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小沢一郎代表は日本の将来を憂い、国民有権者に「苛政・暴政・戦争を策動する政権」の打倒、政権交代を叫ぶ
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/9be59dd5af10bc94aa26776ca1af2c22
2015年08月17日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表は8月15日、「戦後70年を迎えて」と題する「談話」を発表している。
このなかで、日本が大東亜戦争(日中戦争・太平洋戦争など複合的戦争)に突入して行った要因について、以下のように考察している。
「昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。そうした世の中で、『財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪』と『昭和維新の歌』で唄われたように、『日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない』と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました」
戦前の日本は、大地主(不在地主も含めて)が農地の多くを所有し、小作人を使用していた。このため、小作人は、貧しい生活から逃れることができず、一旦飢饉に見舞われれば、一家離散の憂き目に遭ったり、娘を売らなければならなかったりした。この惨状に政府、財界、軍部などは、根本的な解決策を立てられなかった。(なお、この日本の封建体制について、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が、「農地解放」を断行して、小作人に土地を分配した)
◆そうしたなかで生まれたのが、海軍少尉・三上卓が昭和5年5月、24才の時に佐世保で作詞作曲して発表した「青年日本の歌(昭和維新の歌)」(著作権:無信託)であった。昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
一、汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
六、天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
(「汨羅の渕」とは、楚の詩人・政治家「不運の愛国者」と呼ばれる屈原=紀元前343年1月21日頃 〜紀元前278年5月5日頃=が立った洞庭湖畔汨羅の川の渕である。屈原は、祖国の滅亡の危機を憂いながらに身を投げた)
◆1929年(昭和4年)10月24日の午前10時25分。ニューヨークの株式市場にてゼネラルモーターズの株価が80セント値下がった。これを機に市場は売り一色となり株価が大暴落、世界大恐慌を引き起こし、第2次世界大戦勃発の要因となった。
「世界戦争史概説―戦争の歴史―」(泉茂著、甲陽書房刊)は、「不況」について、次のように述べている。
「1929年から1932年にわたる世界的大不況は、持たざる国をしていよいよ塗炭の苦しみに陥れそれがヒトラー(ナチス)、ムッソリーニ(ファッショ)をして権勢を得させる一つの原因となった。日本も同様にこれが軍部の抬頭の一原因となり、満州事変から、支那事変へ、更に大東亜戦争へと突入した。不況は恐るべき社会不安の原因であり、ひいては戦争の危険を伴う」(註・不況→大国の輸入制限→小国は圧迫を受ける→小国の生活圏要求→軍備(現状を打破するため、得たものを失わぬため、不況そのものを克服するため)→かくて戦争へと進む)
日本が再び「戦争の惨禍」に見舞われないためには、政治家は「国民の生活が第1」の政策を根本に据えて、平和と繁栄を築かねばならない。政治家の義務である。国民有権者は、政治家が、「国民の生活が第1」の政治を行っているかを監視し、政府がこれに反する政治を行っているのに気づいたときは、速やかにこれを倒して、政権交代を図り、新政権を樹立しなくてはらないのである。安倍晋三首相、中谷元防衛相、岸田文雄外相、菅義偉官房長官ら「苛政」「暴政」を行い、戦争を策動する政権は、やはり直ちに打倒する必要がある。これが小沢一郎代表の「高潔なる志」である。
【小沢一郎代表「戦後70年を迎えて」(談話)】
http://www.seikatsu1.jp/activity/declaration/20150815.html
戦後70年という節目を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。戦後70年を迎えた今も、日本は政治、経済、社会のあらゆる面において、まだ戦後を脱し切れていません。これは「戦後」の前提となる「戦前」、特に昭和史についての検証と認識が全くなされないまま今日に至っているからだと思います。
私たちは戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだと思います。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。歴史ときちんと正面から向き合おうとしないから、世界各国、特に隣国の中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返されることになるのです。
私は愛国者の一人だと自認していますが、軍事裁判という形を取って懲罰を科す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。
指導者たる者は、指揮を誤った時には自ら潔く責任を取らなければいけません。日本は8月15日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。誰も責任を取らないまやかしのナショナリズムではなく、70年前の「敗戦」をしっかりと受け止めて戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。
日本は戦後、アメリカ占領軍の下で形の上での民主主義が導入されました。そして、アメリカから与えられるままに、全てを惰性で曖昧なままにして70年間を過ごしてきました。
国民一人ひとりが第二次世界大戦を自分の問題として捉えず、自らの意思で戦前の日本に向き合い、検証し、考え、そして民主主義とは何かという結論を導き出す作業を怠ってきたのです。その結果、戦後70年を迎えても、日本は依然として民主主義を本当に理解している国になれないでいます。
昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。そうした世の中で、「財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪」と『昭和維新の歌』で唄われたように、「日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない」と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました。
私は5.15事件や2.26事件を政治的に肯定するつもりは全くありませんが、今の社会構造は当時と非常に似てきていると思います。現在はまだ非正規社員でも何とか食べていけますが、ひとたび世界規模の経済恐慌に襲われたら、国民は相当混乱に陥るはずです。
そういう時でも、日本人が自立していて、日本に本当の民主主義がきちんと根付いていれば、皆で知恵を出して合って、何とか困難な状況を解決していく方策を思いつくでしょう。しかし、民主主義の土壌がなければ、5.15事件や2.26事件の時のように、「今の政党政治はだめだ」「民主主義は無力だ」ということで、国民が極端な行動に走ることもあるかもしれません。私は戦後70年の節目の今年こそ、国民一人ひとりが本当に民主主義を身につけるべき年ではないかと思っています。
そして、日本に議会制民主主義を定着させ、国民が一人ひとり自分の頭で考え、投票し、自分たちの政権をつくる。自分たちが選んだ政権がおかしいとなれば、もう一方の政権を選び直す。そういう仕組みを確立する中で、政党も国民もお互いに力を合わせていけば、今後どんなことが起きようとも、日本はそれを乗り越えていくことができると思います。
私は特に最近、一日も早くそういう日本にしなければ危ないと強い危機感を抱いています。戦後70年を機に日本に本当の民主主義を根付かせ、アジアの範となるような国になることに、国民の皆さまと一緒に全力で取り組んで参りたいと思います。
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