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さまざまな形で安保反対の声をあげる著名人ら(左・Web Magazine OPENERSより/中央・「調査情報」7・8月号/右・大橋巨泉オフィシャルウェブサイトより)
8.30国会デモに有名人が続々参加…そしてあの作家も俳優も安保法制反対の声を上げていた
http://lite-ra.com/2015/09/post-1442.html
2015.09.02. リテラ
先日8月30日に国会前で行われた安保反対デモには、市民とともに多くの著名人たちも参加した。スピーチを行ったミュージシャンの坂本龍一に、映画監督の高畑勲、園子温。さらに高橋源一郎、室井佑月、平野啓一郎、いとうせいこうといった作家たちも抗議に加わった。また、参加できなかった人たちも、俳人の俵万智は〈この夏の宿題として黒白のバルーンあがる国会の前〉とTwitterに投稿し、大貫妙子は国会前に思いを寄せてジョニ・ミッチェルの「The Circle Game」をライブで披露したという。
このまま戦争ができる国になっていいのか、政治の暴走を傍観していていいのか──。そうした不安を漏らすのは、彼女・彼らだけではない。TBSが発行するメディア批評雑誌「調査情報」7・8月号では、「戦後70年 2015夏〜いま、私が想うこと」と題し、さまざまな著名人が安倍政権に批判を行っている。
たとえば、〈戦後70年というが、ボクは今81才、その70年のすべてを生きて来た〉というのは、テレビ司会者として活躍してきた大橋巨泉だ。戦争体験者である大橋は戦中の苦労を綴り、〈小学生に松の根を掘らせて、その油で飛行機を飛ばそうとする国が、テキサスでバンバン石油が出る国と、戦争を続けようとしたのだから、この国のリーダー達の頭は狂っているとしか思えない。その人達が祀られている神社に、首相がお参りする国も、まともとは思えないが……〉と、安倍首相をはじめ、いまも戦中と変わらないメンタリティをもつ政治家に手厳しい一言を投げつける。
そして、日本国憲法が公布されたときの感動と現在の憲法の危機を、大橋はこう述べる。
〈先生の説明で、もう小学生に松の根を掘らせてまで、戦争をしなくてもよくなったと知った。これが日本の生きる道だと信じた。もう二度と価値観の逆転はイヤだ。しかし今、これをやろうとする首相以下の集団が居る。彼らは戦争がどんなものか知らない。ボクらは知って居る。しかしボクらは少数派、しかも日に日にその数は減っている。諦めるしかないのか!?〉
大橋と同じように、戦争体験者として安倍政権に苦言を呈するのは、俳優の宝田明だ。満州のハルピンで終戦を迎えた宝田は、侵攻してきたソ連軍の銃弾を身体に受けた経験をもち、これまでも戦争反対と憲法9条の大切さを訴えてきた。だからこそ、現在の政治状況には怒りを隠さない。
〈国家の命運は所詮、為政者とそれを支持する一握りの者達の意志決定に委ねられている。だとしたら与党内部からも、集団的自衛権及び憲法九条の改正に対する異議を唱える人間が現れても何ら不思議ではないのだが、その気配も勇気ある言動すらも見うけられない。親方日の丸でその船に乗っていれば、身の保全が保障されるとでも思っているのか。真に次の世代を憂う清貧の士はいないのだろうか〉
〈戦争を知らぬ戦後生まれの世代が国民の代表である今、人間の歴史から見ればほんの半頁程前の愚かな出来事を直視し、無辜の民一人といえども、戦争或いは戦争に加担する事に依る死に至らしめる事の無い様、真剣に考える事が、我々が次の世代の為に残す責任あるバトンではないだろうか〉
戦争を知る大橋や宝田の言葉はじつに重いが、一方、言葉を生業とする作家たちの寄稿文では鋭い指摘が行われている。
『優しいサヨクのための嬉遊曲』などの作品で知られ、6月に開かれた東アジア文学フォーラムの記者会見で「今の日本には史上最も好ましくない首相がいる」と安倍首相を批判した島田雅彦は、寄稿文のなかでも安倍政権が進める米国追従について〈その政治方針が五年後、十年後も有効である保証は何処にもない〉と異議を唱えている。
〈中国は日本の十倍以上の人口がある。一人当たりのGDPが日本並みになれば、経済規模も十倍になる。当然軍事力も十倍に膨れ上がり、アメリカをも凌ぐことになる。それが二十年後、三十年後の現実だ。
憲法を憎んでさえいるウヨク施政者たちは国民そっちのけで戦争に前のめりになっているが、長い目で見れば中国とはギブ&テイクの関係を続けてゆくほかない〉
さらにつづけて島田は、恐ろしく、しかしリアルな安保法制の未来を推論する。
〈万が一、尖閣諸島で武力衝突が生じ、アメリカが参戦を見合わせ、敗戦を喫しようものなら、日本は中国への従属を免れない。そうすれば、今までこの国を縛ってきた日米安保からも解放されるし、米軍も沖縄から出て行ってくれるだろうが、代わりに人民解放軍が宮古島や石垣島にやってくる。
戦争をすれば、そんな冗談が現実になる日がより早く訪れる〉
また、小説家・評論家である橋本治は、根本的な問題として、〈戦後七十年がたって、「国民の政治がない」──ずっとないまま来たということがはっきりしてしまいました〉と述べる。
〈戦争は終わって「軍人」はいなくなり、天皇は政治の場から退いたけれども、政治体制の根本は明治以来の「薩長藩閥政治」の伝統を引いて、そのまんまです〉
旧態依然としているのは自民党だけではない。野党は野党で〈戦前から引き続いての左翼政党で、「左翼的である」という枠に止まったまま、政権担当能力がありません〉。しかし、そこには国民の意識の問題がある。
〈政治は、明治以来の「伝統」を継ぐ与党が担当するもので、与党の政治家こそが「プロの政治家」だと思われていたので、野党に政権担当能力があるかどうかを考えず、その内に社会主義の退潮が世界的なものとなって起こっても、日本は高度成長の繁栄の中にいたので、野党である左翼がその実質をなくしてしまっていても、「どうでもいい」のまま放置されました〉
新たな野党が生まれても、それは与党が分裂してできただけ。「政策の違い」は争点とならず、結局「人間関係の対立」でしかない。だからいざ政権交代が起こっても、〈「素人集団」のような馬脚を現してしまうと、雰囲気としては「政治はプロに任せておけ」〉となる。その結果、〈明治の薩長藩閥政府の時代に逆戻り〉しているのが現在なのだと橋本はいう。
〈戦後七十年の間、どうして日本人は「旧態依然」でもなく「社会主義化」でもない「国民の政治」を作ろうとしなかったのか、私にとっては謎で、そもそもそういう考え自体がないというのが、もっとも大きな謎です〉
前述した島田は、8・30のデモについて〈意図はしなかったにせよ、市民に政治的覚醒を促したことだけは安倍政権の褒められるべき点だ〉とTwitterで述べたが、戦後70年というタイミングで、わたしたちは長く放ったらかしにしてきたさまざまな問題にぶち当たっている。今回、著名人たちが寄せた文章は、そうした問題を再考するための材料にもなり得るものだ。
国民を無視する史上最悪の政治家がトップに立ついま、再び戦争という悲劇を繰り返さないために、考えなくてはいけないことは山のようにある。戦後70年目の“夏の宿題”は、まだまだ片付きそうにない。
(水井多賀子)
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