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談話では、村山談話や小泉談話の「反省とおわび」を継承したが…(写真:首相官邸HPより)
安倍談話が中国で予想以上の批判を受けた理由
http://diamond.jp/articles/-/76880
2015年8月17日 吉田陽介[日中関係研究所研究員] ダイヤモンド・オンライン
「談話には反省とお詫びが入るのでしょうか」。
14日夕方に安倍談話が発表される前、中国人の友人はこう筆者に尋ねた。現在中国の国際地位が向上し、周辺諸国との関係でも中国抜きには考えられないため、日本の国益を考え、恐らく入るのではないかと筆者は答えた。また別の友人は、「直接にお詫びという言葉を使わずにお詫びの気持ちを表明するのではないか」と見ていた。
中国人はなぜ安倍談話に注目したのか。中国には歴史問題という譲れない原則問題があり、それによって日中関係が影響を受けることを憂慮しているからだ。
前にも述べたように、中国の原則問題は歴史問題のほかに、領土問題もある。中国はこれを外交上の「底線(最低ライン)」としており、それを超えた者に対しては果敢に批判を加え、ひいては関係が冷却化する。もし村山談話から後退する談話が発表されたら、中国としては「日本は底線を超えた」として批判し、相応の措置をとるしかなく、それによって両国関係がまた停滞することを憂慮した。
また、中国の安倍首相への警戒感もある。現在の中国の安倍首相の評価は、第一次政権のときの小泉時代に停滞した日中関係を打開した政治家ではなく、「戦争のできる国」をつくろうとしている軍国主義者というものだ。
中国の一般の人も中国メディアの報道の影響を受け、安倍政権の安保法案は「日本を戦争のできる国にする法案」という認識だ。この政権によって日本は歴史に逆行する動きをみせるのではないかと中国は警戒している。
中国には「ヘビに咬まれた者は、縄を見てもヘビだと思ってしまう」という言葉があるが、侵略された側としては、現在の日本の動きは軍国主義時代に向かうと映るのだろう。それゆえ、中国は安倍政権を警戒し、その政権が発表する談話は日本の歴史観を説明する格好の判断材料となるため、安倍談話に注目したのである。
■「頭をちょこっと下げただけ」と安倍総理の謝罪を批判
安倍談話は筆者のみるところ、国内の様々な声や諸外国との関係を考え合わせたうえでバランスをとり、言葉の使い方にも気を遣った印象だが、中国は談話についてあまり積極的な反応を示しているとは言い難い。
談話発表後、中国メディアも談話について伝えた。例えば、14日午後6時の新華社報道は、「反省」と「お詫び」が盛り込まれていることを伝えたが、これからの世代に「謝罪し続ける使命を背負わせてはいけない」という言葉が入っていることと、日本の侵略と植民地統治について直接に言っていないと伝えた。
「反省」と「お詫び」については多くのメディアが報じ、とりわけ、「謝罪し続ける使命を背負わせてはいけない」というくだりについて、中国は「日本は今後謝罪するつもりがないのか」ととったようだ。
15日付けの『環球時報』は「安倍はいくつかのキーワードを継承しているが、誠意が欠けている」と題する社説を発表し、「安倍談話は村山談話のキーワードをあまり継承したくなかったようで、村山談話の誠意のある態度は継承していない。もし村山氏の謝罪がアジアに対し90度のお辞儀をしたというのであれば、安倍氏の謝罪は腰をちょっと曲げた仕草をするか、頭をちょこっと下げただけである」として、安倍談話は村山談話の言葉だけを継承しただけで、反省とお詫びの気持ちがどれだけあるのかということに懐疑的な態度を示した。
また、中国は戦争に対する謝罪自体のほかに、談話の中での中国の立ち位置についても批判した。安倍談話の「その思い(痛切な反省とお詫びの気持ち−筆者)を実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み」というくだりについて、15日付けの『環球時報』社説は、安倍談話が「台湾をアジア諸国と中国の中間においたのはどういうことか」として、このような記述は中国の原則問題のひとつである「一つの中国の原則」にもとるとして日本の態度を批判した。
■侵略を認めた“証拠文書”村山談話からの後退を憂慮
なぜ、中国は安倍談話に予想以上の批判をしたのだろうか。理由は三つあると思う。
第一に、安倍首相の「解釈の幅を残す」というやり方が、中国人には重要なことをはっきり言わない「曖昧戦術」であると映ったことだ。中国社会科学院日本研究所の李薇所長は『環球時報』の取材に対し、「安倍談話の最大の特徴は『曖昧』だ。安倍は、一方であの歴史は侵略だったといわずに、『侵略未定義論』に対する余地を残し、もう一方では、痛切な反省とお詫びを述べている。だが、彼は歴代の内閣がしたからそうしたのであって、本人がそう思っていることは言わず、政府としてこの観点を継承するとして、自分と他人との区別という余地を残した」とコメントした。
先ほども述べたとおり、安倍談話は様々な意見を反映させたいわば妥協の産物であり、現在の日本国内の状況から考えると、ギリギリのものだといえる。ただ、中国側としては、日本が侵略したことは動かぬ事実であるから、この問題を曖昧にすることは両国関係の発展にとってもマイナスとなる立場である。それゆえ、中国は安倍談話の立場に疑問を呈したのだろう。
第二に、日本の近代の歴史に対する見方が違うことだ。中国の歴史観は、日本は明治維新によって遅れた国から近代国家への変貌を遂げたが、それは封建主義的要素を含んだ近代化であったため、日本は帝国主義の道を歩み、対外拡張していったというものである。
安倍談話は日本が国策を誤って侵略の道を歩んだことについて述べられているが、日本はアジアで初めて立憲制を実現し、アジアの人々に勇気を与えたというような立場に立っており、日本の帝国主義化という点の記述が弱められているという印象を中国は受けたのだと思われる。
第三に、この談話が両国関係をさらに発展させるうえで重要な役割を果たしうるものだからである。よく言われることだが、中国は、党や政府の文書は政策形成の面で極めて大きな役割を果たす。指導者の講話も然りで、それはその国の方向を示すものであり、大きな意味をもっている。
日中関係を語る上でよく出てくる「四つの基本文書」は、両国関係の方針性を示すものであり、両国関係を発展させることを双方が確認したという証拠でもある。歴史問題でいうと、村山談話は、日本が侵略を認めたという一種の証拠文書であり、それがあったからこそ国内の反日の声を抑えることができたといえる。それゆえ、中国は安倍談話が村山談話から後退することを憂慮したのである。
以上のような理由により、中国は安倍談話を批判したが、談話作成当初よりも前進したという見方もある。
元中国社会科学院日本研究所副所長の馮昭奎氏は、安倍談話は確かに巧妙な表現方法を使ってかつての日本の侵略行為を曖昧にしたが、「安倍の談話は彼が今まで使ったこともない言葉を使っており、ずる賢く立ち回っているという疑念はあるものの、中国の立場からみると、すでに進歩している」とコメントしている。
中国の主要メディアの報道は安倍談話の積極面にはほとんど触れておらず、侵略やお詫びのところをクローズアップしている。コラムニストの陳言氏はチャイナネットに寄せた文章で、安倍談話には戦争で亡くなった人の具体的数字や、戦後アジア諸国から日本人が無事引き揚げれらたことと中国に取り残された孤児を育ててくれたことへの感謝、周辺諸国の「寛容」の心によって国際社会に復帰できたことへの感謝といった安倍談話の積極面について触れている。
中国残留孤児について触れた部分と「寛容」の心については、日中関係を発展させたいというシグナルであると筆者は考える。この点はもっと報道されても然るべきだが、陳氏も分析するように、安倍談話は一方で日本の「武力による紛争解決を行わない」という態度は平和憲法の精神に合致していると述べ、もう一方で「積極的平和主義」を述べているため、日本の真の態度をはかりかねているのだろう。
さらに、15日に安倍内閣の閣僚が靖国神社を参拝したことから、中国は日本の歴史認識に対する警戒感を強めている。16日付けの『人民日報』の「歴史を忘れると同じ失敗を繰り返す可能性がある」と題した文章は、「日本で見られる平和に逆行する現象は、(日本が)歴史に正しく向き合えないことを示している。この逆の流れをそのままにしておくと、邪悪な勢力の反撃を引き起こす可能性が極めて高く、再び戦争の道を歩むリスクが増す」と述べて、日本の歴史認識を批判した。現在の日本の状況、この問題は中国の曲げるに曲げられない原則問題ということを考えると、歴史問題の短期的解決は望めず、陳言氏の指摘するように「日中和解の道は、任重くして道遠い」と筆者は考える。
■今後の日中関係の発展には何が必要か
先ほどからも述べているように、歴史問題は中国の原則問題であり、この問題の解決なくしては両国関係の発展はありえない。従来は、日本国内には中国に対する贖罪感があり、中国は革命第一世代の影響力が強く、その意向が強く反映されて、反日の声を押さえ込むことができたが、現在の日本は戦争を知らない世代が8割を占め、中国もかつてのように指導者個人の意向が反映されるというシステムではなくなり、さらには民意も無視でなくなっている。この状況下で今後どのように両国関係を発展させていけばよいのだろうか。
第一に、歴史問題をこの代で決着させるという気概をもって、あの戦争は何だったのかという問題に向き合うことである。安倍談話の「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりが中国で批判されたが、歴史問題をこの代で解決し、新しい関係を作っていくという意味であれば、積極的意義をもつ。
前出の馮氏は2004年に出版した『「対日新思考」は実現できるか』の中で、「歴史を正しく認識するということの主体は日本人民とその政府であり、言葉を代えていえば、われわれは日本人民とその政府が『正しく歴史を認識する』ことを期待するのであって、この行為自体は他人が代行できないものである」と述べており、歴史問題の解決はあくまでも日本自身の問題であり、この問題解決に努力するなら、両国関係は発展するという考えを示している。
今年は戦後70周年という節目の年であり、多くの研究成果や証言などが出ており、戦争を知らない世代が戦争についての認識を深めるチャンスにめぐまれている。戦争に対する認識を深めることは短期的には成し得ないことであるが、これを機に戦争について考えることは非常に重要なことだと思う。
第二に、日本の態度を実際の行動で示すことである。安倍談話には中国などの周辺諸国の「寛容な心」に対する感謝の気持ちが述べられていたが、これが関係発展のシグナルかただの言葉だけの態度表明かは、今後の実際の行動で示すことが大切である。
現在、日中関係は以前に比べて対立ムードはやや和らいでおり、中国も日中関係を発展させたいというシグナルを発している。例えば、安倍談話発表前日に人民ネットは習近平主席の日中関係に関する言論を集めた特集を組んでいたが、これは一種のシグナルとみてよい。過去のコラムでも書いたように「ボールはすでに日本側に投げられて」おり、今後日本がどのような行動をとるかは両国関係発展にとって重要である。
第三に、国際主義の精神で両国関係を発展させていくことだ。中国は習政権になってから、毛沢東時代の良き伝統を受け継いでいる。それは外交面でもそうである。現在日中関係は改善に向かいつつあるが、その勢いはまだ弱く、ひとたび領土問題などで日中間のトラブルが生じると、偏狭なナショナリズムを刺激する可能性が大いにある。
2012年に日本が魚釣島を国有化したことにより、中国が民間交流をストップさせたことはその例である。偏狭なナショナリズムは相互不信を拡大し、両国関係の発展にマイナスに働く。そのため、「一部の軍国主義主義者とは闘争し、一般民衆と連帯する」という精神で中国側が民間交流を持続しようとすることは非常に重要である。
日中の相互理解は重要だといわれているが、それにはまず根本的な問題である歴史問題で両国は共通認識に達する必要があるが、現在のところそれは困難をともなうだろう。共通認識は無理なら、両国の認識はどのくらい違うかということをはっきりとさせ、そのうえで「最大公約数」の認識に達するのが相互理解にとって不可欠であると考える。
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