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終戦の日、各政党の声明、談話〜平和主義、安保法制への姿勢はいかに?(日本がアブナイ!)
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/672.html
投稿者 笑坊 日時 2015 年 8 月 15 日 11:09:12: EaaOcpw/cGfrA
 

http://mewrun7.exblog.jp/23563907/
2015年 08月 15日

 今日、8月15日、70回目の終戦記念日を迎えた。(・・)
 
 ここには、各党が発表した声明、談話をアップしておく。(自民党、民主党、維新の党は全文。他の党は新聞記事より要旨を。>

☆ 自民党

『終戦記念日にあたって 党声明 
平成27年8月15日 自由民主党

本日、70回目の終戦記念日を迎えました。先の大戦で犠牲となられたわが国並びに全ての国の英霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、二度とわが国は戦争への道を歩まないと強く決意いたします。

わが国は、戦後70年間、平和外交努力を進め、国際社会の一員として世界の平和と安定に大きく貢献してまいりました。この歩みはこれからも決して変わることなく、今後も国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、アジア太平洋地域をはじめ世界の平和と安定のために、不断の努力を続けていかなければなりません。

また、国際情勢が複雑に変化する中、平素からの備えを万全にし、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かねばなりません。現在、そのための切れ目のない平和安全法制が国会で審議中ですが、国民のご理解が深まるよう、丁寧に進めてまいります。

わが党は、平和と自由を愛する国民政党として、先人が築かれた「平和国家日本」を次の世代に引き継いでいくとともに、わが国が世界から信頼される国家であり続けるために、全力を尽くしてまいります。』

* * * * *

☆ 民主党

『代表談話】70回目の終戦の日にあたって
民主党代表 岡田克也

 70回目の終戦の日にあたり、国内外すべての犠牲者に心から哀悼の念を捧げます。

 戦前の植民地支配と侵略、300万余の国民の命を奪った無謀な戦争、その重い教訓と深い反省に基づき、戦後の日本は、憲法の平和主義のもと、平和で豊かな民主主義国家をつくり上げました。同時に、経済協力、人道支援、PKOなど、国際社会の平和と安定にも大きく貢献してきました。戦後70年の日本の歩みは、国際的にも歴史的にも誇るべきものであったと考えます。

 しかし、安倍政権は、その戦後70年の日本の歩みを支えた「国のあり方」を大きく変えようとしています。

 その1つは、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認です。憲法の根幹である平和主義を大きく変容しかねない安全保障関連法案を、国民の大半が政府の説明が不十分と指摘するなかで推し進めていることに強い憤りを感じています。民主党は、国民の皆さんのご心配や怒りの声を背に、政府案を廃案に追い込むために全力を挙げる決意です。

 もう1つは、歴史認識、アジア諸国との和解の問題です。安倍総理の戦後70年談話には、日本が植民地支配、侵略を行ったという明確な認識は記されていません。さらに談話発表の記者会見において安倍総理は、日本の行為が侵略にあたるかは後世の歴史家が判断するものと述べています。これは、歴代内閣が積み重ねてきたアジア諸国との信頼関係を揺るがしかねないものです。また談話では、子や孫の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと記していますが、安倍総理は自身の言動こそが、これまでもアジア諸国に不信と不安をもたらしてきたことをあらためて反省すべきです。

 民主党は、植民地支配と侵略の事実を認め、痛切な反省と心からのおわびを表明した村山談話・小泉談話の歴史認識を評価し、継承しています。和解のために先人たちが重ねてこられた努力を無にすることなく、歴史の事実を直視し、自らの過ちを率直に省みる謙虚な姿勢で、アジアの国々との信頼関係に基づく外交を前に進めていくべきです。

 戦後70年を迎えたいま、日本は大きな岐路に直面しています。安倍自民党政権が目指しているのは、その憲法改正草案に明記しているように、集団的自衛権を制約なく行使し、普通に海外で武力行使できる国です。これに対し、民主党が目指す日本は、先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的である国です。これからも日本は、憲法の根幹である平和主義を基軸とした外交・安全保障政策を展開するとともに、アジアの国々との和解を進めることが重要であると考えます。ぜひ私たちの危機感と覚悟を共有していただき、どちらの道を選択するのか、国民の皆さんにもお考えいただきたいと思います。 以上』

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

☆ 維新の党

『戦後70年の「終戦の日」にあたって

平成27年8月15日 維新の党代表 松野頼久

なぜ、止められなかったのか。

なぜ、もっと早く引き返せなかったのか。

これを考える事が、戦後70年、今を生きる私達にとって、戦火に倒れたわが国の先人達、そして侵略により多大な損害と苦痛を被ったアジアをはじめ海外の国々の方々に対する、責任の果たし方であると思います。

先の戦争において亡くなったわが国の軍人・軍属約230万人。その6割にあたる約140万人が戦死ではなく兵站・補給の失敗による餓死や病死だったとも言われます。原爆の投下や東京をはじめとする空襲、住民の3人に1人が犠牲になったとも言われる沖縄戦。悲惨としか言いようのないそれらの犠牲を経てやっと8月15日の終戦を迎える事ができたのです。

間違った戦争指導と、兵士や国民、戦地の方々の生命を顧みない戦争継続は、当時の国家指導者の下した判断によるものであり、とりわけ政治家は、いつの時代にあっても、同じ過ちを繰り返さない重い責任を有しています。一部の国家指導者の思い込みや統制を欠いた現場の独走により国家国民を危機に陥れる事は、二度とあってはなりません。

その誓いのもと、戦後70年、わが国は一貫して平和国家として歩んできました。日米同盟を安全保障の基盤として、専守防衛のための必要最小限度の実力組織として自衛隊を保持し、世界の平和と経済発展に寄与するため、自らにできる最大限の貢献を続けてきた結果、世界中の国々から高く評価されるソフトパワーを培ってきました。

この信頼を失う事があってはならない。安保法制が議論されている今だからこそ、決意を新たにしたいと思います。

世界では、狂信や憎悪に基づくテロがはびこり、穏やかな暮らしを望む多くの人々が、自由を奪われ、生命の危険にさらされています。わが国は自らを守ると同時に、憲法前文の思想に照らして、世界から紛争やテロ、政治的抑圧を根絶していく責任から目を逸らす事はできないと、合わせて強調しておきたいと思います。』

<公明まで載せてあげようかと思ったら、15日7時の時点で、HPに載っていなかった。^^;>

〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 * 〜 

終戦記念日で与野党談話
時事通信 8月15日(土)

 与野党が15日の終戦記念日に当たって談話を発表した。
 要旨は次の通り。

 【自民】わが国は戦後70年間、世界の平和と安定に大きく貢献してきた。この歩みは決して変わらない。積極的平和主義の下、不断の努力を続ける。平和安全法制が国会で審議中だが、国民の理解が深まるよう丁寧に進める。

 【民主】安倍政権は国の在り方を大きく変えようとしている。集団的自衛権の行使容認の政府案を廃案に追い込む。民主党は先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的な国を目指す。

 【維新】日米同盟を安全保障の基盤とし、世界の平和と経済発展に寄与するため自らにできる最大限の貢献を続けた結果、世界中から高く評価されるソフトパワーを培った。この信頼を失うことがあってはならない。

 【公明】平和実現には粘り強い外交努力と隙間のない安全保障の備えが不可欠だ。平和安全法制の目的は紛争を未然に防止し、戦争を起こさせない仕組みをつくることにあり、憲法の平和主義、専守防衛を堅持する。

 【共産】安倍政権は戦後70年の平和の歩みを断ち切り、歴代内閣の憲法解釈を覆し、海外で戦争をする国につくりかえようとしている。憲法破壊の暴走だ。戦争法案の廃案に全力を挙げる。

 【次世代】南シナ海や東シナ海で中国による「侵略」が顕著だ。今こそ自主憲法を制定し、自分の国は自分で守る体制を整備し、同盟国・友好国との安全保障体制を構築すべきだ。

 【社民】安倍政権は「戦争法案」を今国会で成立させようとしている。憲法解釈をねじ曲げて「戦争できる国」に突き進む安倍独裁政治を断じて許すわけにはいかない。

 【生活】戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正す。歴史に正面から向き合おうとしないから、中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返される。

 【改革】戦後70年の節目の日に深く思いを致し、決意新たにこれからも平和国家として国民の幸福を守り、世界の繁栄に貢献するよう努力する。 

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

終戦の日、各党が談話発表 安保法案への賛否にも言及
朝日新聞デジタル 8月15日(土)

 与野党は15日、戦後70年の終戦の日にあわせて談話を発表した。多くの政党が戦後の日本が平和国家として歩んできたことを評価。また、参院で審議中の安全保障関連法案の賛否について触れているのが特徴だ。

 自民は「国際情勢が複雑に変化する中、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かなければならない」と安保関連法案の必要性について強調。今後国会審議などを通じて「国民の理解が深まるよう、丁寧に進めていく」と訴えた。

 また公明も「わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増し、紛争を未然に防止し、戦争を起こさせない仕組みをつくることにある」と、法案の早期成立が必要との考えを改めて表明した。

 一方、法案の廃案を目指す民主は、安倍政権について「戦後の日本の歩みを支えた『国のあり方』を大きく変えようとしている」と指摘。「民主が目指す日本は、先の大戦の教訓と反省、憲法の平和主義の理念に基づき、武力行使に抑制的である国だ」とした。

 維新は「戦後70年、わが国は一貫して平和国家として歩んできた。この信頼を失うことがあってはならない。安保法制が議論されている今だからこそ、決意を新たにしている」と訴えた。

 共産は「安倍政権は平和の歩みを断ち切り、戦争法案を強行し、日本を米とともに『海外で戦争をする国』につくりかえようとしている」と批判。社民も「憲法解釈をねじ曲げて『戦争できる国』に突き進む、安倍独裁政治を断じて許すわけにはいかない」と訴えた。

 次世代は北朝鮮の核開発や中国による南シナ海などへ進出を指摘し、「『協働防衛』という新たな理念に基づいて同盟国・友好国との安全保障体制を構築するべきだ」とした。

 生活の党と山本太郎となかまたちは「戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだ」とし、新党改革は「平和国家として国民の幸福を守り、世界の繁栄に貢献するよう努力する」との談話を出した。

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終戦記念日、与野党が談話や声明

読売新聞 8月15日(土)

 与野党は15日の終戦記念日にあたり、談話や声明を発表した。

 各党とも平和主義の重要性を強調しつつ、安全保障関連法案について言及した。

 自民党は「平素からの備えを万全にし、国民の命と幸せな暮らしを守り抜かなければならない」として関連法案の必要性を強調、「国民の理解が深まるよう丁寧に進めていく」と決意を記した。公明党は法案について「憲法の平和主義、専守防衛を堅持している」とした。

 民主党は、法案を「戦後70年の国のあり方を、安倍政権は大きく変えようとしている」と批判し、「平和主義を基軸とした外交・安全保障を展開すべきだ」と強調した。

 維新の党は、日本が戦後国際社会に対して行った貢献を指摘した上で、「信頼を失うことがあってはならない」とした。

 共産党は「戦争の惨禍と反省を踏まえて、日本国民が得た世界に誇る宝、憲法9条を守り抜く」と強調。社民党は「首相の『未来志向』の行く末が『戦争できる国』では、国際社会からも信用されるはずがない」と批判した。

 生活の党は「歴史と正面から向き合おうとしないから、中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返される」と、戦争責任を検証する必要性を指摘した。次世代の党は「我が国はもはや一国平和主義に安住することは許されなくなっている」として、米国などとの関係強化を訴えた。新党改革は平和国家としての立場を堅持する姿勢を強調した。』

                THANKS


 

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コメント
 
1. 罵愚 2015年8月15日 11:17:48 : /bmsqcIot4voM : km8UcMNbrk
 とりわけ、日本人のくせして、日本が嫌いな在日日本人の存在が問題なんだが、この在 日日本人を除外すると日本人が何人残るのか…真正日本人は在日朝鮮人や、支那人よりす くないのかもしれない。80年談話は日本語版はなく、朝鮮語版と支那語と英語版だけが発表されるかも…
 70年談話も安保法制も、文句言ってるのは支那人と朝鮮人と在日日本人だけ。ってことは、いまの極東アジアは特殊地帯…特殊な状況におかれた特殊な地域だってことだな。この特殊な条件が、正常な対話をさまたげている。相互の議論が成立しない。
 そして在日日本人たちは…それは支那人や朝鮮人もおなじかもしれないが、この特殊地帯だけを観察して、国際情勢だと勘ちがいしている。この特殊地帯の外側の世界情勢には関心がなく、極東だけが世界だと勘ちがいしている。
 まさしく、井の中のゆでガエルだ。

2. 2015年8月15日 11:21:33 : 6lEL0QePhA

 8月15日 、「戦後70年を迎えて(談話)」

 生活の党と山本太郎となかまたちです。
小沢一郎代表は8月15日、戦後70年を迎えて談話を
発表しました。党ホームページに掲載してあります。
ぜひご一読ください。

☆「戦後70年を迎えて」(談話)
http://www.seikatsu1.jp/activity/declaration/20150815.html


3. 2015年8月15日 11:26:07 : jXbiWWJBCA
2015年8月13日 橘玲
「イタリア的」な不思議は、「カトリック」「カーニバル」「ユートピア」で説明できる[橘玲の世界投資見聞録]
前回はイタリア・ラヴェンナに生まれ、日本で比較宗教論を学んだファビオ・ランベッリ氏の「イタリア人は、暗いからこそ明るい」という逆説の文化論を紹介した。 
[関連記事]
●「イタリア人は、暗いからこそ明るい」。イタリア的悲観主義が生み出した逆説
ランベッリ氏は、 『イタリア的考え方』(ちくま新書)、『イタリア的-「南」の魅力』(講談社選書メチエ)で、これまで日本ではほとんど語られることのなかったイタリア人の日常の不思議を解説している。今回はそのなかから、宗教、政治、教育を紹介してみたい。
イタリア人は幼少期に宗教教育を受ける
ローマにはカトリックの総本山であるバチカン(ローマ教皇庁)があり、イタリアが敬虔なカトリックの国だということは誰でも知っている。実際、激論の末に国民投票で離婚が認められるようになったのが1974年、妊娠中絶が認められたのはようやく1980年だ。 
だが1990年に、戦後イタリアの保守政界を支配してきたキリスト教民主党が大規模な汚職スキャンダルによって解体すると、イタリアの世俗化は確実に進みはじめた。イタリアでは8〜9割の国民がカトリック教育を受けるが、ランベッリ氏の見立てによると、いまではその多くは名義だけのカトリックで、実際には無関心や無宗教だという。 
カトリックでは11歳になったら聖体拝領が許されるが、そのためには1年ぐらい、毎週土曜日の午後、教区の教会で神父やボランティアからカトリックの教えを学ばなければならない。これが教理問答(カテキズムモ)で、イタリア人の多くはこれによってカトリックの教義について一定の知識を保持している。 
これは幼 少期に特定の宗教教育を受けることがない日本人との大きなちがいだ。日本人は宗教のことをよく知らないから関心がないが、イタリア人はカトリックの歴史や教義を知っていて、それでも世俗化や近代化のなかで宗教への関心を失うのだ。
イタリアではすべての町や村に教会があり、日本の戸籍制度のように、教会は教区の信者の出生(洗礼)、結婚、死の記録を保存している。 
カトリックでは、子どもが生まれてから数カ月以内に教区の教会で洗礼(バッテージモ)を受けてキリスト教徒になる。小学校高学年でキリストの身体(パン)を受ける聖体拝領の秘蹟が、中学生のときにカトリック教育を終了した証として「堅信」の秘蹟が行なわれる。これに続いて多くのイタリア人が受ける秘蹟が婚姻(マトリモニオ)で、神の前で家族をつくることを誓う。 
(Photo:©Alt Invest Com) 教会での結婚式(パレルモ)

カトリックはプロテスタントとちがって、罪の告解を信者の義務としている。告解を行なうためには、キリスト教的な罪の概念と、それを犯した自己を客観的に認識することが必要だ。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、この告解の秘蹟がヨーロッパ人の「内面」の構築に大きな影響を与えたと論じた。 
カトリック信者にとって生涯でもっとも重要な告解の秘蹟が死の直前の終油だ。死を迎えつつある信者のもとを神父が訪れ、慰めの言葉をかけ、告解を聞き罪を許してから、その身体に神聖な油で十字架の印を描く。この終油の秘蹟を受けることで、生前の罪は許されて神に救われるのだ。 
このようにカトリックは、政治的、文化的、象徴的な権威としてイタリア人の日常に直接介入している。世論調査などによると、毎日曜日にミサに行き、カトリックの秘蹟を重視するひとは国民の3分の1くらいだそうだが、イタリア人の生活に与えるその影響はやはり大きいといわざるを得ない。 
カトリックは一神教でありながら多神教的
イタリアの教会を訪れた観光客は、ひとびとが聖母マリアの像を熱心に拝んだり、聖者(高位の聖職者)が信仰されていることに奇異の念を持つかもしれない。ユダヤ・キリスト教は一神教で、世界を創造した唯一の神(絶対神)以外を信じてはならないとされているからだ。 
ところがカトリックでは、多くの教会が(聖マリア教会のように)聖母マリアに捧げられているばかりか、聖母マリアがまるで神のようにこの世に姿を現わす(降臨する)とされている(第一次世界大戦直後に、ポルトガルのファティマで3人の子どもたちの前に現われたマリアは、奇跡を起こし預言を伝えたとされる)。 
アッシジの聖フランチェスコ、パドヴァの聖アントニオ、アッシジの聖キエラ、シチリアの聖ルチアなどの聖者も同様に、信者の熱心な信仰の対象になっている。ローマ教皇庁は奇跡が行なわれたとの噂が広まると検邪聖省という裁判所で調査し、それが本物であると認定されれば福者とし(列福)、さらに奇跡が認められると聖者に 昇級する。
カトリックにおいても、もちろん神は唯一絶対の存在である。だがその神はあまりにも遠く、人間は仲介者に頼らなければその存在を感じることができない。そもそもカトリック教会自体が地上における神の代理人なのだから、「ひとでありながら神に近づいた」聖者を積極的に認定するのは当然ともいえる。 
信者の側も、全知全能の神に直接、自分の卑小な願いを伝えるのは気が引ける。そこで天上界において神と直接言葉を交わすことができる聖母マリアや聖者に祈ることで、神との仲介を期待するのだ。 
だがこれは、理論的にはともかく、実態としてはきわめて「多神教的」だ。 
仏教においても、仏陀こそが悟りの頂点にいることは共通の了解となっているが、阿弥陀如来や観音菩薩への信仰は広く見られる。神道などの伝統的宗教では祖先が神との仲介者になるとされている。カトリックは(ギリシア)正教とともに、キリスト教のなかでもこうした伝統的な習俗を色濃く残しており、これはゲルマン民族の女神信仰やアニミズムと融合した名残だと考えられている。 
(Photo:©Alt Invest Com)    神父の祝福を受ける老夫婦(パレルモ)

カトリックとプロテスタントの大きなちがいは救霊予定説を認めるかどうかだ。 
プロテスタントは、神が全知全能である以上、最後の審判で神の救済を受けられるかどうかは最初から決まっているとする。これはきわめて厳格な教義で、マックス・ヴェーバーは 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、プロテスタントは(自分が救済されるかどうかわからないという)この不安を克服するために、禁欲や奉職のような「資本主義の精神」を発達させたのだと論じた。これは一見逆説的だが、禁欲する自分は、禁欲できるという事実によって、神から選ばれていることを証明できるのだ。
それに対してカトリックは、神は恩寵によってひとに自由意志の余地を残したと考える。罪を犯すか道徳的な生活を送るかは個人の自由で、たとえ罪を犯したとしても、神の大いなる慈悲によって懺悔のこころさえあれば救われるのだ。――歴史的には無論、こうしたカトリックの自由意志論が教会による信者の搾取を招いたとして、その批判からカルヴァンが厳格な救霊予定説を唱えた。 
カトリック教会を訪れて、そこに寺や神社へのお参りと同じような雰囲気を感じるとしたら、一神教か多神教かというちがい以上に、「神」に対する伝統的な信仰が共通しているからかもしれない。 
バールは「男性の社交場」
イタリアでは教会と同じく、どんな町にもバールがある。これは日本では、カフェとバーを兼ねた軽食を出す飲食店(カフェバー)のことだと思われているが、イタリアのバールには(おそらくスペインも同じだろうが)明確な定義がある。それは「男性の社交場」だ。 
地中海沿岸の文化はだいたいどこもそうだが、イタリアでも女性は家で女友だちと会うことは許されても、気軽に外出すべきではないと考えられていた。それに対して男性には家の外で(女性抜きで)交友する権利があり、その場所がバールだ。いまでも地方のバールには女性客の姿はほとんど見ないし、バーやスナックとちがって女性による接待がないのもこのためだ。 
イタリアではずっと、男同士のいちばんの話題はサッカーだった(最近は変わってきたようだが)。バールもサッカークラブごとに分かれていて、ACミランのファンはインテルミラノのバールには行かない(もちろん逆も同じ)。 
だがランベッリ氏は、イタリアのバールの多くは、90年代までは政党の事務所に所属していたという。これは地方都市に顕著で、キリスト教民主党や共産党などの政党事務所の1階がバールになっていて、そこに政党の機関紙が置いてある。客はそこで政治の話題に興じ、盛り上がればそのまま階段を上って政党の活動家や政治家たちと話すこともできた。日本では社交の場で政治の話をすると嫌われるが、イタリアでは政治はサッカーと同じエンタテインメント(男性の社交場での娯楽)だったのだ。 
(Photo:©Alt Invest Com)    広場で談笑する高齢者たち(カターニャ)

“娯楽としての政治”を象徴するのは、春や秋に各政党が大規模な祭り(カーニバル)を開催することだ。たとえば共産党の祭りは機関紙『ウニタ(統一)』から「フェスタ・デッルニタ(ウニタの祭)」と呼ばれ、トップクラスの歌手やロックミュージシャンが無料コンサートを行なうなど、共産党の強い地域(「赤い州」と呼ばれたロマーニャ州、トスカーナ州、ウンブリア州など)では年中行事になっていたという。
ランベッリ氏はここから、イタリア政治のカーニバル性を説明する。 
イタリアの喜劇コンメディア・デッラルテの定番の物語は、ずる賢い家来が愚かな主人をバカにし、主人になり代わっていい思いをする、というもので、その逆転劇に庶民は喝采を送った。カーニバルの役割は、祝祭的な空間において秩序を一時的に停止させ、場合によってはひっくり返すことにある。そこでは支配される側の人々は、自由に支配者を批判したり、バカにすることが許される。権威主義的な制度の下で呻吟する彼らにとって、カーニバルは唯一の解放の希望だったのだ。 
だがそれだけでは体制を変革する力強い運動にはならず、たんなる娯楽(というか、ガス抜き)にしかならない。権力を一方的に否定し、社会の秩序を一時的に逆転させたとしても、それでよりよい社会がつくれるはずはない。カーニバルの祝祭性は、けっきょくは現存の秩序を強める役割を果たすことになるのだ。 
こうしたカーニバルの格好の例を、私たちは先月行なわれたギリシアの国民投票に見ることができる。祝祭的な熱狂のなかでひとびとはEUに反旗を翻し、一時的に秩序を逆転してみせたが、ギリシア議会は投票結果を無視してドイツなどの要求をすべて受け入れ、より過酷な緊縮策が実施されることになった。 
(Photo:©Alt Invest Com)      “イタリア名物”のデモ(ナポリ)

カーニバルとユートピア
カーニバルは、ユートピアと密接に結びついている。 
ヨーロッパにおけるユートピアは「絶対的平等」の世界への夢想だった。これはもともと古代エジプトを起源とし、古代ギリシアやローマを通じてルネサンス期のヨーロッパの社会全体に浸透したもので、その現代的な意匠が共産主義であることはいうまでもない。 
イタリアのひとびとはずっと貧しい生活に苦しんできたために、誰もが安楽に暮らすことができる「クッカーニャ(富)の国」への憧れは強かった。このクッカーニャのユートピアを約束したのがカトリック(キリスト教)であり、共産党(マルクス主義)だった。戦後のイタリア政治の特徴は共産党の勢力がきわめて強かったことで、キリスト教民主党とのはげしい対立から多くの政治的スキャンダルを引き起こした。神と科学のいずれを奉じるかで両者は真っ向から対立するが、じつは「カーニバルとユートピア」という共通項でイタリア人の心性と結びついていたのだ。 
90年代にキリスト教民主党が解体するのと機を同じくして、イタリア共産党も往時の政治力を失っていく。だがギリシアで急進左派を名乗る政党が権力を掌握し、スペインでも新左翼政党ポデモスが急速に支持者を増やしているように、“南のヨーロッパ”では現在もユートピア的なイデオロギーが一定の政治力を保持している。 
(Photo:©Alt Invest Com)    こちらはカーニバル。パレルモのゲイパレード

ひとびとが望むのがクッカーニャ(富)のユートピアであるのなら、その実現には千年王国的な超人的指導者が不可欠だ。それを利用して権力を握ったのがファシスト党のムッソリーニだが、敗戦によってそのユートピアがニセモノだったことが明らかになると略式裁判で銃殺され、遺体はミラノのロレート広場に吊るされた。 
戦後のイタリア政治でもっとも成功したポピュリストが、シルヴィオ・ベルルスコーニだ。 
ベルルスコーニは歌手(エンタテナー)から身を起こし、いまだ解明されていない方法で大金を獲得して建設会社を設立し、高度成長期のミラノで住宅地を開発・販売して大成功を収めた。その後はテレビ局、デパート、新聞・雑誌、金融業に進出し、人気サッカーチームACミランを買収して、90年代初期にはイタリア最大の富豪となった。 
キリスト教民主党の解体によってイタリア政治が混乱すると、ベルルスコーニは「がんばれイタリア」という右派政党を設立して、所有する報道機関の圧倒的なプロパガンダを利用してまたたくまに首相の座に駆け上がった。 
ランベッリ氏は、このベルルスコーニもイタリア人が待望する「富の国をもたらす“超人的”指導者」だという。 
たとえばベルルスコーニは、国防大臣に(国家=検察の捜査から自分の身を守るために雇った)顧問弁護士を、財務大臣に節税コンサルタントを、法務次官にマフィアの首領の弁護士を任命した。これは政治の常識からすればバカバカしいかぎりだが、ひとびとが求めたのが(秩序の一時的逆転という)カーニバルであるならば、ベルルスコーニは見事に自らの役を演じたのだ。 
イタリアの大学に入学試験がないのは、カトリック的
これもあまり知られていないことだが、イタリアの大学には入学試験がない。 
大学入学資格は5年間の高等学校や専門学校を卒業することだけで、どの高校を出ても、どこの大学のどの学部でも入学できる。ランベッリ氏はこの制度を、プロテスタント的な救霊予定説とは異なる、カトリックの自由意志説で説明する。 
救霊予定説では誰が大学に入学するかはあらかじめ(神によって)決められているのだから、試験によって「選ばれた学生」を見つけ出せばいい。だが自由意志説では、信者は自らの自由な努力によって神の恩寵を得ることができる。この考えを教育に適用すれば、大学はすべての学生を平等に受け入れたうえで、卒業できるかどうかは学生の自由意志に任せることになるだろう。 
その結果イタリアの大学は、入学はかんたんだが(というか、誰でも入れる)卒業はきわめて難しい。たとえば文系学部では、約20の教科の試験にすべて合格したあと、200ページの研究論文を書いて教授2人の審査に合格し、さらに卒業委員会の面前で討論して認められなければ「ドットーレ(学士号)」が与えられない。このためストレートに卒業できる学生は10%以下で、ほとんどは留年するか、卒業をあきらめてしまうのだという。 
こうした制度は教育機会を広く提供する一方で(最初に選んだ大学・学部が自分に合わないと思えば他の大学・学部に変わることも自由)、学生を無条件に受け入れなければならない大学に大きな負荷をかけている。 
もともとイタリアでは、70年代になっても国民の多くは中学校を卒業すると働くのがふつうで、大学に進学するのは都市部の富裕層の子弟だけだった。 
イタリアでは小学校から大学までほとんどが国立で授業料も(ほぼ)無償だが、実際には教科書代がきわめて高く、上流階級でなければ大学には行けなかった。学生はアルバイトなどをするべきではないとされていて、日本のようなアパートやワンルームマンションもないため、大学に通えるのは都市部に実家がある恵まれた若者だけだったのだ。 
だが中流層の拡大によって大学進学が容易になると、当然のごとく有名大学は「超満員の象牙の塔」となり、教員は学生の教育や管理に追われ、科学・技術研究への投資が世界じゅうでもっとも少ない国になってしまったのだという。 
ちなみにイタリア人男性の代名詞のようになっているマザコン(マンミズム)は、イタリアのこうした制度的特徴から理解すべきだとランベッリ氏はいう。 
そもそもイタリアの都市には安い賃貸物件はなく、学生でもできるアルバイトもないのだから、大学生は両親と同居するしかない。そのうえ大学は入学は容易でも卒業が難しく、20代後半や場合によっては30代になっても両親からの援助なしでは暮らしていけない。日本でも経済環境の悪化で若者のパラサイト(親との同居)が目立つようになったが、イタリアの若者たちはずっとパラサイトでなければやっていけなかったのだ。 
「イタリア人は怠け者」の実態とは?
最近まで高等教育が上流階級の特権だったイタリアでは、労働者(高等学校以下)と事務職員(大卒)の階級差が歴然としている。 
たとえば工場などの労働者は8時から17時までの勤務で、12時から13時に昼食をとる。それに対して事務職員の勤務時間は9時から18時で、昼食は13時から14時だ。大卒の始業時間や昼食が中卒・高卒より1時間遅いのは、朝遅くまで寝ていられるのが上流階級の特権だとされていたことの名残だという。 
こうした歴史的経緯もあって、一般にイタリアの労働者は会社や経営者に対して忠誠の念を抱くことはない。仕事は生きるための必要悪で、資本家は労働者を搾取してゆたかになろうとしていると考えるのがふつうだ。これが、イタリアの工場でストライキが頻発したり、「イタリア人は怠け者だ」と揶揄されるようになった理由だ。だがそんなイタリア人も、職人のような自営業者になると、打って変わって(自分のために)熱心に働くようになる。 
一方、地方の商店はいまでも月曜から土曜の午前9時から12時半と3時半から7時半が営業時間で、シエスタ(昼寝)の習慣が残っている。これも日本人から見ると不思議に思えるが、イタリアでは歴史的に商人の地位が高く、「顧客の利便性」などということは考える必要がなかったのだ。 
もっとも労働者の仕事に対する考え方も、商店の休日や営業時間も、この10数年で急速にグローバル化しつつある。旅行者を戸惑わせる「イタリア的」なものも、やがて過去の文化遺産になっていくのだろう。 
ランベッリ氏は、イタリアの伝統的な習俗や前近代性の背後には“貧しさ”があると繰り返し指摘している。2014年の調査では、南部イタリアでは年1万2000ユーロ(約170万円)未満で暮らすひとの割合が60%に達している。 
(Photo:©Alt Invest Com)      典型的な下町の風景(パレルモ)

橘 玲(たちばな あきら)
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、政治体制、経済、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ最新刊 『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。
●DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)にて
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