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原爆詩「生ましめんかな」と「ヒロシマというとき」の間に そこには日本国家の侵略性の再生を見ることの苦痛がこめられている
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/735.html
投稿者 ダイナモ 日時 2015 年 8 月 16 日 11:48:07: mY9T/8MdR98ug
 

これは社会学者、日高六郎氏が1980年に著した岩波新書「戦後思想を考える」の「体験を伝えるということ」という章からの抜粋です。


私は、広島の詩人・栗原貞子さんの詩を学生の前に置く。


生ましめんかな

壊れたビルディングの地下室の夜だった
原子爆弾の負傷者たちは
ロウソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から、不思議な声がきこえてきた。
「赤ん坊が生まれる」というのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう。
人々は 自分の痛みを忘れて気づかった。
と「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも  (1946)


「生ましめんかな」は、多くの人びとに知られているはずの詩である。しかし、ほとんどの学生が読んだことがないと言う。

このひとつの詩をまえにして、私は学生たちに語りたいことが山ほどあることを感じる。

栗原貞子さんは、広島で被爆。ひたすら原爆についての詩と文章を書き続ける。この詩は、敗戦の翌年、雑誌「中国文化」第一号に掲載された。栗原さんは人づてにこの事実を聞いて、詩をつくる。そのとき生まれた女の子は。いま成長して、広島で生活している。そのことを話すと、学生は、おどろきの表情を示す…。

栗原さんの詩に関連して話すとなると、話題はつきない。第二次大戦の経過、原爆の製造過程、それへの科学者の協力。その完成、実験、そして、ヒロシマとナガサキ。その惨害。それがどのように、日本国内と海外とで報道されたか。だれが最初に報道したか。そして、占領軍の原爆報道禁止政策。なにより重要なこととして、無名の、数多くの被爆者たちの生活の実態がある。もっとも救護の手を必要とした人たちがほとんど放置されていたこと、いや、現実の生活では「差別」さえされていたことを、私は語る。そのとき、私は水俣病患者たちが差別されてきた事実も話す。つまり、被害をうけるものは、同時に差別されるものであったという、このおどろくべき二重の苦悩は、ほとんど社会学的な法則性を持つものであることを語っておきたいのである…。

さてつぎに私は、栗原貞子さんの、「生ましめんかな」から二十六年たってつくられた、「ヒロシマというとき」を学生のまえにさしだす。それは、ベトナム戦争さなかの作品である。


ヒロシマというとき

<ヒロシマ>というとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか

<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば、女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ

<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
吹き出すのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしく返ってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえが返ってくるためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない  (1972)


私は最後まで読み、そして、最初の三行にもどる。

<ヒロシマ>というとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか

この三行。それは具体的にどのようなことを指しているのか。そのことを学生たちに問うて見るのだが、返ってくる答えはけっしてゆたかなものではない。そのことは、学生たちが、十五年戦争の歴史、その中での日本軍隊が行なってきた野蛮について、十分に知識がないからである。私はそれだけで、いまの中学校や高校での「平和教育」のうすさをかんじないではおれない。

「たとえば、あなたが中国人とか、フィリピン人とか、アメリカ人とかと出あったとする。そして原爆の下の<ヒロシマ>の残酷について語ったとする。そのとき、彼らは、『ああ、あのむごたらしい経験をなめたヒロシマですか。ああ、私はヒロシマの悲惨を知っていますよ』とやさしくこたえてくれるだろうか。いや、そうではない。彼らが、『あなたはヒロシマを語る。しかし、あなたは、マニラや南京やパール・ハーバーをどう考えるのか』と反論してくることは、十分に想像できることだ」と、私は話す。そして、南京やマニラなどについて、具体的に若者たちに語る。

栗原さんがこの詩を書いたその一九七二年は、もう若者たちが生まれたあとの、まさに「同時代」である。一九四六年から一九七二年までのその時間のなかで、少なくとも平和を志す日本人の戦争意識が、大きく変化していくことに、私は注意をうながす。つまり、一九六五年のアメリカ軍の北ベトナム爆撃開始のころから、私たちのなかには、日本がいまやベトナム戦争における加害者の立場に立っているという自覚が生まれてくる。それは同時に、もう一度私たちを、戦争加害者であった戦前の日本国家および日本国民の立場につれもどす。

敗戦という時点で、私たちは、私たちだけがあたかも戦争の被害者であるかのように思い込んだときがある。たしかに、日本の戦争を指導した日本の軍部と、それをとりまく支配層にたいしては、日本国民は被害者であったといえる。しかし、日本国民のひとりびとりは、銃を持って、中国大陸やそのほかに押しいっていった。そのとき、被害者は、中国人であったり、フィリピン人であったり、インドネシア人であったりしたのである。

「生ましめんかな」は原爆詩のなかでもとくにすぐれた作品である。そしてそれは直線的にアメリカの原爆投下責任を問うていない。しかし当時、雑誌発行の責任者である栗原さんの夫は、占領軍に呼ばれて、さんざんいやがらせをうけているのである。そこには原爆の悲惨さと、そのなかで懸命に嬰児を産もうとする若い母親と、出産を助けたうえで力つきて死んでいく産婆さんとがえがかれているというだけであるのに。しかし、ここでの生と死の交錯は、死を乗り越える新しい生命の誕生という、たからかな生の賛歌となっている。

これにたいして、「ヒロシマというとき」にふくまれている苦い味はなんであろうか。それこそは、戦後二十七年たってふたたび、日本という国家それ自体の戦争加害性があらためて意識されてきたということである。そこには、戦後の歴史のなかでの、日本国家の侵略性の再生を見ることの苦痛がこめられている。それは、日本の戦後史のひとつの結着点を表現している。私は二つの詩をくらべ、そのあいだに流れた二十七年という時間を考えてほしいと言う。

いまの経済主義の時代にどっぷりつかって、時代との緊張関係を失ってしまった大人たちは、戦争と平和の問題などまったく無関心となった若者たちを軽蔑的に見る資格はあるまい。私は、義務としてではなく、衝動として戦争と平和について語りたいことが、自分の内部にあることを感じる。

戦中派の世代だけが平和教育ができるということではない。それはわかりきったことである。同時に、戦中派の世代が自分の体験から出発して平和教育に進んでいって悪いことはない、ということもまた自明である。平和教育はさまざまな形で、さまざまな内容で、行われてよい。しかし、教師自身の心の内がわになにがあるのか、それだけは省みる必要がある。自分が感じていないことを、人に感じさせることはむずかしい。

ある大学に定年まぢかの数学の教師がいた。その人は、戦争中、はじめは兵隊として、途中からは下士官、将校として、中国大陸を転戦した。はげしい戦闘にも参加した。

その大学に、四〇代の教員がいた。彼は、定年をひかえた老教員が反戦主義であることを知っていた。しかし、彼がそうした話を学生のまえで一度も語ったことがないということも知っていた。彼はその老教員に、定年まえに、その戦争体験を学生に語ることをすすめた。すすめるというよりお願いした。

老教員は最初ことわった。私は数学の教師である、専門外のことを教壇で話す資格はないし、また話すこともできない、というのがことわりの理由だった。

しかし、中年の教員のすすめをことわりきれず、彼はそのことを引きうける。中年の教員は、その老教員の授業に出ていない学生たちにも呼びかける。こうして、ひとつの特別講義の時間がもうけられた。

老教員は、はじめ淡々と話しだした。中国大陸の多くの地名があげられた。彼の参加した戦闘が語られた。戦闘による戦友たちの死傷のありさまも語られた。「敵」の被害も語られた。中国民衆の対応の仕方も語られた。

しだいに老教員の話に熱がはいってきた。一時間半の予定の授業時間が終わっても、話はつづいた。学生たちもだれひとり席を立たない。そして、三時間近い話が終わりに近づいてきたとき、その一老教員は、涙を抑えることができなくなった。戦争がもたらしたものは、なんであったのか。若者たちはなぜ戦争の大義を信じこまされて戦場に行ったのか。日本の軍隊は中国の大陸で何をしたのか。中国の民衆は戦争によってどのような苦しみをなめたか。戦闘員、非戦闘員をふくめて、中国の人民はどのように日本軍に立ちむかってきたか…。

話が終わったとき、学生のなかから強い拍手が沸きおこったという。

いまどこの大学でも、形式的に一般教育の時間が設けられているが、多くは形骸化してしまっている。そうしたなかで、だれしも、こうした老教員の話こそ一般教育の名に値すると考えるだろう。


日高六郎

1917ー 昭和後期-平成時代の社会学者、評論家。
大正6年1月11日中国青島(チンタオ)生まれ。昭和35年東大教授となり、大学紛争時の44年辞職。のち京都精華大教授。安保反対、ベトナム反戦、水俣病問題などの市民運動に積極的に参加した。東京帝大卒。著作に「現代イデオロギー」「戦後思想を考える」「戦争のなかで考えたことーある家族の物語」など。
 

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コメント
 
1. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月16日 12:18:51 : E1lRrqAmBUaXw : eAw2LwcaME
<ヒロシマ>というとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか

そんな問題じゃないだろうと思いますね。
他者の同情や賞賛や思いやりを求めてヒロシマの被災者や日本人は「ヒロシマ」といっているのではない。
戦争や厄災というのは個人がさけられない歴史の宿命です。それがむかしからの日本人の仏教的な世界観。
一般庶民は権力者たちが画策する戦争の埒外にあっていやおうなく巻き込まれる。
そういう視点から見ればヒロシマの被災者は加害国とか被害国とかいった意識の範疇の外にある。
そういう宿命を直視して、祈る。平和と不戦を、祈る。
政治的な量計をここに持ち込むのは不遜ですよ。
詩の世界に政治を持ち込むのは詩を冒涜しているとわたしはおもいますね。
心の問題(つまり個人幻想の世界)にイデオロギー(共同幻想)を無理やり押し付けようとするのは精神の倒錯ですよ。


2. ダイナモ 2015年8月16日 12:32:16 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og

「 嫌ネトウヨ、ネトサヨ」と名乗る人物の言いたいことの要点はこうである。

「戦争には加害国も被害国も存在しない。戦争というものが悪いのであって、誰に責任があるものでもない。もちろん、岸信介にも戦争責任のあるはずがない」

安倍晋三が聞いたら大喜びしそうなご意見ですな。


3. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月16日 12:48:54 : E1lRrqAmBUaXw : eAw2LwcaME
岸信介に戦争責任があってもこちらはいっこうに構わないよ。笑

しかしそのスタンスを貫くなら、中国、韓国にも戦争責任があることになる。
米国にも英国にもフランスにも戦争責任があることになる。

つまりやっぱり戦争というものはすべてに責任があるということに落ち着く。

たとえば従軍慰安婦がどうのこうのとわめく韓国。
じゃ、あなたがたの国家は従軍慰安婦をどうして救わなかったのか?とわたしは問いたいね。

救うどころの話じゃない。当事、李氏朝鮮は、清朝中国を中心とした冊封体制を堅持しており、それを守るために国民のことなど爪先ほども考えず、まして売春に身をお落とさずを得ない農村の民のことなど考えたかね?

じぶんたちが国民を犠牲にし、日本の千倍ほどもの過酷な貧困にあえがせていた冊封体制を反省し、国民に謝罪することもなしになにが戦争責任ですか。

戦争を起こさせるほど自国を危険な状態に陥れた韓国の前身についての反省はなしでいられないはず。

戦争というのはピンセットで一部をつまんで非難するようなシロモノじゃないとわたしは思いますね。
そんなことでは戦争は絶対に根絶できない。

非難合戦や責任の押し付け合戦はもうやめることです。


4. 真相の道 2015年8月16日 13:13:32 : afZLzAOPWDkro : viUfaRj73o
>>3さん
>戦争というのはピンセットで一部をつまんで非難するようなシロモノじゃないとわたしは思いますね。
そんなことでは戦争は絶対に根絶できない。


その通りです。
戦勝国、敗戦国のどちらにも、それなりの論理も責任もある。

敗戦国の論理が通らないのは、弱い立場のため戦勝国の論理を押し付けられているだけです。

どちらにも非も責任もあります。


重要なのは、戦争を防止させること。

そのために世界中のほとんどの国家が、個別的自衛権と集団的自衛権を行使して、敵対する国家に侵略という「よこしまな」考えを起こさせないように自衛しているわけです。

集団的自衛権は、国連憲章でも国家としての当然の自衛の権利であると認められています。

日本もこれを行使することで、米国だけではなく、欧州諸国、オーストラリアなどの民主国家とも自衛の輪を広げていくことが必要です。

これこそが最大の戦争抑止力となります。
  
  


5. ダイナモ 2015年8月16日 13:48:01 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og

>中国、韓国にも戦争責任があることになる。

それでは、中国、韓国の戦争責任とは何か。具体的にあげることができるかな ?

>つまりやっぱり戦争というものはすべてに責任があるということに落ち着く。

なかでもとりわけ日本国の戦争責任の重大性は否定しようがないね。

>たとえば従軍慰安婦がどうのこうのとわめく韓国。
>じゃ、あなたがたの国家は従軍慰安婦をどうして救わなかったのか?とわたしは問いたいね。

大半の従軍慰安婦たちはだまされて集められたのであり、従軍慰安婦の募集だとは知らなかったのが現実だ。日本軍の管理下にあった従軍慰安婦をどうやったら救うことができるのか。どうして救わなかったのかと問う君には説明できるのか ?

>救うどころの話じゃない。当事、李氏朝鮮は、清朝中国を中心とした冊封体制を堅持しており、それを守るために国民のことなど爪先ほども考えず、まして売春に身をお落とさずを得ない農村の民のことなど考えたかね?

李氏朝鮮の時代は1392年から1897年までだ。日本の朝鮮侵略以前の話を持ち出してどうしようというのか ?

>じぶんたちが国民を犠牲にし、日本の千倍ほどもの過酷な貧困にあえがせていた冊封体制を反省し、国民に謝罪することもなしになにが戦争責任ですか。

君には戦争責任というものがまるで理解できていない。貧困の問題と戦争責任の問題はまったく性質の異なる事柄である。お分かりかな ?

>戦争を起こさせるほど自国を危険な状態に陥れた韓国の前身についての反省はなしでいられないはず。

朝鮮の反省とかという事柄はその国の人が考えることであり、まして日本人がとやかくいうことではない。よろしいかな ?

>戦争というのはピンセットで一部をつまんで非難するようなシロモノじゃないとわたしは思いますね。

「ピンセットで一部をつまんで非難する」とは、具体的にどの部分を差しているのかな ?

>そんなことでは戦争は絶対に根絶できない。

君は「戦争を根絶する方法」を知っているのかな。戦争を根絶するにはどうすればよいのだ ?

>非難合戦や責任の押し付け合戦はもうやめることです。

別に非難合戦や責任の押し付け合戦なんかだれもやっていないよ。責任があるという主張と責任がないと言う主張の対立があるだけだ。
君のいう「非難合戦や責任の押し付け合戦」とは具体的にどういうことだい ?


6. ダイナモ 2015年8月16日 14:02:43 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og

>>5 は >>3 への質問です。

7. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月16日 14:14:37 : E1lRrqAmBUaXw : eAw2LwcaME
>5. ダイナモ 2015年8月16日 13:48:01 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og

>>中国、韓国にも戦争責任があることになる。
>それでは、中国、韓国の戦争責任とは何か。具体的にあげることができるかな ?

もう例は出したはずですよ。


>>つまりやっぱり戦争というものはすべてに責任があるということに落ち着く。
>なかでもとりわけ日本国の戦争責任の重大性は否定しようがないね。

戦争責任に大小はないですよ。利害関係や政変などが複雑にからみあって戦争というものは起こる。どこがとくに悪いとかそういうのは誤魔化しです。

>>たとえば従軍慰安婦がどうのこうのとわめく韓国。
>>じゃ、あなたがたの国家は従軍慰安婦をどうして救わなかったのか?とわたしは問いたいね。

>大半の従軍慰安婦たちはだまされて集められたのであり、従軍慰安婦の募集だとは知らなかったのが現実だ。
>日本軍の管理下にあった従軍慰安婦をどうやったら救うことができるのか。どうして救わなかったのかと問う君には説明できるのか ?

彼女らは餓死よりも身を売ることを選んだ。
そこまで国民を貧困に貶めたのは李朝のゆるんだ政治体制にある。悪いのはそのような国家の棄民政策にもある。むしろ女衒と呼ばれる日本の売春商人は彼女らの命を救ったのであり、褒められてしかるべきだ。

>>救うどころの話じゃない。当事、李氏朝鮮は、清朝中国を中心とした冊封体制を堅持しており、それを守るために国民のことなど爪先ほども考えず、まして売春に身をお落とさずを得ない農村の民のことなど考えたかね?
>李氏朝鮮の時代は1392年から1897年までだ。日本の朝鮮侵略以前の話を持ち出してどうしようというのか ?

歴史を勉強しなおしてください。
【李氏朝鮮(りしちょうせん、韓国語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう。
1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。】

>>じぶんたちが国民を犠牲にし、日本の千倍ほどもの過酷な貧困にあえがせていた冊封体制を反省し、国民に謝罪することもなしになにが戦争責任ですか。

>君には戦争責任というものがまるで理解できていない。貧困の問題と戦争責任の問題はまったく性質の異なる事柄である。お分かりかな ?

貧困がなければ戦争は起こらない。国が豊かで攻め込まれた国がどこかありますか? 必ず政治的な腐敗で国政がずさんになった国が他国に攻め込まれている。戦争を起こすものはいつも貧困が背景にある。常識ですよ。

>>戦争を起こさせるほど自国を危険な状態に陥れた韓国の前身についての反省はなしでいられないはず。

>朝鮮の反省とかという事柄はその国の人が考えることであり、まして日本人がとやかくいうことではない。よろしいかな ?

そんなことはない。日本人であろうとなかろうと人間ならだれでも自由に批判が許されている。人間は日本人である前に、まず、ひとりの自由な発言をする人間だ。

>>戦争というのはピンセットで一部をつまんで非難するようなシロモノじゃないとわたしは思いますね。

>「ピンセットで一部をつまんで非難する」とは、具体的にどの部分を差しているのかな ?

あなたのことですよ。

>>そんなことでは戦争は絶対に根絶できない。

>君は「戦争を根絶する方法」を知っているのかな。戦争を根絶するにはどうすればよいのだ ?

これからずっとわたしのコメントを注意深く読んでいればわかります。

>>非難合戦や責任の押し付け合戦はもうやめることです。

>別に非難合戦や責任の押し付け合戦なんかだれもやっていないよ。責任があるという主張と責任がないと言う主張の対立があるだけだ。

それが押し付けなんです。

>君のいう「非難合戦や責任の押し付け合戦」とは具体的にどういうことだい ?

中韓国家が自国民を自ら不幸にしておきながらその責任を一方的に他国のせいのみにして国民を洗脳し、それを政治的なカードに使う事によって、二重に自国民を馬鹿にしている行為のことをいいます。



8. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月16日 14:36:50 : E1lRrqAmBUaXw : eAw2LwcaME
あとですね、従軍慰安婦のみなさんの名誉と尊厳のためにいっておきますが、
慰安婦のことなど知りもしない韓国政府や日本のリベラリストの「売春婦」に対する偏見と差別意識が作り出した従軍慰安婦のみなさんに対する陰湿で暗いマイナーなイメージは断固として許せませんよ。

慰安婦のみなさんはですね、そりゃあ逞しく、ときには狡猾に、ときには未来を向いて律儀にたくましく生き抜いた人たちなんです。
そんな、あーた、バカじゃないですよ、女性は。環境に順応して「生きているだけで丸もうけ」と高らかに笑いながら、歯を食いしばって生き抜いたすばらしい人たちなんです。
これ以上、韓国政府は彼女らを侮辱して外交カードに使うことをやめろといいたいし、日本の低脳リベラリストは、偏見と差別を隠して彼女らを侮辱するのはいい加減にしろといいたいですね。


9. ダイナモ 2015年8月16日 14:54:04 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og

>>7

>>>中国、韓国にも戦争責任があることになる。
>>それでは、中国、韓国の戦争責任とは何か。具体的にあげることができるかな ?

>もう例は出したはずですよ。

君が答えられないということは分かった。

>戦争責任に大小はないですよ。利害関係や政変などが複雑にからみあって戦争というものは起こる。どこがとくに悪いとかそういうのは誤魔化しです。

中国と中国を侵略して3,000万人を死に追いやった日本とでは、日本の戦争責任は巨大だと思うがいかがかな ?

>彼女らは餓死よりも身を売ることを選んだ。
>そこまで国民を貧困に貶めたのは李朝のゆるんだ政治体制にある。悪いのはそのような国家の棄民政策にもある。むしろ女衒と呼ばれる日本の売春商人は彼女らの命を救ったのであり、褒められてしかるべきだ。

彼女らの大半は別に身を売ることを選んだ訳ではない。「いい働き口がある」とだまされて慰安婦にされたのである。違うかな ?

>歴史を勉強しなおしてください。
>【李氏朝鮮(りしちょうせん、韓国語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう。
>1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。】

李氏朝鮮の時代は1392年から1897年まで。1897年から日本が支配を開始する1910年までが大韓国帝国の時代である。君は日本が植民地支配する前の時代を取り上げて何が言いたいんだ ?

>貧困がなければ戦争は起こらない。国が豊かで攻め込まれた国がどこかありますか? 必ず政治的な腐敗で国政がずさんになった国が他国に攻め込まれている。戦争を起こすものはいつも貧困が背景にある。常識ですよ。

フランスはナチスドイツに攻め込まれたよ。貧困がなくても戦争は起きる。違うか ?

>そんなことはない。日本人であろうとなかろうと人間ならだれでも自由に批判が許されている。人間は日本人である前に、まず、ひとりの自由な発言をする人間だ。

戦争責任の話をしているのだ。その話に侵略された国の経済状態がどうだったかと言う話は無関係だろ ?

>>。ヨピンセットで一部をつまんで非難する」とは、具体的にどの部分を差しているのかな ?

>あなたのことですよ。

答えになっていない。君が答えられなかったということは分かった。

>>君は「戦争を根絶する方法」を知っているのかな。戦争を根絶するにはどうすればよいのだ ?

>これからずっとわたしのコメントを注意深く読んでいればわかります。

これも君が答えられなかったということは分かった。

>>別に非難合戦や責任の押し付け合戦なんかだれもやっていないよ。責任があるという主張と責任がないと言う主張の対立があるだけだ。

>それが押し付けなんです。

いや、君は「押し付け」ではなく「押し付け合戦」と言ってたんだが、言うことが変わってきたね ?

>>君のいう「非難合戦や責任の押し付け合戦」とは具体的にどういうことだい ?

>中韓国家が自国民を自ら不幸にしておきながらその責任を一方的に他国のせいのみにして国民を洗脳し、それを政治的なカードに使う事によって、二重に自国民を馬鹿にしている行為のことをいいます。

話をすり替えてもらっては困る。今、問題にしているのは戦争責任の問題だ。中韓国家に戦争責任があるとでも言いたい訳 ?


10. ダイナモ 2015年8月16日 15:05:15 : mY9T/8MdR98ug : Kr2S1L17Og
>>8

>そんな、あーた、バカじゃないですよ、女性は。環境に順応して「生きているだけで丸もうけ」と高らかに笑いながら、歯を食いしばって生き抜いたすばらしい人たちなんです。

確かに、従軍慰安婦たちはセックスを強要されて拒否できない「性奴隷」の立場に置かれていたのだから、「歯を食いしばって生き抜いた」ということは言えるね。


11. 2015年8月16日 16:46:39 : QKftDSYino

嫌ネトウヨ、ネトサヨみたいなのが生息している限り
もっと中韓から文句を言われ続けた方が日本のためですね。

国内、国外に対しての戦争責任追求していくのは(当然責任の大小も含めて)
国家(国民の総和としての)が将来同じミスを犯さないために当然のことでしょう。
だれも悪くない、どうしようもなかったでは小学生並みですね。

民主主義国家においての戦争勃発は当然国民にも責任がありますし、
国家間の争いは戦争という言葉で片付けられますが、実際に戦地に赴く国民にとっては人殺しです。

シールズのデモビデオ等をみると彼らは重々理解できてるようですが
嫌ネトウヨ、ネトサヨ達の教育のためには特に今回のような投稿を続けるべきかもしれません>ダイナモさん


12. 嫌ネトウヨ、ネトサヨ 2015年8月17日 05:27:37 : E1lRrqAmBUaXw : MhP7lM64Vk
>民主主義国家においての戦争勃発は当然国民にも責任がありますし、

あのう、
当時の日中韓の各国は「民主主義国」じゃなく、すべて一種の王政ですが?


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