http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/139.html
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「朝日新聞」が連載を続けている「新聞と9条」のなかの砂川事件関連記事のなかから、当時の最高裁長官田中耕太郎と米国政権との異様な関係を扱った部分を転載させてもらう。
戦後日本で行政や司法で上位の職位に就くためには、卑屈ゆえなのか英米が大好きゆえなのか高位に就くための策略であるかは別として、対米従属を受け容れる“度量”が最低限必要な資質のようである。
絶対的少数派として国会議員になるくらいは“対米自立”でもOKだが、どういう意図かわからないが、今では共産党までが“対米自立”の必要条件である日米安保条約の廃棄を主張しなくなった。
砂川事件最高裁判決が対米従属の汚物にまみれた経緯で出されたことが明らかになっているにも関わらず、「集団的自衛権の限定的行使」を含む新安保法制を法理的に正当化する根拠として砂川事件最高裁判決を持ち出している安倍首相の“真意”は不明だが、それが対米従属を広く国民に知ってもらうためではないとしたら、実に倒錯的な言動と言わざるを得ない。
日本が対米自立を果たすためには、法的に根拠がない「思いやり予算」を減らす(やめる)ことを手始めに、米国のほうから日米安保条約の廃棄を求めたくなるような日米関係を少しずつつくっていくしかないように思われる。
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連載:新聞と9条
(新聞と9条:104)砂川事件:41
2015年8月31日16時30分
その文字が視線の先にふれたとき、国際問題研究者の新原昭治(しょうじ)(84)は、胸が高鳴るのを覚えた。
「SUNAKAWA」(砂川)
「AKIO DATE」(伊達秋雄)
2008年4月、米メリーランド州にある米国立公文書館の閲覧室でのことだ。
機密指定が解除された1950年代後半の日本関係の外交文書をめくるうち、新原は、砂川裁判の裏面がつづられた文書を発見する。
59年12月に最高裁が一審「伊達判決」を破棄してから、半世紀近くがたっていた。
この間の61年3月、東京地裁は7被告全員に罰金2千円の有罪判決を言い渡す。62年2月、東京高裁が控訴を棄却。63年12月、最高裁が弁護側の上告を棄却して被告の刑が最終的に確定した。
米軍立川基地は68年に米軍が拡張計画の中止を発表。77年に日本に全面返還された。そして「砂川」は、ほとんど新聞に登場しなくなる。
新原が見つけた14の関連文書の一つは、一審判決翌日の59年3月31日午後、駐日米国大使マッカーサーが米国務長官あてに出した極秘の至急電だった。
「今朝8時に藤山(愛一郎外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った」
「私(大使)は、もし自分の理解が正しいなら、日本政府が直接最高裁に上告することが、非常に重要だと個人的には感じている……高裁への訴えは最高裁が最終判断を示すまで論議の時間を長引かせるだけのこととなろう……と述べた。……藤山は、今朝9時に開かれる閣議でこの上告を承認するように促したいと語った」(新原、布川〈ふかわ〉玲子「砂川事件と田中最高裁長官」)
マッカーサーは藤山に対し、最高裁に跳躍上告するよう迫った。
伊達判決の影響を最小限に食い止めて、日米安保条約の改定を急ぎたい。
マッカーサーはそう考えたのだろう。
日本側も同じ考えだった。
一審判決の当日、法務省、最高検はすぐに跳躍上告の検討を始める(30日付朝日新聞夕刊)。そして4月3日にその手続きをとる(連載第81回)。
4月24日午後、マッカーサーは国務長官あてに公電で伝える。最高裁長官と内密に話し合った、と。(上丸洋一)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11940992.html
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(新聞と9条:105)砂川事件:42
2015年9月1日16時30分
国際問題研究者、新原昭治(84)が2008年4月、米国立公文書館で発見した砂川事件上告審に関する14の外交文書のなかに、次の一通があった。1959年4月24日、駐日米国大使マッカーサーが国務長官あてに出した公電だ。
――内密の話し合いで、最高裁長官の田中耕太郎は、本件(砂川上告審)には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審理開始後、判決までに少なくとも数カ月かかると私に語った(新原昭治、布川〈ふかわ〉玲子「砂川事件と田中最高裁長官」)。
最高裁長官が、裁判の利害関係者である米国大使に、法廷外で内密に会っていたことを公電は語っていた。
マッカーサーは、田中から得た情報を、その後も本国政府に報告した。
7月末、田中は米国大使館の首席公使に対し、共通の友人宅で次のように語る。
――判決はおそらく12月だろう。(駐留米軍の実態などの)事実問題ではなく、法的問題に争点を限定する決心を固めている。少数意見を回避して、全員一致の判決となるよう願っている(〈1〉=「砂川事件と田中最高裁長官」)。
この情報をマッカーサーは8月3日付の書簡で国務長官に伝えた。
駐留米軍は違憲と判断した一審「伊達判決」に対し、大法廷では、一人の裁判官の反対もなく、全員一致で判決を出したい。
そんな思いを田中は、口頭弁論が始まる1カ月以上前に米国に伝えていた。
口頭弁論が終わり、裁判官の合議が進む11月5日、大使は国務長官あてに極秘書簡を送る。
――田中と非公式に会談した。砂川事件について裁判官の幾人かは手続き上の観点から、他の裁判官は法律上の観点から、また他の裁判官は憲法上の観点から問題を考えている、と田中は示唆した。一審判決は覆されると考えている印象だった〈2〉。
〈1〉〈2〉は、米国立公文書館が所蔵する機密解禁文書の一節だ(要旨)。
〈1〉は2013年1月に元山梨学院大教授(法哲学)の布川玲子(70)が米国の情報公開制度を使って入手した。〈2〉はジャーナリスト末浪靖司(75)が11年秋に同公文書館で発見した(末浪「対米従属の正体」)。
裁判所法75条はこう定める。
裁判官による評議の経過や各裁判官の意見は秘密を守らねばならない。(上丸洋一)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11942805.html
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(新聞と9条:106)砂川事件:43
2015年9月2日16時30分
「結審後の審理は実質的な全員一致を生み出し、世論を“揺さぶる”もとになる少数意見を回避するようなやり方で運ばれることを願っている」(新原昭治、布川玲子「砂川事件と田中最高裁長官」)
最高裁長官の田中耕太郎が1959年7月末、在日米国大使館の首席公使にこう語っていた。大使のマッカーサーが国務長官にあてた8月3日付書簡の一節だ。
砂川事件上告審が始まる1カ月ほど前、田中は、全員一致判決で世論の分裂を回避したいとの意向を米国に伝えていた――。
元山梨学院大教授(法哲学)の布川玲子(70)が米国の情報公開制度を使って資料を入手。これに協力した国際問題研究者、新原昭治(84)が2013年4月、この事実を新聞、通信十数社に伝えた。
各紙が報道し、社説で論評した。
「田中長官のあまりに卑屈な対米従属姿勢は、沖縄県民の基本的人権と平穏な暮らしを脅かす米軍基地のありようの源流の一つであり、今に続く現在進行形の問題だ」(4月10日付琉球新報)
「司法までも米国の意向を忖度(そんたく)していたとなれば『司法の独立』どころか、それこそ『国の存立に関わる』醜態ではないか」(12日付北海道新聞)
「戦後史をつらぬく司法の正統性の問題だ。最高裁と政府は疑念にこたえなくてはならない」(14日付朝日新聞)
さかのぼれば、田中は59年12月16日に最高裁大法廷で一審判決破棄の判決を言い渡したあと、記者団にこう語っていた。
「判決は政治的な意図をもって下したものでないことをはっきり言っておきたい」
「自分の意に反する判決が出た場合『裁判所が政治的圧迫に屈した』とか『良心をまげた』とかいう言動が最近多い。これは裁判の民主社会における役割を理解しない最も危険な風潮です」
田中は記者会見で何回も繰り返した。
「全裁判官が一致した結論が出せたのはなによりでした」(17日付朝日新聞)
17日夕、マッカーサーは国務長官あてに公電で伝える。
――最高裁が全員一致で判決を下したことは、多くが田中長官の手腕と政治的資質による。本件での長官の貢献は、日本の憲法の発展ばかりか、日本を自由世界に組み込むうえで画期となる(末浪靖司「対米従属の正体」)。
(上丸洋一)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11944634.html
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(新聞と9条:107)砂川事件:44
2015年9月3日16時30分
「裁判官は法の理念に奉仕するという燃えるような理想主義的態度が要求される。法は裁判官によつて活力を与えられるから、裁判官の人格の力を度外視しては真に裁判らしい裁判はあり得ない」
「この故にこそ憲法は司法権を独立のものとし……裁判官の独立を保障しているのである」
最高裁長官の田中耕太郎は、長官在任中に発表した論文「裁判官の良心と独立について」(法曹時報1955年1月号)で、そう述べている。
憲法76条第3項は言う。
「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」
あらゆる圧力や介入を排し、他におもねることなく、独立して職務にあたる。
それが裁判官の義務とされる。
ところが、近年相次いで発見された米外交文書の記述から、田中が、砂川事件上告審をめぐって、利害関係者である在日米国大使館に情報提供していた疑いが濃厚になった。
田中は1890(明治23)年、鹿児島市生まれ。東京大法学部で学んだあと、助教授、教授に。商法と法哲学を講じた。
戦後の1946年に第1次吉田茂内閣の文相に就任。参院議員を経て、50年3月、最高裁長官に就いた。熱心なカトリック信者。反共産主義を信条とした。
48年に出した著書「平和主義の論理と倫理」に、田中は、こう書いている。
「人間が不完全な限り、正義の実現のために実力の行使は止(や)むを得ない」
51年には新聞の座談会で発言する。
「われわれは鉄のカーテン群(共産主義諸国)の侵略に対しては戦わなければならない。日本人にはこのような意味における『戦わなければならない』という信念が欠けている」(51年1月1日付毎日新聞)
外交文書を入手した一人、元山梨学院大教授(法哲学)の布川玲子(70)は言う。
「自由主義陣営の中に日本をはっきり位置づけること、これは田中にとっての正義だった。そのために司法府の長として全力を尽くす。伊達判決破棄は、田中が自分に課した使命だったのではないか」
60年10月、田中は、70歳の定年で最高裁長官を退任。11月、国際司法裁判所の判事に就任した。(上丸洋一)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11946519.html
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