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主役のいないデモの後に求められるもの
http://new-party-9.net/archives/2597
天木直人のブログ 新党憲法9条
きょう8月30日の東京新聞が「デモの民主主義が来た」という社説
を掲げた。
その言わんとすることは、表向きは、今度のデモの広がりに対する称
賛だ。
もはやデモが議会制と並ぶ第二の民主主義を日本の政治に打ち立てつ
つある、とまで書いている。
しかし、東京新聞が本当に言いたいことは、そのことではないはず
だ。
戦後を代表する政治学者、丸山真男の「議会政治をきずくには」の一
節を引用し、あとは「院内」政治が健全な議会政治を築くためにデモの
声をどう政治に吹き込むか、であると締めくくっている。
これこそが、デモの後に求められる最大の課題である。
そして、東京新聞も、それについては具体的なことは何も語っていな
い。
今度のデモの最大の特徴は何か。
報道されていることが事実なら、それは主役なきデモということだ。
しかし、これこそが「院内」政治にもっとも矛盾することである。
良くも悪くも政治には公約を掲げ、実践する主役が必要である。
安倍晋三にしても橋下徹にしても、ここまで批判されても、主役を張っている。
それに対抗する善役の主役は出てくるのか。
それは憲法9条しかない。
デモの中から新党憲法9条を結成して安倍暴政に対抗しようと言い出すものが出て来ないことが不思議だ(了)
◇
週のはじめに考える デモの民主主義が来た
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015083002000135.html
2015年8月30日 東京新聞社説
きょうも国会周辺などで行われる「デモ」が力を増しています。民衆の声をのせた風が政治に吹き込む時、日本の民主主義はどう変わるのでしょうか。
いま、安全保障法制で政治が国民世論から離れていくのを目の当たりにして「居ても立ってもいられずに」「子や孫たちのため私たちの手で何とかしなければ」。全国各地で繰り広げられるデモの渦中で、多くの市民が口にする、政治への強い参加意欲です。
日本の政治空間にデモの存在感が増しています。東日本大震災後の「脱原発」以降、ここ数年で定着した大規模デモは、個別の利害が絡む従来の組織動員型デモと区別して、「草の根デモ」と呼ばれることがあります。
◆シアトルの教え
ほとんどはインターネットを介し、さまざまな生活感や価値観をもつ不特定の、つまり「草の根」の一般市民が自由につながり自発的に参加するデモの形です。
デモといえば思い浮かぶ光景があります。一九九九年十二月、米シアトルでの出来事です。
ちょうどインターネットが爆発的に普及したころ。世界貿易機関(WTO)閣僚会議の周辺に世界から約五万人が集結した「反グローバリズム」運動は、草の根型デモのはしりでした。このデモが今に残した教えが二つあります。
一つ目は、ネットがもたらす連帯力の効果です。会議の専門的な議論を、ネットの交流で一般市民向けにかみ砕き、デモ参加の敷居を低くしたことでしょう。
二つ目は、暴力の逆効果。草の根デモの自由さゆえに統制が利かず一部が暴徒化し、民主主義的なデモの効果を自らそいでしまったことです。
さて日本のデモがここまで大がかりに定着してきたのはなぜか。シアトルの教えをなぞれば見えてきます。
◆参加の敷居を下げる
一つ目。市民レベルの議論が広まった背景には、原発政策をはじめ特定秘密保護法、安保法制と矢継ぎ早の国論を二分する大問題に対し、国民の関心がおのずと高まったことがあります。
さしずめ憲法や国民の命に関わる重大事では「選挙で全権一切を政権に預けたわけではない」との思いが、人々の政治参加意欲をかき立て、デモに向かわせたのでしょう。その過程で例えば安保法制では、自衛権の「集団的か個別的か」という政治家の議論が、ネットで「戦争か平和か」の選択に変換され、敷居を下げた議論の輪が広がっていったのです。
二つ目の暴力性は、当初の脱原発デモが暴力とは無縁の3・11追悼ムードから始まり、非暴力の流れが後のデモに根付いたことで、これも市民参加の敷居を下げデモの拡大を促しました。
日本の草の根デモはこうして、選挙とは別に、国民が求めた第二の参政権の使い方として定着しました。しかし、ここで問題となるのは、選挙を通じた議会制民主主義とデモとの関係です。
一二年春の脱原発デモ直後に、『「デモ」とは何か』(NHK出版)を著した五野井郁夫・高千穂大准教授がそこに引用した古い論文に興味深い考察があります。
いわゆる六〇年安保に際して、戦後を代表する政治学者、丸山真男氏が残した『議会政治をきずくには』の一節です。
要約すれば、議会内の「院内」政治と、デモなど社会運動による「院外」政治とを切り分けて、双方のずれをなくし、風通しをよくしていくことが、健全な議会政治には肝要なのだ、と。五野井氏はこれを踏まえ、議会制とは別の、デモによる直接民主主義への期待を記しています。
◆政治家の意識の中に
そして今日、安保法制に挑むデモは高、中、若年の各層に広がり規模拡大の勢いは止まりません。 昨年は騒音を理由に国会前のデモ規制まで示唆して強気だった政権も、その勢いに押されてか、今年七月の安保法案の衆議院通過はその週末に企画された大規模デモの前に急ぎ足ですり抜けた印象です。安倍晋三首相も法案通過後、国民の理解が進んでいないことを認めざるを得ませんでした。
世論調査の結果もあるでしょうが、政治家たちの意識の中にデモが大きな地位を占めてもいるはずです。これはもはや、デモが議会制と並ぶ第二の民主主義に成長した姿なのかもしれません。
ともかくも「院外」の市民たちは、デモの民主主義を日本の政治に打ち立てつつあります。
あとは「院内」政治が窓を開けて風を通すことです。健全な議会政治を築くため、デモの声に耳を傾けることです。さもなければ、デモで巻き上がった風は次の「院内」をつくる選挙に、何らかの形で吹き込んでいくはずです。
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