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「ぼくには「戦争責任」はない。しかし、「戦後責任」はあるし、それがいまなお問われ続けている」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18107.html
2015/8/17
toriiyoshiki氏のツイートより。https://twitter.com/toriiyoshiki
安倍首相の「戦後70年談話」全文を読んだ。
字面を追う限り、特段大きな問題は感じない。
全体に美辞麗句の感は否めず、朝鮮半島に対する植民地支配について具体的な言及を避けた点に安倍さんの"意固地"を感じはしたが…。
あとは「この言葉通りにやってよね」ということ。
そこが信頼できないのだが。
安倍首相の支持層がこの談話を素直に受け入れるかどうかは疑問だが、どうするんだろうね?…ま、俺にはどうでもいいことだが。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」の後に 「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」が来るのは支離滅裂感が漂うなあ…。
「植民地支配の…何が悪かったのでしょうか?」と聞かれてもなあ…orz
韓国文化における「恨」の意味を全く知らないでアホなことを言うてる人がいる。
漢字の字面を見て「恨み」の意味だと思うてるんやろな。
アホ丸出しやん。
「恨」とは外に向かう感情ではない。
ましてや他者に謝罪を求めるようなものではない。
内に積もる「しこり」のような感情、悲哀感のようなものだ。
中国に対する一種のヨイショ感と韓国に対する冷淡さが印象的なコントラストをなす安倍談話。
バランスを図って、使うべきキーワードは配し、形式を整えるが様々な解釈が可能な曖昧な多義性のなかに言葉を投げ出す。
政治的な隘路を抜ける、ぎりぎりの「作文」だったのだろう。
ぼく自身は、相手が何人であれ、前の戦争で侵略したことについて謝れと言われたらはっきり断る。
生まれてもいなかった自分が意思決定に関われるはずもないことを、日本人として生まれたという理由だけで責任を問われるいわれはない。
しかし、それはかつての侵略を正当化するのとは全く違うことだ。
そして、戦後、往々として「侵略」を正当化しようと試みる政権を日本が許してきたこと、戦後補償が非人道的なかたちで行われてきたことに関しては、戦後社会を生きてきた日本人の一人として、ぼくにも責任の一端がある。
そして、いまなおそうした「歴史修正主義」を許していることは大変恥ずかしい。
安倍さんがそういう意味で「先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と言ったのなら俺は支持するが…まさか、ねw
ぼくには「戦争責任」はない。
しかし、「戦後責任」はあるし、それがいまなお問われ続けているということだ。
日本の戦後処理の問題点は少なくないが、ぼくがよく知っていて、なおかつ耐え難く「恥ずかしい」と思っている例をひとつだけ出す。
サハリン残留韓国・朝鮮人の問題である。
終戦時点でサハリンには多くの「日本人」(朝鮮半島出身者を含む)がいた。
戦争に敗れ、ソ連軍が進駐してくると、現地の行政機関は日本人の引き揚げをソ連に認めさせる代償に朝鮮半島出身者を炭鉱などの労働力として残す方針を決めた。
当時、建前としては「同じ日本人」だったにも拘らず、だ。
そして、日本人は引き揚げ、数万人の朝鮮半島出身者がサハリンに残された。
彼らはその後、日本の講和・独立と同時に日本国籍を失った。
その後、日本政府は、朝鮮半島出身者と結婚して日本国籍を失っていた女性とその家族についてのみ、引き揚げを認めた。
「国籍」ではなく「血」を優先したのである。
サハリンに残された彼らは、ぼくが取材に行った1990年代の前半まで、救済の道を閉ざされサハリンで生活していた。
彼らの多くは日本から取材に来たぼくたちに謝罪を求めるでもなく、懐かしそうに日本語で話しかけてきた。
しかし、その実態は、紛れもなく日本政府が異国の地に棄て去った棄民だった。
日本が植民地とし、「日本人」としての義務を負わせた朝鮮半島の人たち。
しかし、戦争に敗れると手のひらを返したように「外国人」として扱い、補償も行わなかった。
それは戦後日本の原罪であり、その時点(1990年代)でも放置したまま。
…日本人として恥ずかしく、責任を感じざるを得なかった。
ぼくと安倍さんはそれほど変わらない世代だが、あの人はそうした現実に目を向けることなく育ち、ここまで来たのだろう。
そうでなければ、あのように「軽い」言葉を吐けるわけがないとぼくは思う。
わかっていない人がいるようだから、補足しておく。
日本が戦争に負け、主権を失ったから、「日本人」だった朝鮮半島の人たちが自動的に「外国人」になったわけではない。
日本国内にいる朝鮮半島出身者が日本国籍を失ったのはサンフランシスコ条約によって日本が主権回復をした日である。
それも、一方的に、言わば国籍を剥奪したようなかたちだった。
ドイツは併合していたオーストリア人に対して、オーストリア独立の日をもって国籍を選択することを認めた。
二つの国の戦後処理は、このように「謝罪」問題に留まらず、明確な対照をなす。
「謝罪」について言うなら、ぼく個人が謝罪を拒否することと国家としての姿勢とは根本的に違う。
日本国が大日本帝国を継承して一つの国家として連続している以上、大日本帝国の責任もまた継承される。
国家の指導者が国家を代表するかたちで責任を認め、侵略への反省を表明し、謝罪するのは当然。
戦後史を多少知っている人には言うまでもないことだが、日韓基本条約はそれ自体、韓国内の激しい反対を当時の軍事独裁政権が押し切って締結したもの。
そうした素地に加えて、締結後、自民党の首脳から植民地支配を正当化する発言が相次いで、その都度、反発を招き問題をこじらせてきたのである。
だから、日本が謝罪をしたのに韓国側がそれでもさらなる謝罪を求めているという言い方は歴史的に正しくない。
口では「謝罪」をしながら、一方では裏で舌を出すようなマネを続けてきたことが、この問題をこじらせたのである。
今回の安倍談話は、ダブルミーニングの意図的に曖昧な表現がちりばめられているものの、最低限の要素は満たしたかたちをとったことで、歴史修正主義を警戒していた中国や韓国、あるいはアメリカにも基本的には好意的に受け止められるだろうと推測する(まだ確かめていないので「推測」である)。
あとは首相はじめ政権の周辺が「反省」の言葉を裏切る歴史修正主義的な言動に出て、またぞろすべてを台無しにしないことを切に願う。
この政権の本音が談話の字面とは違うところにあるのはほぼ明らかだと思うので、それを心配するのは理由のないことではないはずだ。
「なるほど」と思ったのは、「過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」という言葉が国際的な常識とは全く違う意味に解釈可能なこと。
安倍さんの支持層である歴史修正主義者にとっては、「歴史と真正面から向き合う」とは修正された(彼らのいう)「正しい」歴史観を信奉することなのである だからぼくには「支離滅裂」に感じられたことが、安倍さんの支持層にとっては「首尾一貫している」と感じられるだろうことである。
知恵を絞ったな、と思うのだが、このあたりが談話が目指したはずの国際協調路線が全面的な決壊につながりかねない「蟻の一穴」である。
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