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機雷掃海、隠された「戦死」 朝鮮戦争時に海保が後方支援[日経新聞]
2015/9/4 1:37
朝鮮戦争の米軍の掃海任務に派遣され、機雷の爆発で亡くなった海上保安庁職員がいる。9条を定めた日本国憲法施行後で、「戦死」の問題化を恐れた日米両政府は長くかん口令を敷いた。遺族は今、国会で大詰めを迎えつつある集団的自衛権の行使を含む安全保障法制の見直し議論を複雑な思いで見つめている。
「料理が得意でね。生きていたら大きな食堂でもやっていたんじゃないか」。大阪市の会社役員、中谷藤市さん(88)は、朝鮮戦争中に死亡した弟、坂太郎さん(当時21)の遺影を前に寂しそうな表情をみせた。
坂太郎さんは1945年春、志願兵として海軍に入り、終戦後は海上保安庁で日本近海の残存機雷の掃海業務に当たっていた。当時の海保の掃海部隊は、海軍から組織を引き継いでおり、元軍人ばかりだった。
朝鮮戦争が50年に始まると、半島周辺海域の機雷に手を焼いた米軍は、日本に掃海支援を求めてきた。既に現憲法は施行されており、9条に抵触する可能性もあったが、占領下の日本政府は極秘裏に海保の掃海艇30隻以上で「特別掃海隊」を編成。坂太郎さんが乗り込んだ木造艇「MS14号」も下関を出港し、戦場に向かった。
50年10月17日午後3時すぎ、砲弾の飛び交う北朝鮮・元山沖の北緯39度付近。掃海中だったMS14号は突然、轟音(ごうおん)とともに水しぶきの中に姿を消した。僚船が慌てて駆けつけたが、波間に破片と重油が漂うだけ。海中の機雷に触れたのだった。海に投げ出されるなどした他の乗員20人余は救助されたものの、船内にいた坂太郎さんだけが死亡した。
約1週間後、家族の元に米軍将校がやってきた。「公になると国際問題になりかねない。補償はする。瀬戸内海で死亡したことにしてほしい」。将校は「戦死」を口外しないよう強く迫った。父はそれを受け入れ、家族にも厳しく口止めした。掃海業務による死亡は約30年後、事件当時の海保長官が自身の著書で明らかにしたことなどから公となり、坂太郎さんは戦没者として公式認定された。
折しも国会で進む安保法制の見直し議論では、集団的自衛権の行使例として中東・ホルムズ海峡での機雷掃海が取り沙汰されている。中谷さんは「特別掃海隊は米国に頼まれて海外の戦場で掃海作業をした。国会で議論されている状況と全く同じだ」という。
「機雷掃海でも戦死者は出る。もし安保法制を見直すなら、国民全体が納得できる議論をしてほしい。それが弟の死を意味あるものにする方法だ」。中谷さんはそう考えている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG11H4A_T00C15A9CC1000/?n_cid=TPRN0009
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