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東京五輪の大会エンブレムの使用中止が決まり、記者会見で頭を下げる武藤敏郎事務総長(2015年9月1日撮影)〔AFPBB News〕
アマチュア以下の制作物だった東京五輪エンブレム 組織そのものを白紙撤回しなければ、「二度あることは三度ある」ことに
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44703
2015.9.3 伊東 乾 JBpress
二度目の白紙撤回・・・。
偶然が重なると見るべきではないでしょう。新国立競技場に続いてエンブレム、オリンピック目当てのデザイン・設計を巡る不祥事には、明確な構造要因があると言わねばなりません。
「佐野案」が選ばれたのが昨年の11月とのこと。既存意匠との類似性が指摘されて<ダメだし>が続くというのが、そもそも異常なことではないでしょうか?
ダメなのなら捨ててやり直しが当然でしょう。半年以上の修正を経たはずの公開、その直後から剽窃の疑念が指摘され、釈明するはずの場でさらなるパクリが露呈・・・。で瞬殺停止。
ここまで恥かしい田舎芝居を全世界向けに演じてしまった背景には、情報の非公開性、プロセスの不透明性、審査委員会その他、非人称の意思決定機関を通したことにする、その実は権威主義に流れやすい思考停止の常態化など、21世紀のクリエイティブが直面する面会謝絶級の危篤状態を示しているように思えます。
■プロのもの作りとは思えない
エンブレムの瞬殺停止、結論は当然と思いますが、改めて関連の記者会見などをチェックし、正直、我が目を疑いました。
卑しくも「オリンピック」に関連する国際水準で、内外でオリジナリティを誇り得る芸術からの発言とはおよそ思われぬ内容を目にしてしまいました。曰く、
「(「東京」の頭文字である)Tの文字を発想の核にしたい」
「T」一文字だけで発想・・・そこから発展させてアルファベットのフォントも作ったと延々説明していますが、何でもできると言いつつ何もしない広告代理店の営業説明のように見受けました。
「ディド、ボドニなどの既存フォント・デザインの力強さと繊細さ」
そういうありものをなぞるところから考えるのを、オリジナリティを欠くアマチュアリズムと私は教えています。
「日本人として誇りをもって作りました」
本当に本物のプロはそういうこと、いちいち言わないと思うのが一点。オリンピックという場にナショナリズムを持ち込むことで「日本人の誇りにケチをつけるのか?」と相手のリアクションを封じるやり取りに見えます。さらに、
デザイナーとして自分の子供のようにデザインを育てている、などと見栄を切ってしまいましたが、その直後トート・バックその他での「トレース」などが発覚すると、あれはスタッフがやったこと云々。
ということは、なるほど、日本人として誇りをもって、自分の子供を育てるというのも託児所に丸投げして育児をほっぽらかすのに、この理屈だと相当しそうです。
一芸術家として開いた口がふさがりません。
■公民館主催の俳句会か?
「そういったお話が出るのが」「なんか寂しいな」・・・
ありますあります、こういう、感情に惹きつけて物事を誤魔化すタイプの言い訳。本当にオリジナルなものを作るんだったら、絶対やめた方がいいセンチメントに訴える逃げ口上の典型ですね。
いや、トレースなどせず、すべて自分自身で手を動かして、本当にオリジナルにものを作っている人が筋違いの嫌疑をかけられて「寂しい」と思ったら、多分寂しそうに黙っていると思います。さらに、
「『赤と金』『銀と黒』スペインがオリジナルと言うよりも、より日本的な色であると思った」
普通に国境をまたいでものを作る観点からごくごく常識的に考えて、この人、大丈夫かな? というレベルの発言に見えます。
「ああ言えばこういう」の連続で、作家の観点からは実に見苦しい。ああ言えば上祐というフレーズが昔ありましたが、古い日本語を使うなら「名聞苦し(みょうもんくるし)」という表現がぴったりくるように思います。
一言で言うと、地方の公民館で句会など開くと、ローカルな俳句の宗匠などがその人らしい勝手な基準であれこれ論評し、世界の動向など何も知らず、すでに手垢がつきまくった代物をこれは新しい!、独自だ!と強弁したりする、そういうものを見るのに似た気恥ずかしさ、見てはいけないものを見たような、後味の悪さばかりが残ります。
温泉場の町の中だけで流通する、新聞の折込み広告のデザインなら、この種のお話で、真剣にそう思いこんで「何日も徹夜して作りました」(これ、大人のプロが人前で言わない一言、相当恥かしい)もあり得るでしょう。
これだけ情報ネットワークが普及した今日、商用デザインとして国際使用に耐える<強いもの作り>を考えるなら、こんな井の中の蛙みたいな寝言で通用することはあり得ないと思います。
さらに、その実はスタッフがトレース、本人はチェックして選んだだけといった現実の制作プロセス、営業の表面では「日本人として誇り」と気張って見せたり「寂しい」と情に訴えて気を引いたり・・・。
営業接待、酒席で酔っぱらったスポンサー会社の広報課長なら、こんな強弁でも押し通せるかもしれません。が、素面でシビアな大人の目は本来誤魔化せるはずがない。
もし、それが、酒も飲まないのに組織委員会やら選考委員会やらで通用してきたのだとしたら、何か別のもので酔っていたのではないか? と疑わざるを得ません。
■教育の貧困、社会の思考停止
もし、こういう脇の甘いもの作りで10年以上営業してこられたのだとしたら、どこか脳髄の芯が酔っているか、あるいは本質的に思考が停止しているか、ともかく尋常な状態とは到底思えません。
もう16年も前になりますが、東京大学に最初の芸術実技部局を作ろうということになった際、タナカノリユキさんにプロダクツのデザインをお願いしました。
タナカさんは「ユニクロ」のデザインで知られる創り手、アートディレクターですが、私からも相当うるさく注文をつけさせてもらいました。
しばらく前にベルリンの中心街、ヴィッテンベルク広場近くに「ユニクロ ベルリン店」が出店しましたが、世界のどこから、
「ユニクロのロゴや店舗デザインは私の制作物のトレースだ!」
なんてクレームが来たでしょう? あり得ないと思います。タナカさんは自分でゼロからものを作る人であると同時に、もの作りの根の根、深いレベルからオリジナルに掘り下げるデザイナーです。
私が彼を初めて知ったのは、20数年前、当時は東大で助教授をしていた下條信輔・カリフォルニア工科大学教授とのコラボレーションで、視覚の脳認知科学の新しい知見を元に、トリックアートのデザイン展を開催した時でした。
下條さんの示唆でNTTコミュニケーション科学基礎研究所の柏野牧夫氏ら聴覚脳認知グループを識り、私自身が、現場だけの10代20代から一つ脱却して、30歳を過ぎて音楽の脳認知に取り組み始めた経緯があるので、こういうところでは値引きはしません。
■そんな寝言は通用しない
3年で学位をとり、4か月後に現在の研究室を含め、東大で芸術の本質と向き合う組織を最初に創ろうということになった時、改めてタナカノリユキさんに(破格の安値で)デザインとアート・ディレクションをお願いし、一切値引きのない相当詰めた討議のうえ、プロダクトを作ってもらいました。
ここでの細かな内容は機会があればまた別に記そうと思いますが(タナカさんに了解をとっているわけでもないので、今ははしょります)、はっきり、今回目にしたような寝言とは違う水準であることが1つ。
それから、施主としても突き詰めたやりとりで発注、クリエーターにも真摯に取り組んでもらった。
で、そういうものが一切、ないと思うんですね、新国立競技場周りの情けないやり取りでも、今回露呈した、あり得ないデザイン周りでも・・・。
真にオリジナルなものを作るうえで必要不可欠なプロセス一切の欠如、ローカルでのみ通用する、思いつきのアマチュアリズムと、官僚答弁的な無感覚・無関心・無感動なことなかれ主義。これでオリンピック・・・絶句せざる得ません。
「依頼が来たら、施主に関係するアルファベットで既存のデザインをネット・スキャン、よさげなものをチョイスしてトレース、少しいじれば一丁上がり。ギャラはがっぽり、次いってみよー」
こんなもの作りでも通用するなどと、間違ってもいま在学中のデザイナーの卵たちに誤解させてはいけません。万が一、そういう腐った状況を許してきたとすれば、それ自体が社会の思考停止を如実に示しているのにほかなりません。
■「ポストモダン」の本格的終焉
今回名の挙がった佐野さんという人に面識もなければ何の他意もありません。が、1つ思うのは「グローバル情報ネットワーク状況でのポストモダンの終焉」です。
かつて1980〜90年代、冷戦末期から世紀末にかけて一定有効だった「ポストモダン」の枠組み、引用のタペストリーとしてモノを作る思考などが絶対に通用しない時代になっている事実。
今回の不祥事、ネット上の匿名ユーザが主導する形でインチキが暴かれて行った経緯に注意すべきと思います。
既に十分伸展しているネットワーク上での画像検索技術、全く個人のユーザーが世界中のデザインを検索し、類似するものを自動的に探し出すのが当たり前になっている時代、本当の本物だけが通用する、ある意味クリエーターにとっては好ましい環境が整いつつあるように思います。
昨年の恥かしいSTAP細胞詐欺のあと、少なくとも東大では、学位論文類の中間審査で、学生提出原稿をコピペチェックソフトにかけて盗用をチェックするスクリーニングが導入されました。
情けないですが、大学院衆愚化から必然の帰結です。
今後、IOC(国際オリンピック委員会)に限らず、官公庁など公のお金を使って意匠その他デザインを発注する際には、どれだけ業界実力者やらおかしな顔役やらが太鼓判を捺しても、まずは提出物をパクリチェック・ソフトにかけて、類似性が指摘されるものは(採択を決定しておいて裏でこそこそ直す、とかではなくばっさりと)すべて落とす、毅然たる措置が義務づけられることになるでしょう。
今回の「撤回」は今後、損害賠償の具体的な金額が問題になってくると思われます。
公金を用いて発生した損害、場合によっては個人や事務所の経済的責任を問われる可能性もあるはずです。ただ単にインチキなどしなければよかっただけのことで、自業自得、同情の余地はありません。
また、この問題を巡って「自由な発想を阻むのでは?」とかいう、およそ素っ頓狂なコメントを目にしました。
逆であって、素人アマチュアの「自由な思いつき」程度のもの(つまり世の中に何億と先行例があるような凡庸な代物)で、ビジネスや知財が守れると思う方が、よほどどうかしている井の中の蛙的な勘違い。瞬時にグローバル・スケールで情報共有される今だからこそ、圧倒的な独創性が伸びる好機と思うべきです。
今回馬脚を現した一切合財、すべていったん白紙撤回して、すべてオリジナルの原点から、体制を立て直さなければ、オリンピックなどおよそ覚束ないのでは?
「二度あることは三度」とも言いますが、万が一「三度目の白紙撤回」など発覚し、候補地そのものの「白紙撤回」三行半を突きつけられぬよう、徹底的な体質改善に全力で取り組む必要があると思います。
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