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本日、8月15日は日本国民が天皇制軍国主義支配から解放された「解放記念日」である。だがしかし、日本国民の間に今日の日を天皇制軍国主義支配のくびきから解放された「解放記念日」として祝おうとする機運は皆無である。
これはなぜか。
それはアジア太平洋戦争においてほとんどすべての日本国民が天皇制軍国主義支配に「喜んで協力した」事実が存在するからにほかならない。日本国民は強制されて、いやいやながら協力したのではまったくない。日本国民は「天皇の赤子」とおだてられ、天皇を頂点にいただく軍国主義支配体制の維持強化に「喜んで協力」したのである。
日本人の間には、そうした「後ろめたい事実」があることを知っているからこそ、「解放記念日」などという発想がそもそも成り立たないのである。さらにまた日本のすべてのマスメディアは、戦時中が天皇制軍国主義支配下にあったという基本的な事実さえ完全に隠蔽している。
それが一転、戦争に敗北したと分かると、それまでの天皇制軍国主義支配に「強制されてではなく喜んで協力した事実」はなかったことにされてしまった。日本が植民地にした満州ではそこで暮らしていた人々の豊かな土地を取り上げて約30万人の日本人が移住した。そのほか中国各地の主要都市にも多くの日本人が移住し、現地の中国人達を召使いなどとしてこき使った。日本人は現地の人々を二等国民として差別し、それがあらゆる行動のはしばしに現れたのである。同じ小学校に通った現地の同級生を日本人の小学生は「友達」だと思ったが、友達とされた現地の少年の思いは違った。武力侵攻のもとで今は反抗できないからおとなしくしているしかないがそのうちきっと復讐してやると。
ひどい目に遭わされた現地の人たちが強い憎悪を抱くのは当然であるが、そのことにさえ日本人はまったくの「無頓着」であった。これが「主人と奴隷」の関係である。主人にとって奴隷の「憎悪」は存在しないことになっているのだから。敗戦で自分たちが現地の人たちから予想もしなかった迫害を受けて、それまでの自分たちの行ないがいかに現地の人たちの恨みを買う行為であったかということにはじめて気がつく有り様であった。現地の人々の怒りは当然といえば当然である。
天皇制軍国主義支配のもとでアジア侵略に喜んで協力を惜しまなかった日本国民一人一人には戦争責任がある。アジア侵略の事実を知らなかったから責任はないという言い逃れは通用しない。そしてもちろん言うまでもなく最大の戦争責任は、天皇制軍国主義支配の頂点に君臨し続けた裕仁天皇にあることは明白である。
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