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安保法制に反対するデモは現在も全国各地で続いている Photo:Alessandro Di Ciommo/Aflo
なぜ安倍首相は「安保法案」で生き急ぐのか? 尋常ではない執念の背景
http://diamond.jp/articles/-/76557
2015年8月12日 ジャーナリスト・嶋矢志郎 ダイヤモンド・オンライン
■安保法案審議で唯我独尊の安倍首相 安寧な社会基盤の浸食、崩壊への危惧
よこしまな悪知恵を奸知(かんち)といい、自分の都合の良いように無理に理屈をこじつけることを牽強付会(けんきょうふかい)と言う。それに、策略もあれば、虚言もあり、侮辱もある日常茶飯である。
これは、この度の安全保障関連法案の審議における安倍首相の言動を見聞していて、率直に感じた筆者の感想である。いずれも厚顔無恥な立ち居振る舞いである。少なくとも、選良であるはずの政治家が臆面もなく繰り出す手立てではない。日本の内閣総理大臣が頼る政治手法であり、常とう手段となれば、何をか言わんや、である
初めに「結論ありき」で、その結論への手続きを急ぐあまりに聞く耳を持たず、「憲法の枠内であり、合憲であると確信している」「専守防衛に、いささかの変更もない」「戦争に巻き込まれることは絶対にない」式の断定的な口調で異論を封じ、「私は総理大臣だから正しい」とまで言い切る唯我独尊型の政治手法が、この近代民主社会の中枢で、なぜ罷り通るのか。日本政治の劣化を痛感する。
安保法案の審議を俯瞰しながら禁じ得ないのは、日本および日本人が戦後70年の歳月をかけて築き上げてきた立憲主義や民主主義をはじめ、自由や人権、さらには法の支配をも含め、いわば戦後の日本型の近代民主社会の下で初めて平和と繁栄の二兎を追い続け、曲がりなりにも安寧な暮らしを享受してきた社会基盤が浸食され、崩壊していくのではないか、との危惧である。
とりわけ、安保法案が仮に成立した暁には、集団的自衛権の行使から、それに伴う海外派兵、さらには「日本と密接な関係にある」他国の戦争への参戦に至るまで、それまでの「しない」から「する」へ、真逆の大転換となる。「新3要件」を満たした場合に限られるとはいえ、実際には時の政権の「総合的な判断」に委ねられるため、極めて恣意的で、歯止めがないに等しい。
これは、明らかに憲法9条の下での専守防衛の日本的平和国家路線からの逸脱であり、日本及び日本人が世界に誇り得た「戦争をしない国ニッポン」の平和国家としての揺るぎない国際的なイメージと信用が一気に失墜する恐れがあり、この不安感も拭えない。
そもそも何のための安保法案で、なぜ今、急ぐ必要があるのか。確かに、日本を取り巻く国際環境の変化は著しい。中国の経済力と軍事力の急拡大、それに伴う陸海にわたる膨張主義、北朝鮮の核開発、米国の相対的な覇権力の低下など、周辺地域での不安定要素は急増している。
このたびの安保法案の主な狙いが、この環境変化に備えて日米同盟をより緊密化させ、日本が海外派兵や武力行使の可能性を拡大すれば、抑止力を高めて、日本を取り巻く安全保障をより強靭化できるに違いないとする希望的な観測にあるとすれば、あまりに短絡であり、稚拙と言わざるを得ない。
■中長期の視点と問題意識の欠如 近隣地域との信頼醸成の構築が先決では?
安保法制をめぐる議論の最大の欠点は何か。筆者が思うにそれは視野の狭さであり、中長期の視点と問題意識の欠如である。日本を取り巻く安全保障の砦を中長期的により堅牢に、強靭化していくには、何よりも近隣諸国との地域的な協力と連携の強化が先決である。安保法制の整備もさることながら、それ以上に優先すべき喫緊の課題は、米国との連携の下で隣接する中国や韓国との間で対話と相互理解を深め、歴史認識を共有しつつ、多種多彩な近隣外交を促進して、摩擦や脅威を軽減し、払拭して、持続可能な信頼醸成のための人脈ネットワークを重厚に構築、その仕組みを将来世代へ継承していくことである。
持続可能な信頼醸成の輪は、日中韓3国に続いて、東南アジア諸国(ASEAN)からオーストラリアやニュージーランドへ、さらにはインドから中東へ広げて、日中韓3国の連携の下でアジアの広域的な平和と安寧を目指す地域秩序の構築にも貢献できるはずである。シーレーン防衛は元来、広域的な地域社会として取り組むべき秩序課題である。東シナ海や南シナ海を「摩擦の海」から「平和の海」へ変身させ得るか否か、これもアジア地域が直面している大きな宿題である。
日米安全保障条約も決して万全ではなく、過度な依存は禁物である。同条約第5条によると、条約上の義務は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」果たす、とある。米国が他国で軍事力を発動する場合、憲法で議会の承認が必要となる。米国は、基本的に中国との武力衝突を望んでいるはずもない。尖閣諸島をめぐる領土問題にしても、平和的な解決を期待している。安倍首相が中国や韓国との信頼醸成へ向けた尽力を蔑ろにしたまま、安保法案の成立へ血道を上げる落差の大きさが気がかりで、バランスを欠いている。
同法案の成立を急ぐ安倍首相の執念は、尋常ではない。安倍首相が同法案の成立を急ぐため、唯我独尊の専横ぶりを乱発し出したのは、一昨年の内閣法制局長官の人事からである。安倍首相は自分の叶えたい集団的自衛権の行使容認を実現させるため、その考え方をよく知る小松一郎氏をいきなり外務省から引き抜き、登用したが、従来の不文律を破った異例の人事であった。
内閣法制局といえば、立法府である国会の、いわば法の番人で、国会審議における審議過程の法案が憲法に照らして「合憲か、違憲か」を審査、判断する重要な役割を担っている。確かに、同長官の任命権は内閣総理大臣にあるが、伝統的には司法府の経験と知見を要する人材が就任するポストである。
このため、立法府や時の政権とは一線を画して、いわば自立自尊の矜持を維持してきたが、小松一郎氏の登用は内閣法制局の秩序と矜持を切り崩し、今では時の政権を補佐する下請け的な存在に成り下がり、信用を失墜させた印象を拭えない。小松一郎氏は気の毒にも就任後まもなく逝去されて、後任には横畠裕介次長が内部昇格したが、すでに後の祭りで、手遅れである。
法律の違憲審査は元来、最高裁判所が保有する機能と役割であるが、その対象はすでに成立した法律に限られており、法案の審議、作成過程で関与することはない。その最高裁に代わって、その機能と役割を果たしているのが内閣法制局である。任命権があるからと言って、意のままに操れるとの思い違いは重大である。内閣法制局に付託されている三権分立の重要な相互監視機能を麻痺させ、骨抜きにして、機能不全に陥れてしまった顛末は罪深い。
■尋常ではない安保法案成立への執念 迷走する「合憲」への論拠探し
昨年7月に、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を憲法解釈の変更だけで可能にした閣議決定は、もっと罪深い。集団的自衛権は、自国が武力攻撃を受けていなくても、関係の深い他国が攻撃を受けた場合、一緒に反撃できる国際法上の権利である。日本政府は、これまでの歴代政権が憲法9条の制約から「行使は容認できない」としてきた。それを安倍政権はあっさりと憲法の解釈変更で「容認できる」へ、一変させた。
しかし、この解釈変更は「違憲である」として一蹴し、状況を一変させたのが、6月4日の衆院憲法審査会での参考人質疑であった。とりわけ、「(解釈変更は)法的な安定性を揺るがす」と指摘したのは、自民党推薦の長谷部恭男早大教授で、特に「必要最小限度の自衛権行使は憲法上、認められる」との1972年の政府見解を論拠としている点を批判した。
安倍政権が新たに持ち出した論拠が、1959年の砂川事件をめぐる最高裁判決である。これは、米軍駐留の合憲性が争点で、判決は「国の存立を全うするために必要な自衛の措置」として米軍駐留の合憲性を認める一方、日米安保条約については「高度の政治性を有し、司法裁判所の審査には原則としてなじまない」として、判断を避けている。
安倍首相は以来、「最高裁が必要な自衛の措置を取りうると判断した」(6月18日、衆院予算委)、「砂川判決は集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠と足りうる」(6月26日、同特別委)として、砂川判決を以て集団的自衛権の限定容認は合憲である、と繰り返すが、砂川判決は元来、集団的自衛権を視野に入れた判決ではない。したがって、砂川判決は集団的自衛権の行使容認を合憲とする論拠にはなり得ない。
折しも、磯崎陽輔首相補佐官が7月26日の講演で「法的安定性は関係ない」と公言して、参院の特別委から参考人として招致された。公言してはならない中枢の本音を失言した責任は、重大である。法的安定性は、憲法にとってはもとより、このたびの安保法案にとっても生命線である。政権が代わるたびに、憲法の解釈変更があってはならず、安保法案も憲法をはじめ、関係諸法規との整合性を含め、法的な安定性なしには成立しない。それを承知の上での「関係ない」とは、安保法案を超法規的な扱いで押し通す策略か、と勘繰りたくもなる。
■祖父直伝の「戦後レジームからの脱却」 安倍首相は生き急いではいないか?
それにしても、安倍首相の安保法案への執念はなぜ、そこまで執拗なのか。その主因は、幼少にして受けてきた祖父・岸信介元首相からの感化、影響であろう。1960年の安保騒動当時の岸信介首相は、憲法、とりわけ第9条を改正して、国軍を持ち、日本も戦争のできる国になることが宿願で、日米安保条約の改定はその第1歩であった。しかし、国民は岸首相が企てる戦前回帰や戦後民主主義の否定に猛反発して、戦後最大の市民運動に発展した。いわゆる安保騒動で、これを教訓に誕生したのが戦後レジームであった。
それが憲法9条の下で、自国を守るための必要最小限の自衛力を持つが、軍事力は持たない、集団的自衛権は行使しない、海外派兵もしないという、専守防衛に徹する日本的平和国家路線であった。
安倍首相が第1次安倍内閣の発足以来、口癖のように強調する「戦後レジームからの脱却」とは、この路線からの脱却である。憲法9条を改正して、軍事力を備え、戦争ができる普通の国を目指す構想である。このたびの安保法案の結論、成立を急ぐのも、このための第1歩である。自民党が3年前にまとめた憲法改正草案には、自衛隊に代わる国防軍の保持、集団的自衛権の行使、海外での武力行使などが盛り込まれている。安倍首相は使える権力を総動員して、祖父・岸信介の宿願を自らの手で果たしたい一心で、生き急いでいる感が否めない。
今、会期中の参院で審議中の安保法案は、その根幹である合憲か、違憲かの旗色を鮮明にしないまま、強行採決で衆院を通過させたが、いわゆる法的安定性が担保されていない法案の審議に果たして正当性はあるのだろうか。それもこれも安倍首相の安保法案に賭ける異常な執念と生き急ぎの由縁(ゆえん)である、と決めつけては言いすぎであろうか。安保法案をめぐる今後の審議に目が離せない、新しい視点と問題意識として注視していきたい。
しまや・しろう
ジャーナリスト/学者/著述業。東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社(記者職)入社。論説委員兼論説副主幹を最後に、1994(平成6)年から大学教授に転じ、芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科教授などを歴任。この間に、学校法人桐朋学園理事兼評議員をはじめ、テレビのニュースキャスターやラジオのパーソナリティなどでも活躍。専門は、地球社会論、現代文明論、環境共生論、経営戦略論など。著書・論文多数
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