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明仁天皇の手で守られる憲法9条を持つ日本
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2015年8月17日 天木直人のブログ 新党憲法9条
今年も戦争記念日をめぐる政治の季節が終わった。
そして今年は安倍談話と歴史認識をめぐって例年になく政治的な戦争記念日であった。
そして、その政治的対立は今後もさらに続いていくだろう。
その行方はどこへ収斂していくのだろうか。
私の大胆な予測は、憲法9条の勝利と安倍首相の敗北である。
そしてその最大の貢献者こそ明仁天皇であるということだ。
いうまでもなく憲法9条は正しい歴史認識があってこそ、その本当の意味が理解できる。
そして、その正しい歴史認識とは、戦後の日本は、天皇制、憲法9条、日米安保体制の3本柱からなる、矛盾に満ちた国であるという認識である。
この矛盾に満ちた戦後の国体が、我々日本国民の手で作られたものではなく、占領国である米国と、天皇制の存置(昭和天皇の免責)を望んだ当時の指導者たちの合作によってつくられたという認識である。
その事を、国民の誰よりも一番知っているのが明仁天皇に違いない。
だからこそ、父である昭和天皇の負の遺産を自らの手で克服されようとしておられるのではないか。
昭和天皇の政治関与を反面教師として、自らもまたギリギリの政治的関与を意図的に行われているのではないか。
果たして新憲法で定められた象徴天皇制の下で、天皇の政治的関与はどこまで許されるのか。
このことについて、8月11日の朝日新聞「いちからわかる!」という解説コラムで島康彦記者が次のように書いている。
すなわち、新憲法下の天皇陛下の活動は@国事行為(首相の任命、国会の召集など)、A公的行為(国内外各地への訪問、式典出席など)B私的行為、の三つに分けられるという。
そして国事行為と公的行為を合わせて「公務」と呼んでいるという。
私が注目したのはその後に続く次のくだりだ。
実は「公務」には明確な定義はないのだと。
秋篠宮さまは最近の会見などで「規定のある公務というものはないと考えていいのだと思います」と述べて、天皇陛下の国事行為のみを「公務」と見なす考えを示していると。
もしそうであれば、おりにふれ取りざたされる「天皇の政治的関与」の是非とは一体何なのか。
為政者の都合によって、象徴天皇制がいいように使われて来たのではないか。
その一方で、昭和史を通じて昭和天皇の言動をまじかに見て来られた明仁天皇だからこそ、歴史認識と平和憲法にここまで強い関心と関与のお気持ちを抱かれ、昭和天皇を反面教師として、平和と憲法9条のために積極的に政治的メッセージを送られているのではないか。
そのことはまた、明仁天皇退位された時点で、公務と言うものに明確な定義が無い以上、天皇の政治利用がこれまで以上に公然と行われる危険性が出てくるということではないのか。
思うに、安倍首相の様な間違った歴史認識と改憲志向を持ち、それに拘泥する首相は二度とこの国には出て来ないだろう。
なぜならば、今回の安倍談話や安保法制案強行をめぐる内外の反発を見たどのような政治家も、このような馬鹿げた事に政治的エネルギーを使って内外の支持を失う事は得策ではないことを嫌というほど知ったからだ。
日本の国益を考えた時、この国の指導者としてなすべき事は他に山ほどある。
そう考えるのがまともな政治家だ。
これを要するに、明仁天皇が健在なうちに安倍首相を交代させなければいけない。
そのことこそ、正しい歴史認識と憲法9条をこの国の国是として確立させることなのである。
日本の将来のために、是非ともそうしなければいけない(了)
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