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SEALDs KANSAIのデモに行って来た!
2015-08-27 17:21:57
テーマ:ブログ
今週の日曜日
京都で行なわれた
SEALDs KANSAIが主催したデモに行って来た。
実は
官邸前や関電前のデモに参加していたものの
その規模の縮小や
収束と共にデモというものから足が遠ざかっていた。
しかし、
毎金に国会前で行なわれているSEALDsのデモに
奥田愛基さんからお誘い頂いて
僕は考えを変えることになる。
実際に、SEALDsの若者達が
ラップをしている映像を観て
「あれは音楽家がやるべきことでは・・・」
という思いを抱いていたし、
渋谷駅前で行なったWorld Peace Festivalも
SEALDsのデモに触発された部分が大きかったからだ。
ただ
京都と東京を頻繁に行き来している僕は
全く予定が合わず・・・。
たまたま
8/23は京都にいて
遅れていたラジオの選曲提出があったけれど、
丁度SEALDs KANSAIのデモがあったので
参加することにした。
出発地点の円山音楽堂には間に合わなかったので、
四条木屋町から合流。
ダフト・パンクの「GET LUCKEY」をオケにして
トラックの上で
若い2人のMCがラップ調のコールをしていた。
そのオケのチョイスは今っぽいし
悪くないと思った。
僕を含めてその質や音楽性は・・・
なんて言う人がいるけれど、
あれはあくまでコールで
ラップのスタイルを取り入れたと
思えばよくやっているんじゃないかなぁ。
結構、好感が持てた。
何よりも
あのコールには
ラップが本来持っていた初期衝動があるのだ。
今のラップにそれがないとは思わないけれど、
学生達は本気で"言いたいこと"を口にしている。
しかも、
ラップ調にすることで
安保法案や安倍政権に反対する言葉は
リズムとグルーヴを獲得し、
人の身体の中にこだまを呼び起こし、
唱和のハードルを下げている。
もっと判り易く言おう。
楽しそうなのだ(安保法案を巡る状況は悲観的だけど)。
「戦争法案絶対反対!」
「戦争したがる総理は要らない!」
というメッセージが
メロディーのない
(厳密にはあるのだけれどないように聴こえる)
ラップ調のコールになり
誰もが参加し易くなっている。
そこに
殺伐としたネガティヴな空気はないし、
声を出す気持ち良さを
その若者2人が誘導してくれているかのようだった。
なのに、
僕は
最初
声を出さなかった・・・。
恥ずかしかったからだ。
「国民なめんな!」
とか
「安倍は辞めろ!」
という言い回しは僕にはできない・・・。
実際に
自民党は国民を舐めていると思うし、
安倍さんにはお辞め頂いた方がいいけれど
単純に抵抗があった(理由は割愛します)。
だからと言って
彼らの発言を否定している訳ではない。
心からそう思っているだろうし、
僕が30歳若かったら(現在48歳)
トラックに乗って一緒に叫んでいたかもしれない。
という訳で
初めは黙って行進に紛れた。
でも
その内、
僕は
自分だけが
声を出していないことに気付いた。
勿論、
長い行列の中には
黙ってプラカードを掲げているだけの人もいただろう。
でも
僕の回りは
皆
声を上げている。
おじいさんも
おばあさんも
お父さんも
お母さんも
勿論
若い人達も。
回りが声を上げているから
自分も・・・
と思った訳ではない。
今度は
デモに参加しながら
観察者でいつづける自分が恥ずかしくなった。
観察するなら
列を離れればいい。
実際に
観察する為に
列を何度か離れた。
でも
2度目に合流してからは
行列にいる間は必ず声を上げた。
もう恥ずかしくはなかった。
コールは強要されたものではなかったにも関わらず。
何しに来たのって話ですよ!
多くの人が声を出して練り歩く。
だから
何事だ!って道行く人が振り返る。
一人よりも二人、
二人よりも三人の方がボリュームは大きくなる。
だから僕は
一緒に声を上げた。
それに
街の中で
自分が言うべきことを声に出しているという自覚があった。
それは今、僕が本当にやりたいことだった。
見知らぬ人との一体感もそこにはあるしね。
ラップ調のコールは、
たとえオケが僕の好みでなくても
そのテンポとフロウが
皆をノセてくれる。
僕が好きだったフレーズは
「民主主義って何だ?」
「これだ!」
というコール・アンド・レスポンス。
ただコールを繰り返すのではなく
ちゃんと参加者がレスポンスできていることで
常連の存在を知ったし
参加者の短期間での習得(賛同?)にも感心した。
Tell me what democracy looks like?
This is what democracy looks like!
なんかもちゃんと言えてたもんなぁ。
こんなのが定着してるって、新しい。
そう、選挙に行くことだけが民主主義じゃない。
僕達は議員達を常に監視しなければいけない。
当選者に全権委任した訳ではないからだ。
議会を見学したり中継を見たり、
役所や議員会館に抗議に行くのも立派な民主主義だ。
勿論デモも。
そんなもん効果ない!
なんて意見を言う人もいるがそんなことはない。
確かに
車を運転している人達は迷惑そうな顔をしていたけれど、
河原町におそらく買い物に来た人の中にも
足を止めてデモを眺める人は少なくなかった。
でも
皆が黙って家にいたら
その気持ちは誰の目にも触れることはなかっただろう。
ところが
こうやってデモを行なうことで僕達の気持ちは可視化され、
国のやり方に憤りを感じているという人が
存在するという状態を
世の中に発信できるのだ。
京都だから外国人観光客は
写真を撮っていた。
ラップ調のコールでのデモンストレーションを
古都京都で見るとは思ってなかったんじゃないかな?
それにしても
自分が
河原町通りをデモ行進するとは夢にも思わなかったなぁ。
子供の頃に憧れた都会であり、
先週の火曜には河原町の三条と四条の間にあって
新装オープンしたファッション・ビル、
BALの内覧会でDJをしたばかりだったから・・・。
ちょうどBALに差し掛かった頃に
登壇?して行なわれた学生のスピーチも素晴らしかった。
寺田ともかさんという方(検索してみて下さい)。
安保法案の矛盾をよく勉強しているし、
具体的な戦争回避の方法も提案していたし、
何より主張が明確で
その力強い発声には
日本を絶対に戦争する国にしてはいけないという意思を感じた。
今の若者、
大したもんだと思う。
僕は
常々、
若者には
実績も
経験も
人脈も
お金も何もないから
追いつかれることはない・・・なんてあぐらをかいていたけれど、
SEALDsや
SEALDs KANSAIの若者達の発言や行動を見て
自分が間違っていることに気付いた。
確かに
彼らには何もないのかもしれない。
捨てるものや失うものもない。
でも、
何もない代わりに
勇気がある。
顔を晒し、
人前で声を出し、
意見を言う。
それって
勇気がいることだと思う。
中傷や批判を恐れず、
街の中で大声を上げている。
感心しただけでなく
尊敬すらした・・・。
河原町四条を南下し
デモが佳境に入ると
参加者の声がどんどん大きくなっていった。
ビルの谷間に入って
陽が射さなくなって
沿道の人の数は少なくなったけれど
僕達のテンションは一向に下がらなかった。
MCは声を枯らしながらも
コールを続ける。
彼らは絶対に安保法案を止められると信じている。
僕はそれまで「でも無理だろうな」と思っていたけれど、
止められることを信じている彼らを見て
僕は諦めることを止めた。
諦めていたら永遠に止められない。
止めると信じているからこそ
本当に止まるかもしれないのだ。
政治家の暴走。
戦争への誘導。
無関心と言う名の病状。
"止まる訳ないじゃん"
と冷笑したり、静観してるんじゃなくて
真剣に止めないと
この国はますます危険な方向に進んで行く。
止める方法を考えないと!
止める為にありとあらゆる手段を試みないと!!
羞恥心を捨て、
大いに反省し、
刺激を受けた、
SEALDs KANSAIのデモ。
予定が合えば
次回、或は次々回にも参加してみたいと思う。
合わない時は
自分にできることを試してみよう。
諦めないとか
往生際の悪さって自分の特性だと思っていたのに
危うく
大切な信念を失う所だった・・・。
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