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NPJ訟廷日誌
安倍首相に対する歴代首相からの「提言」(全文を掲載しています)
http://www.news-pj.net/diary/26870
2015年8月12日
NPJ 大城 聡(弁護士)
安保法制を推し進める安倍首相に対して、首相経験者5名が提言の文書を寄せた。
「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」が主催したもので、この要請に応えて提言を書いたのは、細川護熙氏、羽田孜氏、村山富市氏、鳩山由紀夫氏(※1)、菅直人氏の5名。
いずれも日本の安全保障を担う最高責任者を務めてきた首相経験者から現職首相への提言は、政党の枠を超えた重みを持つものである。
※1 鳩山由紀夫氏は、現在「鳩山友紀夫」の名前を使用しているが、本記事内では首相当時の氏名で表記する。
羽田孜氏の提言は全文手書き、安倍首相の祖父である岸信介元総理との関係を指摘する菅直人氏、安保法制に反対する国民の怒りを代弁するかのような村山富市氏、言葉を尽くし、自らの経験から語る細川護煕氏と鳩山由紀夫氏。
安保法制への賛否だけではなく、日本の安全保障、国のあり方にについて考えるべき大切な言葉がここにはあるように思う。
■集団的自衛権の必要性への疑問
安倍総理が集団的自衛権の必要性を火事の譬え話を使ったことについて、二人の首相経験者がその問題を指摘している。
細川護熙氏
「安倍総理は、テレビ番組で、集団的自衛権について、隣りの「米国家」が火事になって「日本家」に延焼しそうになったときに、日本の消防士が消火に行くようなものだと模型を使って説明した。しかし火災の消火と集団的自衛権の行使は全く異なる。
消火は人助けで美談の部類だが、集団的自衛権の行使は第三国に武力を行使することであり、その国の人員を殺傷し、場合によってはわが国の人員にも犠牲者が出ることになる。国民に対して集団的自衛権の行使を火災の消火の美談に譬えて説明することは、武力の行使や戦争の悲惨さから目をそらさせることになる。」
鳩山由紀夫氏
「総理は集団的自衛権を分かりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に日本が火消しをすることだと例示されましたが、火事と戦争はまるで違います。火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性も生まれるからです。」
そのうえで、朝鮮半島の有事や中国との関係、ホルムズ海峡封鎖についても、自らの首相時代の経験をもとに、集団的自衛権の行使で対応すべき事柄ではなないとしている。
そもそも何のために安保法制が必要なのか、この点について安倍首相が十分に説明できていないことが問題であるとしている。
■平和憲法、立憲主義に対する歴代首相の姿勢
平和憲法、立憲主義については、5人全員がそれぞれの言葉で安倍首相にメッセージを送っている。
村山富市氏
「これまでの歴代自民党政府も集団的自衛権は認めないとして、現行憲法は守られてきた。にもかかわらず安倍首相は勝手に憲法解釈を変え、閣議決定により合憲として国会に提出した。こうした立憲主義を無視した手法は問題だ。」
羽田孜氏
「『戦争をしない』これこそ、憲法の最高の理念。平和憲法の精神が今日の平和と繁栄の基礎を築いた。」
細川護熙氏
「安倍総理は、よく欧米型の統治システムを有する国を「価値観を共有する国」と呼ぶ。その内容は、自由、民主主義、法の支配などだが、それらを統一する近代国家の最大の柱が立憲主義である。安倍総理が、当初憲法改正を容易にするための「改憲条項」の改正を試み、それが行き詰ると閣議決定による「解釈改憲」に切り替えた経過は、立憲主義に対する畏敬の念の欠如を物語っている。内閣法制局を自分の意見に従わせるための異例の長官人事、大多数の憲法学者の違憲論の無視、集団的自衛権行使の容認の論拠として砂川判決をもってくる牽強付会などは、いずれも同根の手法である。もし安倍総理が、安全保障環境の変化等からして本当に集団的自衛権の行使が必要だと感じ、国民を説得できるだけの自信があるなら、堂々と憲法改正から手を付けるべきだ。このまま違憲の疑いの強い安保法制を成立させるなら、すべての法律、すべての統治は憲法によって律せられるという立憲主義は、わが国では崩壊してしまうだろう。」
鳩山由紀夫氏
「総理、そもそも集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。どうしても行使すると言うのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。国の安全保障の根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。」
■綿密な対話の必要性
安保法制が、この国の根幹に関わる重要なものであることは、安倍首相も提言を出した5人の首相経験者にも共通することである。
そして、私たちも、賛成か反対かを問わず、この問題が重要な問題であるという認識は共通している。
しかし、それよりも先にいくと共通の認識がないのが、現状ではないだろうか。
このような状況の中で、消費税導入には10年、PKO法案には2年を要し、政治改革には6年の歳月と18回の国会を必要としたとする細川氏の言葉は重い。これらの法案は野党との綿密な対話の上に成立したという。
そもそもなぜ安保法制が必要なのか、わが国を脅かす危機とは何か、何に備えるのか、集団的自衛権の行使容認に憲法改正は必要なのか。
いまの安保法制を巡る問題では、綿密な対話がない。
以下、提言全文を掲載します。
1 細川護熙氏
1.安保法制関連法案は廃案にすべき
廃案にすべきだと考える理由は、ひとつは法案の内容の点からであり、ひとつは手続きの点からである。
2.内容上の問題点
(1)今の日本の発展と国際的地位は平和憲法のたまもの
戦後日本の発展と国際的地位の獲得は、平和国家としての立場によってもたらされたものであり、かつ平和国家日本は、何よりも憲法9条をもつ平和憲法によって実現された。我々は、平和憲法をもったことの意義を十分わきまえなければならない。
憲法9条をもつ平和憲法を変えることは(解釈改憲によるとしても)、世界に確立した平和国家日本のイメージを損なう危険があるばかりでなく、日本人自身にとっても、その目指すべき将来の国家像を混乱させる。
(2)集団的自衛権の必要性への疑問
安倍総理は、テレビ番組で、集団的自衛権について、隣りの「米国家」が火事になって「日本家]に延焼しそうになったときに、日本の消防士が消火に行くようなものだと模型を使って説明した。しかし火災の消火と集団的自衛権の行使は、全く異なる。消火は人助けで美談の部類だが、集団的自衛権の行使は第三国に武力を行使することであり、その国の人員を殺傷し、場合によってはわが国の人員にも犠牲者が出ることになる。国民に対して集団的自衛権の行使を火災の消火の美談に譬えて説明することは、武力の行使や戦争の悲惨さから目をそらさせることになる。
また安倍総理は、集団的自衛権の行使が必要な事例として、朝鮮半島有事の際に韓国から避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る場合や、原油輸出の要衝であるホルムズ海峡がイランによって機雷封鎖された場合を挙げている。しかし韓国から避難する日本人を米艦で輸送するというのは、かつて米国から断られた案であるし、そもそも日本人を護るのなら個別的自衛権の範囲で済む。イランについては、核開発疑惑に関わる欧米との合意が成立して緊張緩和に向かうことになったし、イランのナザルアハリ駐日大使も「ホルムズ海峡の封鎖がなぜ必要なのか」と疑問を呈している。
結局、これだけの無理を押し通して、集団的自衛権の行使を認めなければならない理由は不明であり、もし個別的自衛権によって対処できない具体的事態があるというのであれば、冷静な環境のもとで幅広く国民の意見を取り入れつつ、手続きを尽くして検討すべきである。いずれにしても、日本は、海外での武力行使はダメという一線だけは、これからも護っていくべきだ。
(3)概念の曖昧さと政府の恣意的運用の可能性
総理以下政府の説明も納得のいかないものだが、肝心の法案の規定も曖昧さを含んでいる。
例えば集団的自衛権行使のいわゆる3要件のひとつに「存立危機事態」があるが、しかし、ここには「武力攻撃事態」のような外部から客観的に判定可能な指標がない。この「存立危機事態」に該当することを判断し、自衛隊を動かすのは時の政府だから、従ってホルムズ海峡の機雷封鎖が存立危機事態に当たるとする安倍総理のように、時の総理や政府によって集団的自衛権はいかようにも行使されることになり、恣意的運用の歯止めがない。
憲法前文に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と述べられているように、かつての大戦は歯止めのない政府の行為によってもたらされ、その反省の上に今日の日本があることを忘れてはならない。今回の安保法制は、日本と日本人の運命を再び「政府の行為」に委ねる危険な法制である。
3.手続き上の問題点
(1)立憲主義に対する畏敬を
今回の安保法制の最大の問題点は、あまりにも立憲主義が軽んじられていることである。安倍総理は、よく欧米型の統治システムを有する国を「価値観を共有する国」と呼ぶ。その内容は自由、民主主義、法の支配などだが、それらを統一する近代国家の最大の柱が立憲主義である。
安倍総理が、当初憲法改正を容易にするための「改憲条項」の改正を試み、それが行き詰ると閣議決定による「解釈改憲」に切り替えた経過は、立憲主義に対する畏敬の念の欠如を物語っている。内閣法制局を自分の意見に従わせるための異例の長官人事、大多数の憲法学者の違憲論の無視、集団的自衛権行使の容認の論拠として砂川判決をもってくる牽強付会などは、いずれも同根の手法である。
もし安倍総理が、安全保障環境の変化等からして本当に集団的自衛権の行使が必要だと感じ、国民を説得できるだけの自信があるなら、堂々と憲法改正から手を付けるべきだ。このまま違憲の疑いの強い安保法制を成立させるなら、すべての法律、すべての統治は憲法によって律せられるという立憲主義は、わが国では崩壊してしまうだろう。
(2)重大な問題ほど丁寧な手続きを
今回の法案が成立すれば、わが国の安全保障政策にとっての大きな曲がり角になる。かつ報道機関の調査による国民の反対も強く、法案審議が進むにつれその傾向は強まっている。そういう問題であればある程、仮にどうしても成立させなければならないとすれば、丁寧な手続きが必要である。例えば消費税の導入には10年を要し、PKO法案には2年を要した。私が関わった政治改革も区割りの仕上がりまで含めると6年の歳月と実に18回の国会を要している。
反対意見の者や野党との対話も必要である。上述の法案はいずれも野党との綿密な対話の上に成立した。私も、政治改革で河野総裁とトップ会談を重ね、参議院での否決後は無論、多数で可決する前の衆議院においても、河野総裁と会談し、合意には至らなかったものの、その意見もくんだ修正を行って参議院に送った。
これに対して国会審議で総理が野次をとばし、野党幹部の質問に「○○さん、あなたは間違っているのです」と答弁するのは、余りにも唯我独尊であり、合意形成を図るべき政治に禍根を残すことになろう。そのような手法で、違憲の疑いの強い安保法制を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない。
2 羽田孜氏
「戦争をしない」これこそ、憲法の最高理念。平和憲法の精神が、今日の平和と繁栄の基礎を築いた。特に、9条は唯一の被爆国である日本の「世界へ向けての平和宣言」であり、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束でもある。海外派兵を認める集団的自衛権は、絶対に認められない。
安倍総理から日本を守ろう。
3 村山富市氏
1.圧倒的多数の憲法学者が今回の安保関連法案は憲法に反すると証言している。また政府が提出する法律案の是非に携わってきた歴代法制局長官が、この法案は違憲であると証言している。
これまでの歴代自民党政府も集団的自衛権は憲法が認めないとして、現行憲法は守られてきた。
にもかかわらず安倍首相は勝手に憲法解釈を変え、閣議決定により合憲として国会に提出した。こうした立憲主義を無視した手法は問題だ。
2.国会提出以降、国民はいまだかつてない国会の審議を注目しているが、首相は野党の質問にまともに回答するのではなく、一方的に長々としゃべりたいことをしゃべっているだけで、問題点が解明されない。
審議した時間が問題ではなく、質疑を通して問題点が解明され、国民にも是非についてある程度理解ができたかどうかが問題である。首相自らが、「まだ理解されていない」と認めながら、審議時間だけを取り上げて、質疑を打ち切り強行採決を行い、多くの野党が欠席のまま衆院本会議で採決した。議会制民主主義を無視した横暴なやり方は認められない。
3.炎天下の中、連日、「憲法を守れ」、「戦争反対」を叫んで国会周辺のデモを行っている学生や若い人たち、子ども連れの方々、障がいをお持ちの方や車椅子のご老人等がおられる。「日本はこれからどうなるのか」、「再び戦争することになるのか」、空襲を経験された国民の皆さんは「原子力発電所を数多く持っている日本の国が空爆されたらどうなるのか?」、「戦後70年間戦争に加担することなく平和国家としての大道を歩き続けてきた日本がなぜ?」と居ても立ってもいられない気持ちで立ち上がり叫んでいる。
最近の世論調査では、安倍内閣の支持率が下がり不支持率が上回っている。こうした現状も国民の声も無視して力で押し通し、法案さえ通れば最後は世論もおさまると甘く見ているが、こうした国民軽視の姿勢は許せない。
4.現状の国会の状況からするとあるいは数の力で押し切られるやもしれない。参議院で議決できなければ「60日条項」を発動して衆議院で再議決すればよいと考えているようだ。
国民の声や意思を甘く見てはいけない。来年の参議院選挙から衆議院の解散総選挙まで展望して勝負を決することが必要だ。主権者である国民が日本のあり方を決めるのだ。あきらめてはいけない。
4 鳩山友紀夫氏
安倍総理大臣、私も総理として大変に稚拙だったと反省する身ですので、あなたに大きな顔をしてお説教をする立場ではないことを良く心得ています。ですが、せっかく機会をいただきましたので、国のあるべき姿について私見を述べさせていただきます。
安倍総理、あなたは昨年の総選挙で大勝利を収めました。勝ったのだから、自分の思い通りの法律を創るのだと力んでおられるようです。私は2009年民主党が大勝利し政権交代直後に、最もやりたかったのは、国家権力を強めるのではなく、一人ひとりの命を大切にする政治でした。安倍総理、あなたはなぜ今、時代に逆行して国家権力を強めようとされるのでしょうか。「国会運営は『国会は野党のためにある』の気持ちで」と竹下登元総理がいつも話されていたように、数を頼みに力で押し切るのではなく、野党や国民の声に耳を傾けることを心掛けることが大切ではないでしょうか。今、国民の多くが「戦争が出来る国」になることを心配しています。そして、安保法制の法案が今国会で成立することに反対しています。総理自身も「国民の理解が進んでいない」ことを認めておられますが、「国民の理解が進んでいない」というより、「国民の理解が進むほど反対が増える」と理解するべきでしょう。
なぜなら、総理の説明を伺うほどに、時代認識の誤りや矛盾に、国民は気が付き始めているからです。総理はことある毎に、「安保環境が大きく変わる中で」と枕詞のように話されます。世界情勢が緊張感を増してきているかのように聞こえますし、メディアもそのように報道します。総理は4、50年前の状況と比べておられるようですが、その時代には米ソ冷戦が激化し、キューバ危機やベトナム戦争がありました。今よりはるかに物騒な時代でした。現在の米ロが戦端を開くことはあり得ませんし、米中も戦争はしません。あまり報道されませんでしたが、昨年オバマ大統領が来日した際の記者会見で、「小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂」と諌めた通りです。安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかに良くなっているにも拘らず、「戦争に参加するための法案」を、なぜ今更議論するのでしょうか。
総理は集団的自衛権を分かりやすく説明するつもりで、アメリカ本国や離れが火事の時に日本が火消しをすることだと例示されましたが、火事と戦争はまるで違います。火事は消せば済みますが、戦争は協力すれば、敵が攻撃する可能性が生まれるからです。後方支援は直接的な武力行使ではないと言い張っても、敵は兵砧を断つ戦略に出るのが鉄則ですから、真っ先に狙われます。逃げれば全滅でしょう。
また、総理はホルムズ海峡が封鎖されたら、日本に原油が来なくなる。だからホルムズ海峡に敷設された機雷の除去の手伝いをする必要性があると、しばしば例として挙げますが、これこそ時代認識の大きな誤りでしょう。総理は特定の国を想定していないと逃げていますが、イランを念頭においておられることは明らかです。かつて私がイランを訪問した際、国内から大きな非難を浴びましたが、そのときに私がアフマディネジャド大統領に申し上げたのは、原子力の平和利用に徹するとしても理解されるには時間がかかるので、日本を見習って辛抱強く対話路線で交渉してほしいということでした。その後、イランは辛抱強く対話を続けてくれたと思います。そして漸く6か国との協議が最終合意にまで到達しました。イランとアメリカやイスラエルとの間の不信感が完全に拭えたとは思いませんが、少なくともホルムズ海峡に機雷が敷設されるような環境では全くないことだけは明白です。総理は適切な具体的な例が見つからないので、このような例を挙げられたのだと推察いたしますが、具体的な例がないということは、法案に今日的な必要性がない証左でしょう。
総理、そもそも集団的自衛権を限定的であれ行使できるようにするには、憲法改正が必要です。どうしても行使すると言うのなら、憲法改正を堂々と行ってからです。国の安全保障の根本に関わる議論を変更するのですから、表玄関から正直に入らなければ、生涯禍根を残すでしょう。ただ、私はアメリカに媚を売るような形で集団的自衛権の行使をすることには反対です。それはアメリカの決めた戦争に唯々諾々と参加せざるを得なくなることが明らかだからです。また、日米安保一体化の一環として、普天間飛行場の辺野古移設を強引に推し進めておられますが、これ以上強行されると、沖縄の人びととの間に流血の惨事が起きかねません。この件では、私が大きな責任を有していますし、辺野古に決めてしまったことを沖縄県民にお詫びいたします。ただ、翁長知事を筆頭に沖縄のみなさんは覚悟を決めておられます。辺野古は無理です。総理には民主主義を守っていただき、あらゆる可能性を、沖縄を含めアメリカ政府と検討していただきたいと願います。少なくとも私が総理のときにはアメリカには柔軟なところがありました。柔軟でなかったのは、むしろ日本の外務省と防衛省でした。北海道のある駐屯地では司令がすべての自衛隊員に遺書を書くことを命じました。こんな形で自衛隊員に苦しみを与えて良いと思われますか。
私は日本を「戦争のできる普通の国」にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する「戦争のできない珍しい国」にするべきと思います。私が総理のときに訴えました「東アジア共同体」構想を、中国の習近平主席が唱え始めています。中国と韓国は自由貿易で結ばれていきます。アセアンも今年中に経済共同体が作られます。日本こそ、そして沖縄こそ、その結節点として立ち上がる時を迎えているのではないでしょうか。「戦争への国造り」から、「平和への国造り」へ総理の英断を求めます。
5 菅直人氏
安倍総理は小さいころから祖父であった岸信介元総理を尊敬し、岸総理がやったことはすべて正しいと母親から教えられてきている。祖父を尊敬することは一般的には決して悪いことではない。ほほえましいことである。しかし、政治家として祖父である岸信介元総理がやったことすべてが正しいと思い込むのは問題だ。
私は第一次安倍内閣の2006年10月5日の予算委員会で、安倍総理に対して「岸元首相が東条内閣の商工大臣として太平洋戦争の開戦の証書に署名したことは正しかったと考えるか、間違っていたと考えるか」という質問をした。それに対し安倍総理はいろいろ逃げの答弁を試みたのち、最後に「間違っていた」と認められた。
しかしその後の安倍総理の言動を見ていると、「間違っていた」との答弁に基づく太平洋戦争に関する「反省」の態度は後退を続けている。そして、岸元総理がやりたくてできなかった憲法改正をすることが自分の使命と思い込み、解釈改憲を強行し、現在憲法に明らかに違反する「安保法制」を強行しようとしている。
私は政治家の使命は国民のため、自国のため、世界のためを考えて行動することだと考える。いくら肉親であったからと言って、国民や日本の将来よりも亡くなった祖父の思いを優先する安倍総理の政治姿勢は立憲主義に反し、民主主義国の総理としての資格はない。
安倍総理は2011年5月20日のメールマガジンで、当時総理であった私に対し、3月12日に福島原発1号機への海水注入を止めた責任を取って即座に総理大臣を辞するように主張した。この主張自体、虚偽に情報を真に受けて安倍総理の大間違いであったことはすに明らかになっている。それに対し、安倍総理は立憲主義を踏み外していることは明らかであり、今回は私の方から、安倍総理はその貴任を取って直ちに総理を辞任されるよう求めるものである。
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