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「明治維新のあり方自体の中に、すでに第二次大戦に至る大きな過ちの萌芽があった:茂木健一郎氏」
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2015/8/16 晴耕雨読
https://twitter.com/kenichiromogi
安倍晋三首相の戦後70年にあたっての談話が発表された。
私は、印象をかためようと思って3回読んだ。
その感想を、これから書く。
まず、文章は、その内容に即して言及しないとフェアではないと思う。
安倍晋三さんの言葉だからと、無条件に肯定したり、逆に全面的に否定するのはフェアではない。
その意味で、これから書くことは、あくまでも文章の内容に即しての話である。
歴代内閣の談話を踏襲した今回の談話だが、残念だったことを端的に言えば、「言い訳」のように聞こえてしまったことだろう。
しかし、これは安倍晋三さんお一人の問題ではなく、日本人が未だに自省、深化させていない、明治以来の日本の歴史の本質に関わることだと私は考える。
安倍談話は、明治以来の近代日本の発展が、西洋列強の圧迫の下に行われ、その中でアジア初の立憲政治を打ちたてた点を肯定的に語り、しかしその後のブロック経済化などで苦境に追い込まれた日本が、世界秩序への挑戦者になってしまったと認識する。
これは、日本人の多くの認識と大きくはずれていない。
司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」の中で描いた、日本の開化の物語。
私たち日本人がぜひ内省し、深化させなければいけないのは、肯定的に語られがちな明治維新のあり方自体の中に、すでに第二次大戦に至る大きな過ちの萌芽があったという認識ではないだろうか。
西洋列強による圧迫の下、文明開化で国を発展させたからこそ、逆に、他のアジア諸国への蔑視、差別感情を生んでしまった。
そのような誤った認知バイアスは、今日に至るまで日本の中に存在し、時折顔をのぞかせる。
明治維新自体が、一切の暗い影を持たない成功物語ではない。
山口県を本籍とする安倍さんにとって、長州が中心的な役割を果たした明治維新の負の部分を認めることが、心理的な困難を伴うのは想像できる。
しかし、結局、日本の近代国家としてのあり方の限界は、明治維新自体に対する冷静かつ是々非々の評価なしでは克服できない。
結局、大河ドラマにおける明治維新の描かれ方などを見てみても、日本人にとって、明治という時代のあり方は、ある種のファンタジーとして存在し続けているということだと思う。
これは、安倍晋三さん個人の問題ではなく、日本全体が引き受けなければならない再評価の課題であろう。
このような課題は、どのような国家にも存在する。
フランス革命に対する評価も、フランス国内で難しい側面があるだろうし、アメリカ合衆国のネイティヴ・アメリカンに対する抑圧、迫害の歴史も、正直に自省するのは難しいと感じる人もいる。
しかし、そのような課題の克服なしでは、未来には行けない。
安倍晋三首相の今回の談話は、概ね誠実に書かれているが、一方で、日本人全体の歴史認識の限界を示すものであった。
日本の歩みについて、弁明的な視点を入れることによって、多大な迷惑をかけた近隣諸国に対する謝罪の表現が、フルスイングではなく、中途半端なバントのようになってしまった。
明治以来の日本の歩みについて、肯定的に捉えるべきところ、誇りに思うべきところは多々ある。
全面的な肯定でも、全面的な否定でもなく、両者が混ざった複雑な事象に冷静に向き合い、その中で普遍的な価値の実現をはかっていくことが、本当の意味での「未来志向」の態度だと言えるだろう。
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