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戦後70年日本のかたち
(6)沖縄返還の功罪
「核抜き、本土並み」佐藤首相、言葉で打開
領土をめぐる外交交渉がいかに難しいか。近年の周辺国との摩擦はそのことを再認識させた。佐藤政権が万策を尽くした沖縄返還の実現は外交史の輝かしい金字塔といってよい。だが、多くの米軍基地を残した形での復帰は沖縄県民にわだかまりを残し、徐々に本土と沖縄の溝を深めた。沖縄の戦後は70年を経て、なお終わりが見えない。(文中敬称略、肩書は当時)
「もうちょっとぐっと来るものがほしいね」。官房長官の橋本登美三郎が注文を付けた。1965年8月、佐藤栄作の初の沖縄訪問が目前に迫っていたのに演説草稿づくりは難航していた。検討会に参加していた外務省北米課首席事務官の枝村純郎が提案した。
「戦後は終わらない、というのはどうですか」
56年版の経済白書の一節が念頭にあった。訪問中の最大行事である首相歓迎大会での演説に盛り込まれることになった。
橋本は草稿を佐藤と親しい新聞記者に見せた。のちに首相秘書官に転じる産経新聞の楠田実はこの言い回しを気に入り、那覇空港に着いてすぐ読み上げる声明に移すように進言した。
「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しています」
返還交渉の見通しが立たない段階での思い切った発言は住民に反響を呼んだ。滞在中の佐藤はどこでも歓呼に迎えられた。17世紀初頭、薩摩藩の琉球侵攻で始まった本土と沖縄の関わり。双方の距離が最も縮まったのがこの日だったのではないだろうか。
当時はベトナム戦争のまっただ中。米軍はアジアの拠点である沖縄の基地を手放すことに抵抗した。
空港声明を事前に読んだ米政府は「沖縄の戦略的・軍事的重要性に言及されていない」と佐藤に文句を言っている。今年公開された外交文書でわかった。
佐藤は沖縄を統治する高等弁務官のワトソンに「国際情勢からみて(返還は)急々に実現されうるものではない」と釈明した。
外務省は日米で協定を結び、在沖米軍は特別扱いする案などを検討した。さりとて「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を掲げる佐藤がそのままの沖縄を受け入れるわけにはいかない。
結局、佐藤は返還条件として「核抜き、本土並み」を打ち出す。世論に支持され、対米交渉でも重要なキーワードになった。言葉が政治を動かす。沖縄返還交渉を振り返ると、そんな思いがする。
密使が大きな役割、2つの密約の是非問う
沖縄返還に絡んで忘れてならないのが、密使と密約の存在だ。佐藤は外務省の正規ルート以外にさまざまな人物を介して米政府に接触しようとした。とりわけ有名なのが京都産業大教授の若泉敬だ。
若泉氏の足跡を振り返るシンポジウムが開かれた
7月25日、その足跡を振り返るシンポジウムが京産大の主催で開かれ、全国から200人を超える“若泉ファン”が集まった。
独自に築いた米人脈を駆使して大統領補佐官のキッシンジャーと直談判した行動力。日本の誇りを取り戻そうと訴えた晩年の言動。これらをたたえる発言が多くあった一方、著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で自身の役割を明らかにしたことについて「密使は最後まで密使であるべきだった」(元防衛大校長の西原正)との指摘もあった。
若泉の勉強会の出身者には、安倍政権で国家安全保障局長を務める谷内正太郎らがいる。
このほか佐藤は元外交官の加瀬俊一、保守派の論客だった末次一郎、京産大教授の高瀬保らも米国に派遣した。
2元外交の是非と同時に若泉ルートで米政府と合意した密約をどう評価するかも外交史の重要な論点だ。有事に沖縄に米軍が核兵器を再配備することを認めた文書は09年、佐藤の次男の信二の自宅で見つかった。
沖縄にかかわる密約はもう1つあった。米政府が払うべき返還地復旧費を日本が負担するというものだ。財務官の柏木雄介と財務省特別補佐官ジューリックが合意した。これを記した外交公電を入手した毎日新聞の西山太吉が機密漏洩罪で逮捕される事件が起きた。
編集委員 大石格が担当しました。
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楠田氏の熱意、交渉後押し
龍谷大准教授 中島琢磨氏
――日本政府はいつごろから沖縄返還に動いていたのでしょうか。
「講和条約の締結時から外務官僚は道筋だけはつけようと頑張り、米全権ダレスに『潜在主権』と言わせた。1960年の安保条約改定時に岸信介は同時に沖縄にも取り組んでいた」
――なぜ佐藤栄作は沖縄に熱心だったのですか。
「首相就任直後に訪米して大統領のジョンソンに沖縄に行くと伝えた。慎重居士がどうしてという感じだ。首相秘書官になる楠田実たちの熱意に後押しされた経緯が楠田のノートなどではっきりわかる」
「楠田は戦中派なので、戦争で失ったものを取り返し、日本の自主独立に魂を入れたいという思いが強かった。そこで佐藤に沖縄返還、日中国交回復、北方領土返還を提言した」
――米国はなぜ返還する気になったのでしょうか。
「駐日大使ライシャワーが70年の安保延長を見据えて『政治的対策が必要』と提言した。ただ、米政府内でこの意見がすっと通ったわけではない。やはり米経済が傾いてきたことが大きく影響した」
――相手がジョンソンからニクソンに交代します。
「佐藤は相当に焦った。三木武夫に『佐藤のは民主党人脈だ』と批判され、若泉敬も民主党人脈なので、共和党に人脈がある京産大教授の高瀬保に基地の自由使用を認める腹案を持たせて派遣したりした」
「このとき副大統領時代のニクソンとつきあいがあった岸も動いた。弟の佐藤を助けるという以上に自分のときにできなかったことをなし遂げたいとの思いもあったようだ。ニクソンに政権における沖縄問題の優先順位を上げてくれと頼んだ。実際そうなった」
[日経新聞8月9日朝刊P.11]
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