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“独自性”はどこへ?(C)日刊ゲンダイ
審査委員登場で火に油…五輪ロゴ「当初案修正」で深まる矛盾
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163191
2015年8月29日 日刊ゲンダイ
「最初の案は少し違っていた」――盗用疑惑で大揺れの東京五輪エンブレム、その審査委員代表だった永井一正氏(86)の発言が“騒動の火”に油を注いでいる。
永井氏が疑惑発覚後に初めてマスコミの取材に応じたもので、26日付の朝日新聞によると、審査は名前を伏せた番号だけの状態で行われ、最終的に残った3点の中から、アートディレクターの佐野研二郎氏(43)の案に決まった。
が、商標を調べたところ、当初の佐野案には、ほかに似たようなものがあったため、イメージを崩さない範囲で何度か微修正を施した――永井氏はそう明かしている。
渦中の佐野氏は5日の会見で「類を見ないデザインができた」と自画自賛していたが、最初から“類を見ていた”わけ。これにネット住民が「なぜ修正してまで佐野案をゴリ押ししたのか」などと騒いでいるのだ。確かに素朴な疑問は残る。
「一般的にコンペでは、ほかに似た案が見つかったら、その場でボツにして次点などを採用する。もちろん今回の盗用疑惑騒動のように、のちのち“地雷”を踏まないためにです」(グラフィックデザイナー)
もっと不可解なのは、佐野氏の当初案には「円を感じさせる(下部の)Lのような部分はついていなかった」という点だ(画像右)。永井氏が読売新聞(26日付)にそう説明していた。
ちょっと待て。佐野氏は会見で「AからZ、0から9まで作ったりできる設計になっている」とボードを持ち出して力説していたはずだ。
「当初案にLの部分がなかったとすれば、ハナからそんな設計を考えていたのかという疑問も残ります。それに佐野氏はデザインについて、『全体が円になっている』などと“独自性”を主張していましたが、当初案では全体が円にはならない。佐野氏独自の考えではなかったのかなどの矛盾が生じます」(前出のグラフィックデザイナー)
ちなみに永井氏といえば、日本を代表するグラフィックデザイナーで、1972年札幌五輪のシンボルマークも手がけている。94年に日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の会長に就任(現在は特別顧問)という、業界の“重鎮”だ。
「この業界で永井先生に物申せる人間は、まずいないでしょう。永井先生の息子さんは、佐野さんがかつて勤めていた広告代理店のデザイン系子会社で社長をしているそうです」(業界関係者)
世間は狭いものだが、一連の疑問について聞こうと佐野氏の事務所を直接尋ねたら、「広報担当者が不在で、いつ帰るかも分かりません」と追い返されてしまった。
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