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「野田聖子さんのさらなる飛躍を期待する会」で、応援に駆けつけた議員と乾杯する野田聖子氏=1日午後、東京都千代田区(斎藤良雄撮影)
http://www.sankei.com/politics/news/150901/plt1509010035-n1.html
2015.9.1 21:27 産経新聞
自民党の野田聖子前総務会長は1日、東京都内のホテルで開いた自身の政治資金パーティーでのあいさつで、「議論する場所を提供することが必要だ。今の私の心は『義を見てせざるは勇無きなり』という言葉に尽きる」と述べ、安倍晋三首相の任期満了に伴う党総裁選(8日告示、20日投開票)への出馬に意欲を示した。あいさつの全文は次の通り。
「皆様こんばんは。野田聖子でございます。今回もですね、皆様方には、大変お忙しい中、また、物心両面にわたって、この私のパーティーにご理解をたまわりました。高い所からですけれども、本当にまた、皆様方とこうやって再会できた喜び。そして、中には心配げな顔をして見守っていただける皆様方。そういった方があってこその、私、野田聖子の政治活動だったと思います。改めまして、心をこめて御礼申し上げたいと思います。皆様、ありがとうございます。
また、正直、今日に限っては、国会議員の皆さんは、来ていただけないかもしれないという不安がよぎっていたわけですけれども、オーストリアの出張から、すぐにお出かけいただいた石破(茂)地方創生担当相、そして、長年のお付き合いをいただいている山口俊一沖縄北方担当相をはじめ、本当に、23年、苦楽をともにした、浜田(靖一)元防衛相、小此木(八郎)自民党国対委員長代理。尾辻(秀久)元参院副議長、まだまだ私が愛してやまない同志の皆様方が、お出かけいただきました。これはもう、なんとも言えない思いでいっぱいであります。本当に、今日は、いろんな意味で、お出かけいただいたことを、感謝し、御礼申し上げたいと思います。本当に大臣はじめ皆さん、ありがとうございました。
さて、先ほど小此木議員から国会議員になって23年という話がありました。私は、ちょうど30年前の25歳のときに、岐阜県の当時の自民党の市連の役員さんからお声をかけていただきまして、『来る統一地方選挙、岐阜市選挙区県議会選挙に出ろ』というご命令をいただきました。早いもので、あっという間に30年です。県議会の初めての選挙以来、後援会長にはお付き合いをいただいております。29歳のときに、当時は消費税の導入等々で、多くの女性の有権者が、自民党よりは社会党という大きなうねりが生じてしまいました。これはいかんということで、いろいろとお出になっていただく方を探したんですけれども、ついには見つからず、やむにやまれず、自らが立候補してしまいました。本当に、当時の後援会には、大迷惑をかけましたし、ですから私の初陣はなんと、10万票を取らなければならない議席でありましたけれども、5万少々でありました。これは共産党の候補者よりも劣る票ということで、泡まつ候補と呼ばれたときもございました。でもあきらめずに、多くのみなさんが離れていくなかで残ってくださったみなさんと、ひとつずつひとつずつ、亀の歩みのように歩んできたなかで、32歳で初当選をさせていただき、そして、昨年の12月には、8度目の議席をいただいた次第です。
皆さんはご存じないかもしれませんけれども、わたしの同期は安倍(晋三)首相でございます。初当選のころから安倍首相が総裁・総理になる直前まで、私たちは晋ちゃん、聖子ちゃんと呼び合ってた仲であります。ちょうど3年前、3年3カ月の、本当に本当に苦しい野党の時代を経て、私たちは選挙を通じて与党に戻らせていただきました。そのとき安倍総裁から総務会長やれというご命令がありました。実はそのときまだ、息子は病院に入院中で、まだまだ予断を許さない時期にありました。息子の看病と、総務会長という激務が成り立つのかなと、考えたわけですけれども、やはり私は国会議員として考えなきゃいけないのは、この子が親亡き後、私がいなくなったこの国で、障害を持っていても、ちゃんと人間として生きていける、そういう新しい国を作り直していかないといけないということで、すべて夫に託して総務会長というお仕事をいただきました。そして、なによりもうれしかったことは、私たちが政権を失ったのは、民主党の強さではありません。私たち自身が崩壊してしまったんです。いろんな意味で、有権者の期待を裏切り、そして有権者との信頼を失い、結果的には自らが自らを滅ぼしてしまった。3年3カ月の間、他党が与党をやっているときに、つくづくと私たちはそれを思い知ることになったわけです。
そして、私たちは学び、政権奪還をかけた選挙の公約、そこにあっては、やれることをしっかりやる。やらないといったことはやらない。当たり前のことができなかった、当時の与党にはならないように慎重に慎重に、謙虚に謙虚に、そして臆病に、もう一度与党として一から出直そうというのが、ちょうど3年前の自民党であったと思います。そこにはいろんなことがありました。解散の約束になっていた、衆議院の定数削減をまっ先にやるという言葉もございました。そして、公約に書かれていることを、きちっとやっていくと。そのやっぱり第一義は、経済の再生、アベノミクスを進めていく。12月の選挙でも、この道しかないということで、とにかく津々浦々、都市部だけではなく地方にまでも、経済が安定してきたと。だから次の未来は大丈夫だと。だからこそ今持っているお金を、潤沢に使おうじゃないか。そして自然発生的な、真水による、われわれ日本人の力による経済の復興を果たそうじゃないかというのが、私たち自民党の皆様方とのお約束でありました。
1本目の矢はおかげさまで、見事に成功し、そして、円高であった74、5円だったと思います、当時。が、いまや120円を前後する勢いであります。これは緊急避難的にも、いちばん日本の経済の要であった大規模な輸出関連の会社ですら、円高によって赤字を計上している。ここをまずは、一番最初にいの一番に立て直さないといけない。それはやはり、金融政策、円安へ誘導することしかないんだということで、安倍首相のリーダーシップのもとで、ことは行われました。結果はオーライだったと思います。危機的な状況は回避できました。そして次々と2本目、3本目の矢が放たれて、いまごろは、都市部はもとより、津々浦々、地方の岐阜もあちこちも、多くの人たちが生活の豊かさを実感できるはずだったんです。
しかし残念ながら、その途中で幾多の障害がありました。円安の効果があった企業に比べ、地方は円安の被害に見舞われてしまったからです。あとは、理論的には大丈夫だろうと思われていた、消費税が上がったことによって、本来、期待していた個人消費の伸び悩みがありました。12月も、この道しかないということでお願いをしたものの、やはり私たちはここで一つ、立ち止まることはないにせよ、本当にこれでちゃんと近未来の日本の安定が図れるかどうかの議論をもう一度出すことも必要ではないか、と思ってもいます。そんななかで、私たちはさまざまな国会を運営してきました。とてもいいこともあれば、多くの反対意見をいただく内容もございます。
そんななかで私たちは、3年、検証するための、安倍内閣、安倍首相を検証するための総裁選挙が来て、この先の3年をもう一度、自民党に託すのか、安倍首相に託すのかをみなさんに見ていただく、絶好の機会が訪れたと思っていました。しかしながら、諸般の事情で、多くの有力な方々、本来ならば、自由民主党は派閥のリーダーが、常に常に総裁候補として立ち上がっていただいておりましたけれども、残念なことに、どのような事情か分かりませんが、そうやって切磋琢磨(せっさたくま)する、自由闊達(かったつ)な議論をするはずの先輩方が、残念ながら、今回はお手を挙げるに至っていません。そこで、私は案じてしまいました。本当に、自民党、衆院の選挙はこの2回、自民党として勝ったのだろうか。1回目の選挙は、民主党がだめだから、民主党がだめだから、もう一度自民党にやらせるということではなかったのか。そして12月の選挙は、敵のいないところで試合が行われてしまったのではないか。そんな思いがよぎっています。せっかくいただいた、与党のこの力を、もっともっと大切に、もっともっと謙虚に、そして先々に及ぶ、皆様方の幸せにつなげていかなければなりません。そのためには、党にとってはつらいかもしれないけれども、しっかりと、党内でありとあらゆる議論ができる場所を提供することが、私にとっては必要だと思います。さらに平成22年の新しくなった党の綱領をもう一度読んでいただくと、野党のときに、与党という座を失ったときの反省の一つとして作られた綱領として、自由闊達な真の議論をしていこうということをわれわれは、われわれ仲間だけでも誓っているし、国民の皆様にお示ししていることを、忘れてはならないと思います。
いろいろと、私は本来ならばこういうお礼のあいさつは短くしなくてはならないのですけれども、どうしても、マスメディアが先行してさまざまな報道をなさるもんですから、今日来ていただいた皆様方には、私はしっかりと、いまの私の気持ちをお伝えしなければならないと思ってお時間をちょうだいしています。最後になりますけれども、いまの私の心は「義を見てせざるは勇無きなり」。この言葉に尽きると思います。
本当に、当たり前のことなんですけれども、なぜか、その当たり前のことをお示しできない。これではやっぱり、せっかくいただいた政権も、不安定なものになってしまう。直接にみなさんが首相を選ぶことができないこの国だからこそ、与党自民党は、その担保として、きちっと総裁選挙を開いて、開かれた場所で開かれた議論のなかで、皆様方にわれわれの多様性を訴えて、保守として進化してきたきたわけです。その自民党をもう一度取り戻して、そして確たるものにして、基盤をつくることで、いまの若い人たちにしっかりと、自民党の素晴らしさをお届けしたい。そんなような思いで、亀の歩みのような活動をさせていただいています。つらいことはへっちゃらです。ただやっぱりいつまでも、みなさんと目があったときに、背けなくて済む、野田聖子であり続けたい。それだけをぜひ、皆様方にはお伝えしたく、今日はごあいさつに上がらせていただきました。
どうか、どうかこれからも、みなさんのお気持ちが受け止められる野田聖子であり続けるよう、よろしくお願い申し上げまして、感謝のごあいさつといたします。どうぞよろしくお願いします」
http://www.sankei.com/politics/news/150901/plt1509010035-n1.html
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