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左・『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社)/右・2015年4月、米国連邦議会で演説する安倍信三(首相官邸HPより)
安倍首相の「安保法制」妄執の背景に、敬愛する祖父・岸信介がA級戦犯を逃れるため米国と交わした裏取引きが!
http://lite-ra.com/2015/08/post-1400.html
2015.08.17. リテラ
戦後70年特別企画 安倍首相の祖父“A級戦犯”岸信介の正体(後)
安倍晋三首相が愛してやまない祖父、岸信介は1945(昭和20)年9月15日にA級戦犯容疑で逮捕される。当時は誰もが岸は有罪とみていた。それはそうだろう。
満州官僚時代に軍部と結託してアヘン取引に手を染め、アヘンを求めて中国領土を侵す軍をバックアップし続けた。取引で得た巨額の利益を戦費に回し、一部を政治資金として活用して軍国主義者の象徴といえる東条英機を首相にまで昇りつめさせた。さらには東条の片腕として商工大臣、軍需次官を務め、国家総動員体制、大東亜共栄圏の自給自足体制の確立を遂行するなど、戦時日本の寵児として辣腕を振るった。岸が戦争遂行の中枢にいたことは疑いようがない。そんな岸を戦勝国が犯罪者リストから外すわけがないのである。
にもかかわらず、岸は満州時代の盟友・東条英機の絞首刑が執行された翌日の1948(昭和23)年12月24日に不起訴処分で釈放された。東条の絞首刑と岸の生還、明暗を分けたというには余りにも落差の大き過ぎる結末だった。
あるいは岸の満州時代の上司であり、東条内閣では内閣書記官長として共に支えてきた星野直樹は終身禁固刑に処せられた。満州では岸は星野よりはるかに手を汚し、閣僚として戦争遂行にかかわった度合いも、岸のほうが大きかったはずである。当然、研究者やジャーナリストにとってもこの処遇の違いは興味の対象となる。岸はなぜ、戦犯を逃れたのか。
ひとつは、岸がもともと用意周到でなかなか尻尾がつかめない存在であることがあげられるだろう。有名な「濾過器発言」にその片鱗が垣間見られる。岸は1939(昭和14)年10月に満州を離任する際、数人の後輩たちを前にこう語っている。
「政治資金は濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、かかわりあいにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」
要は、証拠を残すなということであり、嫌疑に対して敏感になれということでもある(実際、岸は東条内閣時代に書いた書類をすべて焼却してしまっている)。
だが、それだけでは訴追はまぬがれない。岸はアメリカに対して具体的な“工作”を行っていた。そのひとつは再びアヘン絡みの話だ。東海大学名誉教授、太田尚樹氏の著書『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(講談社文庫)に元ハルピン特務機関員の田中光一のこんな証言が載っている。
「麻薬はどこの国でも最大の関心事でした。もちろん、アメリカだってそうです。戦後、GHQが克明に調査して関係者に尋問したのに、まったくと言っていいほど処罰の対象に指定しなかったのは、不思議だと思いませんか。あれは明らかに、情報提供の代償となったからです。甘粕はもうこの世にいませんでしたが、里見、岸なんかが無罪放免になったのは、そのためなんです。エッ、東条にはどうかって? 彼は直接戦争責任に結びつく訴因が多過ぎて、GHQは阿片の件で取り調べるだけの時間がなかったのです。アメリカは裁判を急いでいましたからね」
証言に出てくる「里見」とは、里見甫のことだ。「アヘン王」と呼ばれた陸軍の特務機関員で、上海を拠点にアヘン取引を仲介していた。岸とアヘンの関わりを調べる中で繰り返し出てくる名前でもある。千葉県市川市にある里見の墓の墓碑銘を揮毫したのが岸だったことは前回、紹介した。その里見も戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されている。そして、田中の証言通り、不起訴者リストの中に「里見甫」の名前は載っていた。
つまり、岸や里見はアメリカにアヘン情報を提供する見返りに戦犯訴追を免れたというわけだ。
もうひとつ、岸には戦争責任逃れのための「東条英機裏切り」工作というのも指摘されている。満州の関東憲兵隊司令官だった東条英機が中央に戻り、陸軍次官、陸軍大臣、首相へと上り詰める原動力になったのが、岸がアヘン取引で得た豊富な資金だったことは前回書いた。岸は東条内閣を商工大臣、軍需次官として支え、戦争を主導した。ところが戦争末期にこの仲が決裂する。それどころか、岸VS東条の対立がもとで内閣が崩壊してしまったのだ。
毎日新聞に掲載された「岸信介回顧録」(1977年5月11日付)によれば、岸は〈サイパン陥落のあと「この戦争の状態をみると、もう東条内閣の力ではどうしようもない。だからこの際総理が辞められて、新しい挙国一致内閣をつくるべきだ」ということでがんばった〉という。
そして、東条内閣は瓦解。下野した岸は郷里に帰り、防長尊攘同志会をつくって、引き続き「打倒東条」の政治活動を続けた。
この一連の行動について毎日新聞記者だった岩見隆夫氏が非常に興味深い証言を採取している。証言の主は満州時代の岸の部下だった武藤富男だ。武藤は東条内閣が崩壊した直後の昭和19年7月、岸とともに満州を牛耳った「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、岸信介、鮎川義介、松岡洋右の語尾をとってこう言った)の一人、星野直樹(前出、A級戦犯)を訪ねた。
〈その折、星野は武藤にこんなつぶやきをもらしている。
「岸は先物を買った」
「どういう意味ですか」
「東条内閣を岸がつぶしたということだ」
しかし、どうして先物買いになるかについて星野は語ろうとしなかった。
「戦後、再び星野さんに会ったとき、もう一度『先物を買ったというのは、岸さんが敗戦を予期していたということなのですか、それとも戦犯を免れるためという事まで考えて岸さんは東条内閣をつぶしたとあなたは見通したのですか』と問い質してみたのですが、相変わらず、星野さんは黙したまま答えてくれませんでした」
と武藤はいった〉(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』中公文庫)
この「先物買い」というのはまさに、敗戦を見込んで、わざと東条と反目したということだろう。前出の太田尚樹も同じ見方をしている。
〈打倒東条は国難の打開、つまり国家のためという大義名分が成り立つ一方で、戦犯を逃れることはできないまでも、連合軍から大きなポイントを稼ぐことができると読んでいた〉
〈満州以来の二人の関係は、刎頚の友といった関わりではなく、結局は、互いに利用し合っていただけだった〉
〈つまり東条は岸の頭脳と集金力を利用し、岸は陸軍を利用しながら権力の座を目指したが、その陸軍の頂点に、権力の権化と化した東条がいた。だがアメリカ軍の攻勢の前に、東条の力など見る影もなくなってきている。こんな男と便々とつるんだまま、一緒に地獄に落ちるのはご免である〉(前掲『満州裏史』)
この変わり身の早さこそ岸の真骨頂といえるが、さらに、岸には獄中で、もっと重大なアメリカとの政治的取引を行っていたのではないか、との見方がある。その取引が、岸を訴追から救い、そして戦後、内閣総理大臣に押し上げた最大の理由ではないか、と──。
それが何かを語る前に、戦後アメリカの対日政策には2つの流れがあったことを指摘しておく必要がある。ひとつは民政局(GS)に代表されるニューディーラーを中心としたリベラル勢力で、日本国憲法の素案づくりにも携わった。民主化を徹底する立場から旧指導者への処分も容赦がなかった。もうひとつは治安を担当する参謀本部第2部(G2)を中心とした勢力で、対ソ連、対中国戦略を第一に考える立場から、日本を再び武装化して“反共の砦”に育て上げようと考えていた。GHQ内部ではこのふたつの勢力が対立していた。
占領当初はGSの力が強かったが、米ソ冷戦が本格化するにつれて「反共」のG2が「対日懲罰」のGSを凌駕するようになる。こうした流れの中で、G2は巣鴨拘置所に拘留されていた岸との接触をはじめた。再び、前回紹介した原彬久氏の『岸信介―権勢の政治家―』(岩波新書)を引く。
〈G2およびこれと連携する人脈が獄中の岸と接触していたことは、確かである。例えばGHQ経済科学局のキャピー原田は、巣鴨の岸から「戦後復興」問題でたびたび意見を聞き、しかも原田みずから上司のマーカット少将に「岸釈放」を説いている(朝日新聞、平成六年九月二二付)。いずれにしても、こうした文脈を抜きにしては、岸が不起訴、無罪放免となっていよいよ戦後政治の荒涼たる舞台に放たれるその道筋は理解できないだろう〉
G2は実際、1947(昭和22)年4月24日付で最高司令官のマッカーサー宛に岸の釈放を求める異例の「勧告」まで出している。獄中で岸はアメリカとどんな取引をしたのだろう。自らの命のためならかつての盟友を売る男である。いったい何と引き換えに、無罪放免を勝ち取ったのか。
これについては「週刊朝日」(朝日新聞出版)2013年5月24日号が渾身のリポートを掲載している。〈「星条旗」の下の宰相たち〉というシリーズの〈第3回「ストロングマン」〉。筆者は同誌の佐藤章記者だ。まず、岸はアメリカにとってどういう存在だったのか。同記事を引く。
〈戦後の米国のアジア政策は、米国の国益を守ってくれそうな、その国における「ストロングマン」を探し出すことから始まる。韓国における李承晩、台湾における蒋介石がその典型だ。日本においては吉田茂であり、鳩山一郎、緒方竹虎と続いて、1950年代半ばに岸の番が巡ってきた〉
では、岸に与えられたミッションは何だったのか。
〈(日本国憲法)第9条があるために日本は自衛目的以外の軍隊が持てず、米国との相互的な防衛能力を保有できなかった。つまり、米国が攻撃を受けても日本は援軍を出すことができない。さらに言えば、米国の軍事戦略に乗っかる軍隊を持つことができない。
この相互防衛の考え方が、集団的自衛権の解釈として、1951年の旧日米安保条約締結以来、日米間の問題となった〉
まさにいまの安倍政権が強引に進める新安保法制につながる話だ。この問題解決こそ、岸がアメリカから言われた最大のミッションで、そのために最初に着手したのが〈「建設的勢力」の結集〉つまり保守合同だ。では、カネはどうしたのか。
戦後70年特別企画 安倍首相の祖父・岸信介の正体(前)
安倍首相が心酔するお祖父ちゃん・岸信介の戦争犯罪! アヘン取引でブラックマネーを集め戦争を遂行(リテラ)
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