3. 2015年8月18日 08:42:12
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【第58回】 2015年8月18日 加藤嘉一 [ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院 客員研究員] 安倍談話を「ごまかしの産物」と牽制する 中国共産党の本心 中国共産党は“安倍談話”を どう評価したのか? 談話には3つのキーワードが盛り込まれ、中国側の要求を満たしたにもかかわらず、中国の政府が日本を牽制し、メディアが日本を批判したのは何故であろうか 前回コラムでは、習近平国家主席率いる中国共産党指導部が戦後70年に際して発表する“安倍談話”に何を求めるか、というテーマを扱った。
「あくまでも“侵略”“植民地支配”“心からのおわび”を求めつつ、ボトムラインは“村山談話”という4文字の固有名詞に引く」 このように指摘した上で、私は「安倍談話が中国側の“要求”を満たしたものになるか、“ボトムライン”を満たしたものになるか、あるいはそのどちらも満たさないものになるかによって、中国側のその後の対日政策は少なからず変わってくるであろう」という推察を述べた。 8月14日午後、閣議決定を経た“安倍談話”は世間へと公表され、日本や海外のメディアがリアルタイムでそれを追いかけ、分析を加えるという具合であった。それだけ安倍晋三首相の歴史認識に世界中の注目が集まっていたということだろう。 本稿では、前回コラムの続編として、中国共産党指導部が“安倍談話”をどう認識し、どう反応し、そしてこれからの対日関係をどうマネージしていこうとしているのか、という問題を考えてみたい。 まずはファクトを拾ってみたい。 安倍談話は“侵略”“植民地支配”“心からのおわび”という3つのキーワードを明確に含んでいた。 前回コラムでは、仮に3つのキーワードに言及しなかったとして、“村山談話”という固有名詞に明確に言及することが中国共産党のボトムラインである、と指摘した。 結果的に、安倍談話は“村山談話”には触れなかった。“代わり”に、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました……(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」というパラグラフにおいて、安倍内閣が歴代内閣の立場を継承することを表明する形を取った。 “心からのお詫びの気持ち”という言葉を使用している。 一方の、“侵略”“植民地支配”という言葉に関しては、以下のパラグラフで使用している。 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」 私は北京で安倍談話を巡る動向を観察していた。中国メディアも日本メディアや他国のメディア同様、リアルタイムで追跡報道を展開していた。安倍首相が3つのキーワードを使用した事実が明らかになると、中国知識人たちが交流のプラットフォームとして活用している微信(We Chat)などでは、「安倍首相、侵略に言及!」「これで中日関係は悪化を防ぐことができる」「9月4日、習近平主席と安倍晋三首相は3回目の会談を北京で行う環境が整った」といったコメントが瞬時に流れた。 私と一緒にパソコンの画面を凝視しながら安倍談話を見守っていた中国の友人も、「これで中国政府としても日本を批判できなくなった。日本という国はやっぱり洗練されている。日中関係もさらに前進するだろう」と感慨を口にしていた。 「ごまかしの産物」「誠意に欠ける」 新華社が配信した手厳しい内容 しばしのインターバルを挟んで、中国外交部の華春瑩報道官が記者会見を主催し、安倍談話に関する記者からの質問に対して次のように答えた。 「日本はあの軍国主義による侵略戦争の性質と戦争責任に対して明確な立場と回答を提出すべきである。被害国の人々に誠意あるお詫びをすべきである。徹底的に、きれいさっぱりと軍国主義の侵略の歴史に別れを告げるべきである。そして、この重大な原則的問題を巡って如何なるごまかしもすべきではない」 国営新華社通信は、日にちが8月14日から15日に変わったころ、東京発の社論として『安倍談話はごまかしの産物で、誠意に欠ける』を配信した。安倍首相が歴代内閣の歴史認識を振り返る形で“反省”や“おわび”を提起しただけで、加えて「戦後に生まれた日本人には謝罪の宿命を背負わせるべきではないとも言った」と振り返った。 同社論は、安倍談話に対して、次のような解釈を与えている。 「歴代政府はおわびをしてきた、もう十分だ、という意味である」 「これは、日本が今後いっさい過去の侵略と植民地支配に対しておわびをする必要はないと言っているに等しいではないか!」 「明らかなのは、“安倍談話”は20年前の“村山談話”を越えられなかったどころか、日本政府が反省やおわびを軸とした戦後の歴史認識に終止符を打とうとしているということだ」 また、新華社が8月15日に北京発で配信した『侵略の歴史に対する反省がごまかされてはならない』という記事では、日本、ロシア、韓国、マレーシアの専門家による批判的なコメントを引用しつつ、中国だけではなく、日本を含めた国際社会も安倍談話に対して不満を持っている印象をつくり出そうとした。安倍首相に対する歴史批判で日本や国際社会における世論も巻き込もうとしているのは明らかだった。 中国側の要求を満たしたのに なぜ安倍談話は批判されたか? 3つのキーワードが盛り込まれた、すなわち、中国側の要求を満たしたにもかかわらず、中国の政府が日本を牽制し、メディアが日本を批判したのは何故であろうか。 キーワードとしてのボトムラインは満たしたけれども、村山談話の精神を継承していない、という認識と判断を、中国側が持ったからなのであろう。 前述のように、安倍首相は“心からのお詫び”を歴代内閣が表明してきたこと、今後の内閣も引き継いでいくことを明言したが、自らが今現在どう考えているかに関するコメントは避けた。“侵略”に関する記述も、その行為に対して直接向き合い、それに対してお詫びの気持ちを表明したというよりも、キーワードを盛り込むことに神経が集中され、それ自体が目的化されたという感想を、国内外を問わず多くの読者が抱いたのであろう。 多くの聴衆や読者が村山談話を継承したと認識した2005年の“小泉談話”における一文「わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、あらためて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します」という立場と安倍談話のそれが、異なる産物に映ったであろうことは否めない。 私は、前回コラムにおける記述を含めて、事前の想定不足を実感している。「キーワードの使用」=「村山談話の継承」という等式を何ら疑わなかったからだ。実際に、“使用”の概念は絶対的なものであり、誰がどう読んでも使用しているかいないかは火を見るより明らかであるが、“継承”の定義は相対的なものであり、読む人間によってその認識や解釈が異なる。 談話を発表した安倍首相本人は「継承している」と断言するであろうし、一方、安倍談話発表後、地元大分県で記者会見を開いた村山富市元首相は、「植民地支配、侵略、おわびなど、村山談話のキーワードは、できるだけ薄めて触れたくないという気持ちだったのだろう。焦点がぼけて、何を言いたかったのか分からない。植民地支配や侵略が悪かった、と率直に謝るような文章になっていない。(継承した印象は)ない」との考えを、メディアに対して語っている。(8月14日、読売新聞ウェブ版記事“村山元首相、安倍首相談話に「焦点ぼけた」”参照) 日頃から付き合いのある米ニューヨーク・タイムズの中国問題担当記者は「安倍談話は想定内の内容であったが、慰安婦問題に関するコメントは可哀想なほど意味がなく、効果の望めないものに思えた」とその印象を私に語った。 批判や抗議ではなく“立場”を使用 外交官の記者会見から透ける「本心」 結果的に、中国の政府と世論は、安倍談話を“誠意の欠如”“ごまかしの産物”と捉え、世論全体としてもこの2点をクローズアップしたが、私から見て、新華社や人民日報という共産党の立場や意思を直接的に反映する機関を含め、メディアがかなり批判的に安倍談話を評価する一方で、政府としてはある程度抑制的なスタンスを堅持していくものと思われる。 その1つの根拠が、外交部の華春瑩外交官が8月14日の記者会見で開口一番表明した、次のコメントである。 「中国政府は日本の指導者による談話を承知している。外交部の張業遂副部長がすでに日本の木寺昌人駐中大使に対して中国側の厳正な立場を伝えてある」 “批判”や“抗議”ではなく、“立場”という言葉を使用していた。この事実を以て、筆者は中国政府が、安倍談話そのものに対して、抗議や批判を赤裸々に、延々と繰り広げるつもりはない立場を持っているであろうことを察知した。仮に中国側がボトムラインを脅かされたと認識したのであれば、“立場”ではなく、“抗議”を表明するはずであるからだ。 一例として、2013年12月26日、安倍首相が靖国神社を参拝したことを受けて、中国外交部の王毅部長が木寺昌人大使に対して、“厳正な交渉”と“強烈な抗議”を表明している。今回は、表明した担当者、その表現から判断する限り、中国政府が抱いた不満は比較的“軽度”なものだったのではないか、と思われる。 やはり、何はともあれ安倍談話が、中国側自身が求めてきた3つのキーワードを使用していたことがその理由であろう。そして、読みが甘かった私と比べて、中国政府は「3つのキーワード使用」=「村山談話の継承」が必ずしも成り立つものではないというシナリオを事前に抱いていたに違いない。 安倍談話が村山談話の精神を継承する産物ではないという解釈を下したからか、8月15〜16日にかけて、中国メディア・世論では、日本の一部閣僚が靖国神社を参拝し、安倍首相が“自民党総裁の名義で”玉串料を自費奉納したことに対する批判が蔓延した。安倍談話に対する不満の延長線だと解釈していいだろう。 対日関係を安定的にマネージしたい 中国共産党指導部が見据える「今後」 2日連続で記者会見を開いた華春瑩報道官は、次のようにコメントしている。 「靖国神社は日本軍国主義が侵略戦争を発動した精神的道具と象徴であり、8月15日は日本軍国主義が無条件降伏を宣告した日である。日本の一部政治家がこの日を選んでA級戦犯が眠っている、侵略戦争を美化した靖国神社に参拝したことは、日本側の歴史問題に対する深刻な誤った態度を反映しており、中国側はそれに対して断固とした反対と強烈な不満を表明する」 と同時に、以下のフレーズでコメントを結んでいる。 「我々はいま一度、日本側が歴史認識の問題において、実際の行動で中国や国際社会に厳粛な立場表明と約束をし、関連する問題を適切に処理し、真の意味でアジアの隣国や国際社会からの信任を得るべきだと促したい」 私から見て興味深かったのが、“靖国問題”で日本に対する批判的な政府見解やメディア報道が目立った一方で、新華社を含めた中国メディアが、8月15日に行われた全国戦没者追悼式における天皇陛下の「さきの大戦に対する深い反省と共に」という初めてなされた発言を大きく取り上げたことである。 8月15日17時43分、中国中央電視台のニュースチャンネル(CCTV13)の司会者が、いつになく厳かな態度と口調で、読み間違えないようにという緊張感に包まれながら原稿に向き合っていた姿が、やけに印象的であった。 中国共産党指導部にとって、天皇という存在は特別であり、と同時にその発言に敬意を示し、中国の人民たちに上から伝えることによって、日中関係を安定的にマネージしていきたいと考えているのだろう。 私は、共産党を代表、あるいは代弁する宣伝機関である新華社が安倍談話を牽制・批判する過程で、(1)日本の学者の見解を多数引用していたこと、(2)日本の新聞の社説を引用しつつ、“日本の主流メディアも安倍談話に懐疑的である”と強調していたこと、(3)天皇陛下の発言を大々的に“宣伝”していたこと、の3点を以て、自らの人民に対して、日本社会においてすべてのプレーヤーが安倍談話に賛同しているわけではなく、意見や価値観が多様的である現状を伝えようとしていたと捉えた。 その目的は、何と言っても、対日関係の安定的なマネージメントにある。本連載でも度々扱ってきたように、習近平国家主席は、国内世論・国家経済・対米関係といった角度から、日本との関係が悪化することを懸念しているし、権力基盤を相当程度固めたいま、可能な限り国内外の雑音にとらわれず、自らの戦略と考慮に則った対日政策を展開していきたいと考えていると私は見ている。9月3日、北京で開催予定の“抗日戦争勝利軍事パレード”や、一部で噂されている安倍首相の中国訪問といった行事を巡る動向に注目していきたいところだ。 安倍談話は我々の子や孫に 謝罪の宿命を負わせてしまった? 安倍談話が発表された後、私は国交正常化の前夜や改革開放プロセスにおける対日関係に関わってきた共産党関係者と交流する機会を持った。この人物は次のような認識を披露した。 「安倍談話には満足していない。習近平は対日関係を引き続き重視していくが、どこまで安倍晋三という政治家と話をし、どんな政策をどこまで打ち出していくかに関して、より慎重な姿勢で挑んでいくだろう」 この人物は続ける。 「私はむしろ日本の国民、特に若い方々に同情的だ。安倍首相は“私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません”とおっしゃったが、今回、村山元首相や小泉元首相のように、下手な小細工は入れずに、潔く謝らなかったが故に、逆に子孫に謝罪の宿命を背負わせてしまったのだから」 http://diamond.jp/articles/-/76873 |