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陸自の内部文書「イラク復興支援活動行動史」を情報公開せよ
http://new-party-9.net/archives/2528
2015年8月20日 天木直人のブログ 新党憲法9条
きょう8月20日の朝日新聞が一面トップで、あのイラク戦争の時派遣されたサマワ駐留自衛隊の当時の実態をスクープ報道している。
あれほど安全確保に万全を期していたサマワ派遣でさえ、ここまで危険だったのだ。
安保法制案が成立すれば自衛隊の海外派遣はそれどころではない、と朝日新聞のその記事は訴えている。
しかしこの記事が教えてくれているのは、その事だけではない。
この朝日新聞の記事に引用されている陸上自衛隊が2008年に作ったとされる内部文書「イラク復興支援活動行動史」なるものは、立派なイラク戦争検証の報告書でもある。
あの戦争の検証を行っていないのは、主要国の中では日本だけだ。
民主党政権が終わろうとしていた2012年の12月末、ドサクサに紛れて外務省はその直前に、紙切れの様な検証メモを提出して検証作業を幕引きした。
詳細な報告書も作っていたのにそれを公開しないまま、中身のない要旨でごまかそうとしたのだ。
いまこそ野党はこの陸自のイラク復興活動支援活動行動史という内部文書とともに、外務省が作成した報告書全文の情報公開を求めるべきだ。
そしてそれらを解読して、あのイラク戦争参加の検証を行い、国民に公表するのだ。
安保法制案の欺瞞と、その背後にある日本の対米従属が白日の下にさらされるだろう。
自民党政権は壊滅的なダメージを受けるだろう。
国会議員が行うべきはパフォーマンスに走る国会質問だけではない。
一般国民が出来ない国会議員の特権を使って行う地道な検証作業である。
その妨げとなる特定秘密法を廃止することである(了)
◇
銃声、群衆が陸自包囲 撃てば戦闘…サマワ駐留隊員恐怖
http://www.asahi.com/articles/ASH8C4VLCH8CUTFK00F.html?iref=comtop_6_06
2015年8月20日03時54分 朝日新聞
自衛隊車両を囲んで石を投げたりする群衆=2005年12月4日、イラク南部ルメイサ、朝日新聞のイラク人助手撮影
自衛隊初の「戦地派遣」となったイラクで、隊員たちは危険と隣り合わせの活動を強いられた。政府は当時、「一人の犠牲者も出さなかった」と安全性を強調したが、実際は隊員が銃を撃つ判断を迫られるなどの事態が起きていた。陸上自衛隊が2008年に作った内部文書「イラク復興支援活動行動史」や関係者の証言で明らかになった。新たな安全保障関連法案では活動範囲がより拡大し、危険はさらに高まる。
突然、銃撃音と怒声が響いた。自衛隊が駐留したイラク南部サマワから約30キロ離れた街ルメイサ。活動開始から2年近くになる2005年12月4日、復興支援群長の立花尊顕(たかあき)1佐ら幹部たちはムサンナ県知事らと、修復した養護施設の祝賀式典に参列していた。
発端は、会場のそばで起きた反米指導者サドル師派と、自衛隊を警護していた豪州軍の銃撃戦だった。サドル師派は頻繁に多国籍軍を襲撃し、自衛隊も「占領軍」と敵視した。会場内の陸自幹部たちは「ただ事ではすまない」と青ざめた。
銃撃戦に続き「ノー・ジャパン」などと抗議しながら押し寄せた群衆の渦は、あっという間に100人前後に膨らんだ。幹部らは建物に閉じ込められ、外で警備にあたっていた十数人の隊員は群衆に包囲された。車両に石を投げつける男、ボンネットに飛び乗って騒ぐ男、銃床で車の窓をたたき割ろうとする男までいた。
「どうすべきかわからず、みんな右往左往していた」と当時の隊員は話す。
群衆の中には銃器をもつ男たちもいた。もし銃口が自分たちに向けられたら――。政府が認めた武器使用基準では、まず警告し、従わなければ射撃も可能だ。
「ここで1発撃てば自衛隊は全滅する」。どの隊員も、1発の警告が全面的な銃撃戦につながる恐怖を覚えた。「撃つより撃たれよう」と覚悟した隊員もいた。結局、地元のイラク人に逃げ道を作ってもらい窮地を脱することができた。
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