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[政 その瞬間]気力が途切れ、プッツンした(07年11月小沢・民主党代表が辞意) 大連立が暗礁、対決へカジ
2007年11月2日、民主党代表の小沢一郎は首相、福田康夫から大連立の正式提案を受け、党に持ち帰った。実は9月の政権発足直後から水面下で福田側と練りに練ってほぼ合意していた。残るは形式的な党内手続きだけだったが、役員会で反対が相次ぎ、よもやの拒否に追い込まれた。
「もう辞める」。役員会後、旧知の渡部恒三に漏らした。小沢は連立で自衛隊の海外派遣の恒久法を制定する代わりに、インド洋での給油活動の継続に協力しようとした。「安全保障で両党が一つになるのはいい話だ」と渡部になだめられても黙って立ち去った。
4日朝、小沢の秘書が名古屋市にいた幹事長、鳩山由紀夫のもとに辞表を提出。党本部で記者会見した小沢は「党内外へのけじめとして代表を辞する決意をした」。さらに「党はまだ様々な面で力量不足で、次期衆院選での勝利は大変厳しい情勢だ」と突き放した。
政党をつくっては壊す「壊し屋」の異名を持つ小沢の辞意表明に「党を割って自民党と連立を組むのでは」と警戒感が広がった。党は5日の役員会で辞職願を受理せず慰留する方針を決定。翌6日は当選回数別に会合を開き、それぞれ続投支持で意見集約し、鳩山は総意として続投を要請。小沢は「恥をさらすようだが……」と辞意を撤回した。
7日の両院議員懇談会で続投を表明した小沢は記者会見で、自民党との連立協議を考えず「衆院選に政治生命の全てをかけ、必ず勝利する」。辞意表明は「気力が途切れ、プッツンしたというか、そういう精神状態に陥った」と語った。
党運営でフリーハンドを握った小沢は08年の通常国会で対決路線を鮮明にし、参院で野党多数のねじれ状態を生かして福田を退陣に追い込んだ。続く麻生政権でも攻勢を続けたが、09年5月、政治とカネの問題で辞任。後継代表の鳩山のもとで政権交代を果たす。
=肩書は当時、敬称略
(宮坂正太郎)
◆「政 その瞬間」は政治が大きく動いた場面を検証し、象徴する言葉とともに人間模様を描きます。
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「辞める気は無かったと思う」 渡部恒三・元衆院副議長
渡部恒三・元衆院副議長 大連立はめちゃくちゃなことではないが、(民主党内に)小沢一郎氏の信用が無かった。小沢氏もみんな「子分」だと思っていたのに反対され、ショックは大きかったのだろう。ただ、辞める気は無かったと思う。辞任を引き留めたのは代表にしたい人がいなかったから。辞めた方がいいとも思ったが、そこは政治の難しいところだ。
[日経新聞8月30日朝刊P.14]
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渡部元衆院副議長「小沢氏慰留は猿芝居だった」
(8月30日付朝刊 日曜に考える・政界面関連インタビュー)
2015/8/30 3:30
2007年11月、福田康夫首相から大連立の正式提案を受けた民主党の小沢一郎代表。構想は9月の政権発足から首相側の森喜朗氏らと詰めてきた。形式的な党内手続きのつもりで臨んだ役員会で反対が相次ぎ、拒否に追い込まれた。憤慨して党代表の辞意を表明した小沢氏は党内の慰留で3日後に続投に転じた。旧知で慰留に加わった渡部恒三元衆院副議長に聞いた。
■「大連立にではなく、小沢氏に反対だった」
――インド洋での自衛隊の給油活動の継続が焦点でした。これをきっかけにした大連立をどう考えましたか。
「安全保障は超党派でやらなきゃならないことで、民主党と自民党が1つになるべきだという雰囲気はあった。国民もそういう意識を持っていたし、俺もそう思っていた。小沢氏がめちゃくちゃなことをやったわけではない」
――小沢氏は福田首相と合意した自民党との大連立を民主党役員会でどう説明したのですか。
「説明するも何もなかった。大連立で小沢氏が首相になるなんて話になって、民主党の役員会では珍しいことだが、(発言者の)全員が反対した。小沢氏は当時の役員に信用が無かったんだろう。大連立に反対ではなくて、小沢氏に反対だったということだった」
――小沢氏は反対されるとは思っていなかったのですか。
「小沢氏は『みんな俺の子分だ』と思っていたのだろう。自分が自民党と決めてくればみんな賛成すると思ったのに、みんなに反対されたから、精神的ショックは大きかっただろう」
――役員会直後の小沢氏の様子は。
「役員会が終わった後、2人だけのときに『(党代表を)辞める』と言うから、『まあまあ。辞めるな』と言った。『自民党と民主党が安全保障のために1つになるのはいい話だ』と言ったが、小沢氏は特に返事はしなかった」
――党内の混乱を避けるためには小沢氏が続投するのが良いと考えたのですか。
「党内混乱とかではない。いやしくも一党の党首が政治生命をかけて相手の党と約束したことがダメと言われたら辞めるのは当たり前だ。心の中では辞めた方がいいとも思ったが、そこは政治の難しいところだ。残念ながら当時、小沢氏に代わって代表にしたいという人がいなかった。無理くり言えば羽田孜さんだったが……」
――党幹部もそろって慰留しました。
「政治家と言うのは表と裏がある。小沢氏に辞めてもらいたいと思っても『辞めないでください』というような。それだけ小沢氏の権力があった時代だった。本当にみんなやめないでくれという場合もあるが、あれは違う。猿芝居だった」
■権謀術数のシンボル
――小沢氏はもともと辞める気なんてなかったのでしょうか。
「小沢氏は政治感覚があるから『辞める』と言ったって『辞めないでくれ』と言われるに決まっているとわかるだけの感覚は持っている。辞める気は無かったと思う。計算はしていたはずだ。小沢氏は権謀術数の政治家のシンボルだ」
――辞意撤回の記者会見では「プッツンしていた」と言いました。
「子分だと思っていた人たちに全部反対されたのはやはりショックだろう。子分ではなかったんだということでね」
――慰留した判断は間違いではなかったと思いますか。
「間違いではなかった。代表になる人材がまだ育っていなかった」
――いまの民主党をどのように見ていますか。
「岡田克也代表と細野豪志政調会長に頑張ってもらいたいと思う。安倍晋三首相に学べということだ。1回目に首相になったときは本当に情けなかったけど、2回目は常識的、安全運転な政権運営をしている」
「ただ、『一党独裁』でいいと思っているのは誰もいない。自民党に代わって政権をできる野党をつくるのが大事だ。そのためにはまず野党が一つになることだ。民主党と維新の党だな。その熱意が岡田、細野両氏ともに感じないのが残念だ。だから最近は会ってもいなかった」
(聞き手は宮坂正太郎)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO91033360X20C15A8I10000/
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