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2015年08月18日
毎日新聞が、以下のように米メディアが、陛下の70回目終戦記念日において、「さきの大戦に対する深い反省」と言及されたことと、アベシンゾウの70年談話の対比が注目されている。早い話が、反省している天皇と、開き直っている日本政府と云う構図である。その上、もう謝らないぞ、戦後生まれに責任なんかない!と言ったも同然なのだから、中国韓国が怒るのは当然として、米国に限らず、世界が呆れていると云うのが、客観的相場だ。
アベ談話と陛下のお言葉が、同時並行で発表されるのではない、とまで憶測が飛んだが、流石にそれはなかった。逆に推測すれば、宮内庁からの情報で、陛下が“深い反省”と云う一文を入れることが判っていたと推量することも出来る。つまり、天皇陛下のお考えと、アベシンゾウの考えは、真っ向対立していると言っても過言ではない。
勿論、天皇は憲法上象徴であるわけだから、日本政府を代表した言葉にはならない。あくまで、日本の正式意思表明は、内閣総理大臣の談話である。ただ、日本人が、普遍的に天皇と云う立場に尊敬の念を抱いている状況が存在するので、日本政府のフォーマルな声明に、異論を唱えた天皇陛下と云う構図だと認識することは可能だ。その証左ではないが、日本政府の顔を自認する“外務省のHPから、政府の歴史認識やアジア諸国への「反省とおわび」に関する記事を削除している。
「歴史問題Q&A」において、外務省は日本政府の立場を発信する意図から、第二次大戦における「歴史認識」「慰安婦問題」「南京大虐殺」「極東国際軍事裁判(東京裁判)」など8項目について、政府の見解や対応を説明していた。しかし、村山、小泉談話の「全体として引き継ぐ」と語った話と70年談話の齟齬が明々白々なため、扱いに苦慮。取りあえず、削除して、言い換えようと考えているようだ。
次回の談話の区切りとなる「80年談話」までの間、少なくとも日本政府は、当時の世界情勢における、一種趨勢であり、日本が特別「侵略や残虐な行為に出たものではない」と云う公式見解を引き継ぐことになる。まあ、75年談話で、アベシンゾウ談話をもみ消すことも可能だが、その時の日本が、アジアに向けて牙を剥く行為を再開すれば、75年談話も、80年談話も、当面出せない事になる。「100年談話」辺りで、もう談話を出す気力も失った日本政府の姿を想像できるだけに、なんとも、トンデモナイ人間を首相にしてしまったものだ。
≪ 首相70年談話:「反省」天皇陛下と対照的 米メディア
【ワシントン和田浩明】天皇陛下が70回目の終戦記念日である15日、政府主催の全国戦没者追悼式で「さきの大戦に対する深い反省」に初めて言及されたことについて、米主要メディアは安倍晋三首相の戦後70年談話とは「対照的」などと報じた。
米通信社ブルームバーグは「天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的」との見出しで記事を配信。また、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は「安倍首相の政策に対する静かな反対」との見方が強まると紹介した。
全米公共ラジオ(電子版)も第二次大戦に関する「前例がない謝罪」であり、安倍首相の談話より踏み込んだもの、と評価した。米メディアは安倍談話 について自らの言葉で謝罪がなかったとして「日本の指導者、第二次大戦で謝罪に至らず」(ワシントン・ポスト紙)などと批判的に伝えていた。 ≫(毎日新聞)
≪ 天皇陛下のお言葉
全国戦没者追悼式 平成27年8月15日(土)(日本武道館)
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。 終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の 意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることが ありません。 ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
≫(宮内庁HPより)
安倍晋三の70年談話をお読みになりたい方は、官邸のHPにでも、行かれれば良いのだろう。筆者は、あまりにも恥さらしで潔さのない、現日本政府の談話など、二度と目にしたくない。おそらく、永遠に突きまくられ、ODAを含め、莫大な金で、外交を行うしかない道に進んだようだ。アメリカと云う国、及び米軍が、永遠に健在であれば、そう云う選択もあると思うが、21世紀の潮流の中に、アメリカ覇権が普遍性を持っている保証は、どこにも見当たらない。最後になったが、人民網のケチョンケチョン、評論を引用しておく。まあ、中国にここまで叩かれると、安倍の肩を心情的には持ちたくなるが、理において負けている。
≪ 「安倍談話」は一体何を語ろうとしているのか
(週刊!深読み『ニッポン』第82回)
日本の安倍晋三首相は14日、国際社会の高い注目を受けていた「安倍談話」を正式に発表した。この「談話」が高い注目を受けたのは、第一に、談話が、 70年前の侵略戦争を日本の現政権がいかに正しくとらえるかという根本的な是非にかかわるものであるためである。第二に、安倍首相が今年初めに「有識者懇 談会」を作り、談話のムードを醸成するための下準備をしていたためでもある。第三に、「安倍談話」において、「村山談話」で用いられた「侵略」「植民地支 配」「反省」「お詫び」という4つのキーワードが踏襲されるか、さらにこれらのキーワードが具体的にいかに用いられるかが、国際世論の焦点となっていたためである。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所副研究員)
「安倍談話」についてはまず、発表にあたって選ばれた日付が「8月14日」であり、「8月15日」でなかったことが検討に値する。日本が無条件降伏した 敏感な日である「8月15日」が故意に避けられ、8月15日に発表された「村山談話」と区別がはかられた根本的な目的は、日本が負うべき侵略戦争の罪の責 任を「安倍談話」において述べるべきであることを曖昧にし、「安倍談話」において誠意ある謝罪の言葉があるかという国際世論の注視をそらすことにある。
次に、「安倍談話」において用いられた「侵略」と「植民地支配」というキーワードの表現は、非常に曖昧模糊としており、国際社会の信服を得られるもので はない。「安倍談話」はこのように述べている。「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解 決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」。「安倍談話」における侵略戦争と植民地支配に関する重要表現はこれに尽きる。安倍首相の目には、日本が行った侵略戦争と植民地支配が、侵略戦争とまったく関係 のない第三の国がどこかで起こった戦争を横から眺めるようなものに変わってしまっているのである。安倍首相の語る「侵略戦争」と「植民地支配」は、いったい誰が侵略戦争の発動者であり、侵略戦争においてはどの国が侵略され、どの国が植民と奴隷の如き酷使に遭い、どの国が侵略戦争と植民地支配の被害国である のかをはっきりと示すものではない。曖昧模糊とした文脈の中で、侵略国と被害国との境界は実質的には混同され、ぼかされている。侵略国と被害国との境界が 混同されることによって、第2次世界大戦のアジアにおける戦争の策源地であり、アジア侵略戦争の発動者であるという日本の凶暴な役どころもまた、徹底的に 曖昧にされ、見分けられなくなっている。
さらに、「安倍談話」における「反省」と「お詫び」の記述もまた、日本政府が公式見解として示すべき「反省」と「お詫び」の誠意をはっきり伝えるものとなっていない。「安倍談話」はこのように述べている。「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の 子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。
こうした文言は、日本はもう何度も反省と謝罪を繰り返してきたのだ、日本に今生きている人々 やその子孫、先の世代の人々は反省と謝罪を繰り返し負う責任はないのだとの印象を与える。しかしこの言葉は次のような意味を暗に含んでいる。安倍首相自身 も戦後生まれの世代である(安倍首相は1954年生まれ)。ならば戦後生まれの日本の政治家やその他の人々は戦争には何らの関わりもなく、日本のかつての 侵略戦争の歴史と罪責を記憶する必要はない。侵略戦争をうやむやにしようが、美化しようが、否定しようが、戦後生まれとその子孫であることを口実にすれ ば、日本が「歴史修正主義」の茶番を再演しようとしているとの国際社会の批判をかわせる。
それだけでなく「安倍談話」は、日本がアジア侵略戦争を起こした深層の内的要因に迫ることを完全に回避し、世界の大きな環境などの客観的な原因が日 本を侵略戦争の道へと駆り立てたことを強調するものである。「安倍談話」はその始まりにおいて、日本がアジア侵略戦争を発動する前の世界史を大きなスケー ルで次のように描き出して見せる。百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていた。植民地支配の波はアジアにも押し寄せた。その危機感が日本にとって近代化の原動力となった。日本はアジアで最初に立憲政治を打ち立てた。日露戦争は植民地支配を打ち破った。第1次世界大戦 後、悲惨な戦争を経て、新たな国際社会の潮流が生まれた。その後、世界恐慌が発生して日本経済は大きな打撃を受けた。外交的・経済的な行き詰まりに陥った日本は武力によって危機を解決しようとした。当時の日本国内の政治システムはその歯止めにならず、日本は世界の大勢を見失った。満州事変(中国で言われる 「九一八事変」)後、日本は国際連盟から脱退し、次第に、国際秩序への挑戦者となっていき、進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行った――。
「安倍談話」のこの下りを読むと、安倍首相が物事の本質を置き換え、因果を逆転させ、責任逃れをしているとの印象を持たざるを得ない。歴史の事実は、中国を侵略する戦争を日本が自ら画策したことを裏付けている。しかし「安倍談話」の中では、当時の世界の客観的な環境が、経済危機を解決するために戦争を発動すること を日本に強いたということになっている。日本はこうして、戦争に突き進まざるを得なかった同情すべき国となり、侵略戦争の画策者であり発動者である日本の主体的な責任は完全に覆い隠されることとなる。「安倍談話」の施した入念なメーキャップは、日本がアジア侵略戦争を発動した罪の原因を雲散霧消させてしまうのである。
「安倍談話」はさらに、「慰安婦問題」について、重きを避けて軽きに就くものであり、アジアの被害国の女性を深く傷つけた「慰安婦問題」を完全に回避するものとなっている。「安倍談話」はこう述べる。「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」。「名誉と尊厳を傷つけられた女性」とは一体どのような女性を指すのか。安倍首相はこれをはっきりと語ってはいない。この「女性」は、日本国内の女性を指し得るものでもあり、侵略を受けた国の数多くの無辜の被害女性を指し得るものでもあるが、安倍首相はこれが「慰安婦」を指すと言明してはいない。安倍首相はここで、「慰安婦問題」を故意に回避している。安倍首相は、「慰安婦問題」は非常に扱いづらく、日本と隣国との関係に深く影響する問題であることを知っている。さらに安倍首相自身と日本の右翼勢力は、慰安婦の強制徴用を日本が行ったことを明確に認めた「河野談話」の正当性を否定し続けてもいる。そこで「安倍談話」においては、「慰安婦問題」をできるだけうやむやにし、「慰安婦」の3文字を持ち出すことが避けられた。
村山富市元首相が鋭く指摘するように、「安倍談話」は美辞麗句を並べ立てただけで、何を謝罪し、今後どうするかについて何ら説明していない。談話の焦点はぼけ、何を言わんとしているのか「さっぱりわからん」。まさにその通りである。「安倍談話」は、日本の右翼保守勢力の受け止めを十分に配慮し、日本を戦前のような「普通の国」にしようというこうした勢力の要求に合致するものであり、安保法案によって集団的自衛権を行使することを中心とした、安倍首相の推し進める「積極的平和主義」の理念を全力で鼓吹するものでしかない。
「安倍談話」の真意については、安倍首相本人もはっきりと述べている。戦後70年談話の発表後の記者会見で、安倍首相は安保関連法案に触れ、「戦争を未然に防ぐための法案であり、政府は、国民の意見と批判にも真摯に耳を傾けながら、理解が深まるよう今後も努力を重ねる」と語った。
安倍首相の言葉から読み取れるのは、「安倍談話」が、日本が今後、軍事力を大幅に行使できる国となるためのお膳立てとなる宣言にすぎない、ということである。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所副研究員)(編集MA) ≫( 「人民網日本語版」2015年8月17日)
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