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2006年自民党総裁選 当選の挨拶をする安倍新総裁(C)日刊ゲンダイ
安保法案の欠陥を衝く/倉持麟太郎 <第17回>安倍首相は過去の自分の質問を忘れたのか?
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163292
2015年9月2日 日刊ゲンダイ
「101回目のプロポーズ」というドラマがあったが、あれは最後にプロポーズが成功する。しかし、何回アタックしてもダメなものはダメな場合もある。
我が国の法体系上、自衛権行使の前提たる「外国の武力攻撃」とは、「我が国に対する」ものであることを自明の前提としていることは前稿で書いた。このことは、過去の国会審議での起案当事者を含めた歴代法制局長官の答弁等でも明らかである。
まず、47年見解起案に携わった吉國、角田両元内閣法制局長官が「日本への侵略行為が発生して、そこで初めて自衛の措置が発動する」(昭和47年9月14日吉國)、「我が国に対する武力攻撃がなければ、我が国の自衛権の発動はない」(昭和56年6月3日角田)と答弁している。その後、政府は、スポーツの祭典よろしく数年ごとに「限定的」なものも含めた集団的自衛権の行使可能性を問い続けてきたが、ことごとく否定されてきた歴史がある。
小泉総理時代には「個別的自衛権に接着している…集団的自衛権」(つまり現政府の“限定的”集団的自衛権より狭い)も「許されない」(平成16年5月28日)という政府見解を出しているし、安倍総理自身、首相就任前にこんな質問をして、退けられている。つまり、自衛のための武力行使の「必要最小限度」は「数量的概念」(伸び縮みする)という前提のもと、「必要最小限度…の範囲の中に入る集団的自衛権」は「絶対にだめだ」というわけではないのではないか、という問いである。当時の秋山内閣法制局長官は、集団的自衛権は「必要最小限度」を超える(旧第3要件)から行使不可能なのではなく、「自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます」と答弁し(平成16年1月26日)、我が国への攻撃がないのに我が国が自衛権を行使することは、必要最小限度かという問題に立ち入る以前に違憲だと明言した。安倍総理はこのやりとりを忘れてしまったのだろうか。
政権交代があっても維持されてきた47年政府見解は、「我が国に対する」武力攻撃なく自衛権発動を認める“集団的自衛権”を禁止しているのであり、集団的自衛権がいかに「限定的」なものであっても許されないという法制局の判断は今や、憲法解釈規範を構成している。
集団的自衛権行使は可能か、という「アタック」が成功しないのは、憲法9条の壁があるからであり、解釈改憲でその「壁」を迂回すれば、もはや踏みとどまるべき線はなくなってしまう。
▽くらもち・りんたろう 1983年生まれ。慶大法を経て中大法科大学院卒。安保法案に反対する若手の論客として知られ、衆院特別委にも参考人として呼ばれた。
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