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「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」―戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」SEALDs長棟さん
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/649.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 15 日 00:15:05: igsppGRN/E9PQ
 

「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」――戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」〜SEALDs長棟はなみさん、終戦の日前夜、国会前スピーチ
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258004
2015.08.15 IWJ Independent Web Journal


 「先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです」


 恵泉女学園大学3年生、SEALDsの長棟はなみさん(21)は広島県の隣県、山口県で育った。広島原爆の日(8月6日)には毎年、遠くから流れてくるサイレンを聞き、母と一緒に手を合わせたという。


 『火垂るの墓』を観て泣いた。『はだしのゲン』は夢に出るほど読んだ。学校では憲法を覚えさせられ、授業では戦争の悲惨さを学んだ。戦争経験者からも直接話を聞いた。


 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。


 彼らは言った。「二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ」。


 はなみさんは「戦争は想像するしかありません。しかし、知っている。あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです」と述べ、「私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました」と胸を張る。


 「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」


 以下、はなみさんのスピーチ動画とスピーチ全文を掲載する。
(原佑介)


【スピーチ全文掲載】「二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ」――戦争体験者から受け継いだ「命」と「意思」〜SEALDs長棟はなみさん、終戦の日前夜、国会前スピーチ


■恵泉女学園大学3年生・長棟はなみさんスピーチ全文



 「こんばんは。恵泉女学園大学3年の長棟はなみといいます。よろしくお願いします。


 夏がくるたび、この国は戦争の臭いがして、光り輝く夏は、少し陰りを帯びるような気がしていました。


 私が小さい頃、広島に近い山口県に住んでいたので、なおさらだったのかもしれません。


 8月6日、毎年同じ日、同じ時間に乗る、遠くから聞こえるサイレンをお母さんと一緒に手を合わせて聞きました。そして、『ああ、今年も夏が来たなぁ』と毎年感じていました。


 『火垂るの墓』を姉弟で泣きながら観たり、『はだしのゲン』を夢に出るほど読んだり、学校では、毎年戦争の授業があって、戦争の話を聞きました。何もわからず、ただ恐ろしく、しかし耳を背けることのできないその話を、クラスメイトと静かに聞きました。


 嫌がりながら日本国憲法を覚えたり、9条のプリントだけなぜか配られたり。戦争は理不尽なもの、あってはならないもの。だから今、私は戦争の中にいないんだと、幼い頃から学んできたように感じます。


 高校生になってから、これまで間接的に聞いていた話から、実際に戦争を経験された方々からお話を聞く機会ができました。


 空襲から逃げ惑った人。日本兵として人を刀で斬った人。守るために自分の母親と弟の首を、自分の手で締めて殺した人。雨のように降り注ぐ砲弾の中を逃げた人。ピカドンを見て片目を失くした人。慰安婦にされた人――。


 壮絶な話でした。言葉が出なかったのを覚えています。想像もできない事実でした。彼らは言いました。


 『二度と繰り返さない。そのために私は語るのだ』と。


 今回、この“戦争法案”が話題になったとき、多くの政治に関心のない、戦争を知らない若い世代が『戦争は嫌だ』と言いました。なぜかと考えると、戦争を間接的に学び、戦争を知っているつもりだからです。私を含めた彼らは、戦争というものを想像するしかありません。


 しかし、知っているのです。


 あの戦争の痛みを、悲しみを、苦しみを、多くの戦争を体験した世代から受け継いだのです。


 この国は法律が現状に合っていないなど、問題はたくさんあります。しかし、日本国憲法、特に憲法9条と、それによる平和を誇り、しっかりと教育してきたと私は思っています。


 私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。


 私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。70年間、戦争をしなかった。他の国の人に対し、直接銃口を向けなかった。ひとりも殺さなかったという事実が、この国を守っている。そのことを誇りに思うべきです。


 しかし今、どこかの国に攻められる、という可能性を、目をそらさずに考えなければいけないのかもしれない。愛するものを守るために、どこかの国を攻めるという可能性を、目をそらさずに考えなければならないのかもしれない。


 しかしまず、他国から日本が直接攻撃されていないにも関わらず、武力行使ができるというのは違うんじゃないでしょうか。なぜ他国の戦争に日本が参加するのでしょうか。何より、70年前の戦争で、多くの命が失われたことを忘れてはなりません。


 抑止力は機能しないでしょう。憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼び、取り返しのつかない大きな事態になることを、忘れてはならないのです。


 どうか、誰かは言う、『綺麗事』『理想』をここで叫ばせてほしい。


 戦争はしたくない。


 人を殺したくない。


 殺されたくない。


 武力ではなく、対話を。


 この叫びが綺麗事であってたまるか。明日は終戦から70年目の日です。終戦の前に亡くなったたくさんの命。終戦を迎えたにも関わらず、失われたたくさんの命。戦争を生き抜いて、私たちに命を受け継いでくれた命。そして私たちの命があります。


 先の戦争は間違っていました。私は日本人として、何より人間として、戦争を繰り返してはならないという意思と責任を、たくさんの命から受け継いだのです。


 二度と繰り返してはならない。このために私は行動するのだ。


 嘘っぱちの言葉なんていりません。どうか国民ひとりひとりの命を心から考えてください。いや、一緒に考えてください。


 私は私の言葉を語ります。言葉が足らずとも、若くとも。


 私は、現政権と安全保障関連法案に、断固反対します」


 

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コメント
 
1. 2015年8月15日 03:21:57 : YxpFguEt7k
「私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。」

ホントですねぇ… そうあり続けてください。


2. 大工 2015年8月15日 09:52:54 : HTxLXKr/Pjd52 : 1rOSdH66dU
見ろ 敗残兵の鉄兜だ
しかし みじめに僕らが負けたのは
こいつが頭から打ち落とされた時じゃない
おとなしく 僕らがこいつを被った時だ
     B・ブレヒト

戦争の時代の20世紀初頭に
戦争の本質を喝破した偉人の一人の言葉をあらためてかみしめる。

戦争法案反対
日米安保反対
中国権力者の膨張政策反対

全世界の人民は、自国政府の戦争政策に反対しよう


3. 2015年8月15日 15:54:16 : 7rnswaTcLs
この若い人に比べて
櫻井よしこらの「平和安全法制の〜」の老人たちは
若者たちを又戦場へ!
それも世界中の戦場へ送り込んで
それが戦争に巻き込まれない策だ!と詭弁を弄する。
恥ずかしい限り!

憲法を変えてから好きなだけやればよい!


4. 2015年8月15日 17:06:01 : 6lEL0QePhA

あなた方の行動を力強く誇りに思う。

あの時、国民生活より軍を選んだ結果だ。

 
 「たくさんの生徒見送った」=戦後70年、苦しい思い今も―特攻基地の元教官・福岡
時事通信 8月15日(土)14時19分配信


. 太平洋戦争末期、特攻隊が出撃した知覧特攻基地(鹿児島県知覧町)で教官として隊員を指導した永野定さん(91)=福岡県朝倉市=は多くの生徒を死地に送り出した。
 戦後70年たった今も、「たくさんの生徒が死んでいくのを見送った。自分で行った方がましだと思った。生き残って申し訳ない。情けない」と苦しい思いを抱えている。
 永野さんは1940年4月、15歳で東京陸軍航空学校に入校した。開戦後は飛行戦隊に配属され、爆撃機の搭乗員となった。ニューギニア戦線で負傷し、国内の病院に送り返された。
 戦争末期、空戦の経験がある永野さんは知覧基地で教官として、年上の「特別操縦見習士官」らに特攻機の操縦を教えた。「時間がなかったので、とにかく毎日敵艦に突っ込んでいくための訓練をした」という。
 生徒の1人が出撃前夜、別れを言いに永野さんの部屋を訪れ、「無駄死にじゃないですよね? 」と聞いた。「行くな」と言いたかったが、「君が選んだんだろう」とだけ答えた。後悔が残った。特攻隊員たちのほとんどは笑顔で出撃して行った。自身も特攻要員として埼玉・熊谷へ行ったが、待機のまま21歳で終戦を迎えた。
 「みんな『国のため家族のため』と。たとえ不満があっても口に出せるはずがない。そんなふうに教育されていた」。永野さんは長年、戦争について多くを語らなかった。「どんなに話をしたってあのときの気持ちや戦争のむなしさは、経験した者にしか分からない」と話す。
 永野さんが戦争の思い出を少しずつ語るようになったのは、2010年に脳梗塞で倒れた後。自宅で介護する長女幸子さん(68)にとって、父は「怖い人」で、戦争の話題を出せずにいたが、病気をきっかけに、少しずつ聞くようになった。
 永野さんは意識が戻ったとき、周りを死んだ戦友たちが取り囲んでいたと言っていたという。幸子さんは「夢かもしれないが、今でも心に戦友たちのことが深く刻み込まれているんだと感じた」と振り返る。
 幸子さんは永野さんから「葬儀のときは、二度と戦争を起こさないでくれという自分の思いを参列者に伝えてほしい」と託されている。「父は戦後もずっと苦しんできた。自分の子や孫にそんな思いは決してさせたくない。その思いを引き継ぎ、死ぬまで戦争に反対していくつもり」と話した。


5. 北の吟遊詩人 2015年8月16日 11:44:30 : 3lfvZQ5gr4BHg : Kpq7df7vXg
さながら、戦争ばばあVS反戦の若者

片方はおぞましく、片方はすがすがしい

どちらにこの国の未来があるかは一目瞭然。

まがまがしい違憲法案は、廃案。


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