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現在は京都造形芸術大で教授を務める(C)日刊ゲンダイ
“Mr.文部省”寺脇研氏 「新国立問題の迷走は政治家の暴走」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162922
2015年8月24日 日刊ゲンダイ
新国立競技場の建設問題、国立大学・大学院の人文社会系分野の見直し、ますます強まる愛国教育――。文部科学行政の迷走が止まらない。古巣の体たらくをOBはどう見ているのか。ゆとり教育を旗振りし、“ミスター文部省”と呼ばれた寺脇研氏(63)に聞いた。
――2520億円もの総工費が問題になった新国立競技場の建設計画は白紙に戻りましたが、まだ先は見通せません。
小泉政権以来もてはやされてきた「政治主導」の弊害です。政治家が決めるのがいいことなんだ、官僚は黙っていろという空気でしょう。そもそも東京五輪は石原慎太郎元都知事の誘致に始まり、政治マターで進められてきた。政治家もそれに乗っかってきた。IOC(国際オリンピック委員会)はカネを出すわけじゃないから、候補国にいいモノを造れと言ってくる。今度こそ招致を成功させるためには今の競技場じゃダメだ、こんなに立派なモノを造りますから――とイケイケになった結果、建設費が膨大に膨らんでしまった。
――政治家に問題アリということですね。
もともとスポーツ界は政治家がベッタリ。東京五輪組織委の森喜朗会長はラグビー協会名誉会長ですし、JOCの竹田恒和会長は竹田宮家の流れをくんでいる方でしょう。政治家と選手がのさばっている世界で、役人は軽く見られているんです。政治家の声は大きいし、そこのけそこのけスポーツが通る、なんですよ。五輪開催決定が発表されたIOC総会が象徴的で、政治家とスポーツ選手が圧倒的に多かった。首相まで出席したのは初めてのこと。「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が発表された会場とは大違いですよ。新国立の問題は役人が機能していれば、ここまでメチャクチャにはならなかったはずです。
■政治家と官僚のパワーバランスは「10対0」
――役人が機能とはどういうことですか。
通常、国立の施設は財務省の監視も厳しくて建設計画をキッチリ詰めてきます。最近の例だと、2007年にオープンした国立新美術館(東京・六本木)。国内最大で総工費は400億円でした。費用をできるだけ抑え、周囲の景観に配慮するなど、細かいことを詰めて利害損失を精査するのが官僚仕事なんです。新国立のケースは、そういう検討が十分になされていなかった。文科省は「三流官庁」といわれ、政治家の顔色をうかがうだけの「御殿女中」と揶揄される役所。財務省ですら政治主導でやり込められているんですから、文科省の官僚が何を言っても聞いてもらえなかったんでしょう。役人の暴走とよく言われるけど、僕は政治の暴走だと思いますよ。
――役割を果たさなかった文科官僚にも責任がありませんか。
立法、行政、司法の三権分立を考えれば、政治家と官僚のパワーバランスは6対4くらいがいいと思うんです。でも今は10対0。すべて政治家が決める。特にいまの文科大臣は10ゼロの方。かといって、すべての責任を取るわけじゃない。整備計画を担当していた久保公人スポーツ・青少年局長(58)の辞職は事実上の更迭ですよ。「後進に道を譲る」なんていう役人がいるわけがない。「譲れ」と言われたから「かしこまりました」という話で、さらし者にまでされて本当に気の毒です。霞が関中の役人がやってられないよ、という心境ですよ。官僚本来の仕事はさせてもらえず、責任だけ負わされるんですから。
「安倍政権のやっていることは論拠が薄弱」と看破(C)日刊ゲンダイ
――京都で教壇に立っていらっしゃいますが、文系学部廃止論についてはどうですか? 教育界からはもちろんのこと、財界の一部からも反論が出ています。前駐中国大使の丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事元社長)も「知の衰退を招きかねない議論はやめてほしい」と声を上げています。
ブルドーザー的な発想をしない役人には到底考えられない政策ですよ。国が支給する運営費交付金の増減に言及したのも極めて政治的です。国立大に文系学部が設置されている理由はおおまかに、▼文理両方あることで学問が体系的に成り立つ▼地方の私学では一定レベル以上の文系教育が難しい――の2点が挙げられます。東大や京大の文系学部を廃止して地方大学は維持、というのであればまだ理解できる。東大ならそれを補う私学の早慶上智、京大なら関関同立がありますからね。
――政治家の暴走でこの国の教育が歪められていくと。
入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱の要請もそう。安倍政権のやっていることは論拠が薄弱なんです。安倍首相は国会で「税金によって賄われていることに鑑みれば、新教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」と答弁しました。つまり、「国がカネを出しているんだから」ということですよね。その理屈がまかり通るなら、生活保護受給者は国旗を掲揚しろ、補助金や助成金を交付されている企業は朝礼で国歌を歌え、ということになる。あり得ない話でしょう。憲法23条は学問の自由とともに、それを担保する制度的保障として大学の自治を認めている。違憲にもかかわらず、野党は追及しない。政治の世界も自民党と野党が10ゼロになっている。情けない話ですよ。
――そんな安倍首相の教育改革で象徴的なのは、第1次政権時代から力を注いでいる愛国心復活です。
安倍教育改革は極端に言えば支離滅裂です。第1次政権の方針は、まだ理解できた。ゆとり教育を「軟弱な若者ばかりになった」と否定し、教育法を改正。教科書検定で愛国心を盛り込み、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)を実施して成績を比べさせました。国家主義的かつ競争主義的なんです。国民は国家が教育するもので、競争によって経済は活性化する――というのが安倍首相の考え方。ゆとり教育はその真反対。国家より、国民。生涯学習に立脚し、国民が学ぶことによって、その集合体である国家も栄えるという考え方なんです。競争ではなく共生を目指している。
■「ゆとり教育」が名前を変えて復活
――寺脇さんは「ゆとり教育」でずいぶん攻撃されました。
私が役人のくせに分をわきまえずやってきたように思われていますが、中曽根元首相の強いリーダーシップで始まった政策なんです。といっても、中曽根元首相は10ゼロの政治家ではありませんから、多方面の意見を集約して87年にスタートし、02年からゆとり教育と呼ばれるようになりました。
――安倍首相の第1次政権の方針は理解できたということですが、では第2次は何がおかしいと感じているのですか。
安倍首相がフリースクールを視察したのにはビックリしました。学校という“素晴らしい教育機関”に合わない子供たちの学習の場がフリースクール。生涯教育、ゆとり教育の権化みたいなところですよ。それを制度化もしようという。夜間中学の拡充もそう。一番驚いたのはセンター試験の廃止。1点刻みの入試をやめろという。私が大賛成することを次々にやる。同じ政権が、ですよ。だから、教育専門家は一体どっちなの? と戸惑っています。政策の統一性が取れていなければ、原則もない。こんな教育改革は、役人だったらあり得ない。中曽根臨教審は生涯学習社会がこの国の教育制度の方向性であるというハッキリした理念があり、閣議決定もされました。ゆとり嫌いの安倍首相がこの閣議決定を取り消す閣議決定をすれば、ゆとり教育は瞬く間に消えたんです。それが名前を変えて復活してきているんですから……。
――ゆとり教育への揺り戻しが起きている?
文科省がグローバル人材育成を旗印にしきりと言う「キャリア教育」や「アクティブラーニング」は生涯学習のことですし、ヨーロッパにならって「国際バカロレア」(国際的な教育プログラム)を推進している。ゆとり教育はヨーロッパスタンダードで、どれもゆとり教育でやろうとしていたことなんです。私はニヤニヤしながら見ていますが、現場は大混乱ですよ。近代国民教育は国家の言うとおりにしていれば必ず立派な人間になれるというものでした。しかし、ポスト近代は、幸せは自分で勝ち取るもの、という考え方。ヨーロッパはいち早くそれに気づいて実行しているんです。安倍政権は上半身が保守で、下半身は新自由主義。結局、国家主義も競争主義も立ち行かないのは歴史の必然だと気付かされたのでしょう。
▽てらわき・けん 1952年、福岡市生まれ。ラ・サール中高、東大法学部を経て、75年、文部省(当時)入省。初等中等教育局職業教育課長、大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任。06年に退官後、現職。近著に「大田堯・寺脇研が戦後教育を語り合う」(学事出版)。
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