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「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」終戦70年前夜、SEALDs奥田愛基さんが涙の朗読──特攻隊を志した86歳男性から若者らへのメッセージ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019
2015.08.15 IWJ Independent Web Journal
「若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」ーー。
終戦の日の前夜、SEALDsの奥田愛基さんが国会前のスピーチで、ある新聞の投稿を朗読した。
紹介した新聞記事は、京都府に住む86歳の元海軍飛行予科練習生から寄せられたものだ。特攻隊を志していたというその男性は通信学校で、仲間たちが敵艦に突っ込んでいく時の最後の叫びを聞いたという。
人生には心からの笑いや友情、恋があふれ咲いていることを知らずに死んでいった16歳や18歳の若者たち。若くして命を捧げた仲間たちと国会前の若者たちの姿を重ねた男性は、最後にSEALDsを指し、「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」と綴っている。
SEALDsのメンバーたちは毎週金曜日の国会前抗議前に、毎回、この記事をよく読むという。投稿を紹介した奥田さんは、涙を堪えきれぬまま朗読を終え、「最高責任者は何回も言うけど安倍晋三じゃない。それが1945年8月15日の意味です」と締めくくり、「戦争反対」のコールを上げた。
以下、奥田さんのスピーチ動画とスピーチ全文を掲載する。
(取材:阿部洋地、記事:ぎぎまき)
【スピーチ全文掲載】「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」終戦70年前夜、SEALDs奥田愛基さんが涙の朗読 ーー特攻隊を志した86歳男性から若者らへのメッセージ
■奥田愛基さんスピーチ全文
「今日は8月14日です。明日で戦後70年。
僕らメンバーがここに来る前に毎回読む新聞記事があって、それを朗読したいと思います。
『学生デモ、特攻の無念重ね涙』というタイトルで新聞に投稿された記事です。
安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。『今こそ俺たちは生き返ったぞ』とむせび泣きしながら叫んだ。
山口県・防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の『突入信号音』を傍受し何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷の『回天』特攻隊員となった予科練もいた。私もいずれ死ぬ覚悟だった。
天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳…。
若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ』
加藤敦美さんという86歳の方のある新聞の投稿です。
これ読むと泣いちゃうから嫌だったんですけど、戦後から70年で、8月15日に戦争が終わって、それは色々な意味で、色々な場所で、僕のばあちゃんとかはフィリピンに開拓農民として行っていたんで、しかも8月15日に戦争が終わったことも知らず、ジャングルの中を逃げ回っていた。
僕のじいちゃんたちは伊藤博文とかと一緒に韓国に渡って、そこで、じいちゃんは戦争が終わる時に帰ってきた。血潮が出るほど、じいちゃんは満州で捕虜になってソ連で捕虜になって、シベリア抑留組として、過酷な冬を生き残り、日本に帰ってきた。
ばあちゃんは神社の神主の娘で、何一つ不自由のない戦争を体験したが、戦争が終わった時、その不自由のない生活をどうしていいか分からなくなった。いろんな戦争体験がある。
特攻隊で死んだ人、あの戦争に、あの死に意味があったという人、意味なんてつけられなくて作戦上で物資が来なかったから飢えて死んで行った人たち。突然、空襲で死んでいった人たち。生き残った人たち。
僕の地元は北九州で、近所のおじさんたちが、つい最近なんですけど、あの戦争の時、8月9日に煙幕を上げていたということを聞きました。何でかって、核爆弾が落ちるかもしれないと思っていたから煙幕を上げた。そして長崎に原爆が落ちた。もし、そこに落ちていたら俺は生まれてなかったかもしれないし、上げてたから北九州が残ったことがいいことなのか俺には分からない。
いろんな戦争の意味がある。
惨い、人権なんて無視した、酷いことを他国にしてきた。けれど、それをしなきゃいけなかった人たちの気持ちも俺は考えてしまう。じいちゃんやばあちゃんたちはあの戦争をどう生きていたのか考えてしまう。そして、殺されていった人たちのことも考えてしまう。
でも、そこから70年の月日を歩んで、今、俺たちはここに立ってる。
民主主義は終わったとか、平和主義は終わったって人たちもいるけど、戦後の民主主義はクソだって言う人たちもいるけど、何だかんだその歩みの中で俺たちは立ってる。少なくとも俺はここに立ってる。
ネット上じゃ個人情報が色々出て、俺の名前や顔が出ている。ツィッターでつぶやくだけで、誰と誰が仲良い、あいつの親はこうだったとか言われる。俺だけじゃなくて、ここに立っている友だちたちも言われてる。
けど、俺にとって、そんなことはどうだっていい! どうだっていいよ、そんなことは!
それよりも言いたいことは、その戦後70年の歩みが、平和主義や国民主権や基本的な人権の尊重を俺はまだ諦められない。間違ったなんて思ってない。
曲がりなりにも日本国憲法があって、俺はその憲法を読んだ時に結構良い憲法だって思う。特攻で死んでいった人たちは、今の俺たちを見てなんて思うか分からないけど、やっぱり戦争はやんない方がいいし、平和がいいと思う。
明日はあの戦争で亡くなったすべての人たちのことを思って黙祷したいと思うし、考えたいと思います。
けどもう一つ。8月15日の意味は、日本が誰か君主、そういう偉い人に全ての責任を任せた国ではなく、民主主義国家として、つまり、俺たち一人一人が責任を持って生きていく国家として歩んできた、それが始まってきた日でもあります。
どうかそのことを覚えていて下さい。
最高責任者は何回も言うけど、安倍晋三じゃない。それが、1945年8月15日の意味です。今や主権者である国民一人一人にこそ、その運命は託されているんです」
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