/article_7.html
2015/09/07 23:17
つい先日、原発事故現場の直ぐ近くの汚染された楢葉町に、町組織と住民が帰還した。その式典の中で、まだ幼稚園児ぐらいの子に、楢葉町に生まれ、やっとこの町に帰って来られて嬉しいと読ませていた。読ませていたと書いたのは、テレビの前で紙に書いた文章を読んでいたからだ。町、国の意向がないと、幼稚園児を引っ張り出して読ませる訳がないからだ。
自分がその立場なら、こんな小さな子を住まわせない。いくら除染しようが、全ては取り切れない。このような状態になったのは、別に住民が悪い訳ではない。その直接の原因は東電であるが、さらに言えば国の原子力行政の犠牲とも言える。その原子力行政を推進しているのが自公である。原爆被害、福島原発事故を受けてもなお、原発を再稼働する。
その原発行政の愚策と税金の浪費の極みが、以下の東京新聞の社説で取り上げられている。
核燃料サイクルはもうやめろというものである。このブログでも度々取り上げているが、青森県六ケ所村の核再生工場、福井県の高速増殖原型炉の「もんじゅ」であり、両方とも未だ完成しておらず、まともに動いていない。六ヶ所村の再生工場は、七千六百億円と見込まれた建設費用が二兆二千億円にも膨らんでいて、何時止めることも決まっていない。「もんじゅ」もトラブル続きで止まったままで、それでも電気代など、一日五千五百万円の維持費がかかっているという。従業員もただ生活の糧に働いていて、もう稼働出来るなどと考えていないと思っている。
片や、社会保障をどんどん切り捨てているのに、このような究極のムダ使いは垂れ流している。この最悪なサイクルを断ち切るためには、自公の政権を倒し、生活のようにはっきり原発を止めると言っている政党を選ぶしかない。
核燃料サイクル なぜこだわり続けるの
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015090702000132.html
核燃料サイクルは、経済的にも技術的にも、とうに破綻しているのではないか。なのに、今さら国が関与を強め、電力会社に維持させたいのはなぜか。再処理にこだわり続けるのは、なぜなのか。
使用済みの核燃料、つまり核のごみに再処理を施して、原爆の材料にもなり得るプルトニウムとウランを取り出し、もう一度燃料として利用する−。それが核燃料サイクルだ。
このリサイクルの輪が閉じてこそ、核の平和利用という国策は完成される。ところがその国策は、入り口でもうつまずいた。肝心の再処理工場(青森県六ケ所村)完成のめどが立たない。
当初は一九九七年の完成予定が、今は来年の三月と、二十二回も先送りされている。七千六百億円と見込まれた建設費用は、二兆二千億円にも膨らんだ。
再処理工場を運営する日本原燃は、原発を持つ電力十社が共同で設立した株式会社で、事業費は電力会社が積み立てている。
今は「総括原価方式」で、その費用を電気料金に上乗せできる。しかし来年四月に電力の小売りが完全に自由化されると、地域独占の壁が崩れて、お互いが競争相手になり、料金値下げの圧力がかかってくる。再処理は、ますます経営の重荷になり、原燃自体を維持できなくなる恐れがある。
日本は核兵器保有国以外で唯一、米国から再処理を許されている。政府はその権利を手放したくないために、てこ入れをしようというのだろうか。
核燃料サイクルの新たな担い手として、政府が直接所管する「認可法人」を電力会社につくらせて、そこから日本原燃へ再処理事業を委託するかたちをとる。
日本銀行や日本赤十字社と同じ認可法人は、国の許可なくつぶせない。膨大な費用がかかっても、核燃料サイクル事業を維持したいという、政府としての明確な意思表示と言えるだろう。
だが、再処理工場だけではない。再処理してつくった燃料を燃やすべき高速増殖原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)もトラブル続きで止まったままだ。それでも電気代など一日五千五百万円の維持費がかかる。
寸断され、閉じる見込みのない再処理の輪の夢からは、もう目覚めるべきである。
既に大量にたまってしまったプルトニウムや核のごみをどうするかにこそ、知恵と費用を傾けるべき時ではないか。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK192掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。