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戦後70年を迎え、日本は安定した東アジアをつくるために、歴史認識問題を巡る相克をどう乗り越えればいいのか。京都精華大学専任講師の白井聡氏は、対米従属を絶つことが、尊敬される日本への道だと主張する。果たして、安倍政権に戦争の総括をすることはできるのか。(インタビュー・構成/『週刊ダイヤモンド』論説委員 原 英次郎)
――アジア諸国と安定した関係をつくり上げることが、日本のメリットになるはずですが、中国、韓国との関係は悪化したままです。
いま何が起きているかというと、特に第2次安倍政権になってから、もはやアジアの中で生きていくことを放棄したのかと思われる――そうとしか受け取れない言動が繰り返されています。
一体そこを政権中枢や財界はどう考えているのか。今やっていることの方向性を見ると、これは、中国との戦争準備。非常に危険な火遊びをやっていると思います。なぜそれを誰もストップさせないのか。財界もチキン野郎ばかりになったということなのでしょうか。
今の政権には歴史問題に関して和解を導くという意思が見えません。なぜ、信頼関係が築けないか。中国や韓国から見れば、問題の核心は何かというと、戦後の日本は、アメリカという「強いお兄ちゃんがバックにいるんだぜ」という状況を抜きに、「自分自身で、裸一貫で、俺たちと一度でも話そうとしたことがあるのか。一度もないだろう」ということです。だから日本の異常な対米従属が続いている限り、真の信頼関係は絶対に築けない。
アメリカをバックにして敗戦を否認する構図とは
――日本の歴史認識はそういう構造の中で、創り上げられたということですね。
その点は『永続敗戦論』で説明したことがベースになります。つまり日本の場合は、敗戦という事実をいかにしてごまかすか。敗戦したことは分かっているけれども、その意味するところを認めない、という歴史意識が成立してしまった。そんな都合のいい状態は、アメリカをバックにすることによって可能になった。
戦後間もなくして冷戦が始まったため、アメリカは日本を反共産主義の砦とするために占領政策を転換して、戦前のファシスト勢力を温存するという決断を下した。だから日本の支配層はアメリカに対しては無制限対米従属になるわけですが、その引き換えにアジア及び国内に対しては、敗戦を否認することを続けてきたわけです。
――太平洋戦争ではアジア諸国は日本の被害者です。もし、あの戦争が自衛のための戦争だったと正当性を主張するのであれば、それは当時植民地を持っていた欧米諸国に言うべきですが、アメリカには何も言えませんね。
そういう構造すら、実はアメリカによって意図的につくられたという側面もある。松田武さんがお書きになった『対米依存の起源』という本の中で、米国の国務長官を務めたダレスが、戦後日本の運営手法について赤裸々に語っていることが紹介されています。それは何かというと、日本人のレイシズム(人種主義)を利用する。欧米に対するコンプレックスとアジアにおいては自分たちだけが近代人なんだという差別感情を利用する、と。そうすれば、日本人はわれわれに従属する一方、アジアで孤立し続けるだろう、とダレスは見通していた。見事にその策略にはまり続けて、戦後70年が過ぎた。
アジア諸国は日本に対して「我慢」をしなくなった
――ただ、戦後日本はサンフランシスコ平和条約や2国間の条約で、戦争処理を行ってきました。にもかかわらず、21世紀に入ってから、中国、韓国を中心に、歴史認識問題で対立が先鋭化してきたことを、どう理解すればよいでしょうか。
端的にいえば、背景にあるのは国力の差が相対的に縮まったということでしょう。要するに、アジアに対して傲慢な態度を取り続けることが可能であったのは、彼我の間に圧倒的な国力の差があったから、彼らはぐっと我慢してきた。「こいつ本当は全然反省してなくない?」と思ったけれども、「仕方ない、ここはぐっと我慢だ。名より実を取るしかない」と。
今、彼らの国力も上がり、そんな我慢をする必要はなくなった。1965年の日韓基本条約にしろ、72年の日中国交回復にしろ、日本にとってみればとても寛大な条件で国交を樹立させてもらった。寛大な条件というのは、それはあくまで、日本があの戦争や植民地支配に関しては、こちらが一方的に悪かったということを認めるという態度をちゃんとキープする限りにおいて、私たちは寛大に振る舞う、ということだった。だから、日本側がそこからはみ出す言動をしてきたら、あちらは「それは約束が違うだろう」と、当然ブチ切れる。
――歴史認識問題は、現象としては古くは教科書問題、南京事件、今の尖閣問題、竹島問題と慰安婦として現れていますが、根底には日本の戦争に対する認識が誤っていると、批判しているわけですね。
どの問題を取っても、「敗戦の否認」をできる限りやりたいというスタンスに貫かれています。その悪影響は、歴史認識の問題だけでなく、領土問題にも及びます。日本は中国、ロシア、韓国と3つの領土問題抱えているが、たぶん今の政府はこれを解決する気はない。本当に解決したいのであれば、あの敗戦そのものであるポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約(注)に何が書かれているのかを、もう一度直視するほかないし、日本国民にも説明しなくてはならない。
外務省の依拠する「固有の領土」なる概念は、まさにそれを直視しないことによって成り立っている。故にそれを振り回している限り、領土問題は絶対解決できない。今の政府は敗戦の否認を屋台骨として成り立っているわけだから、解決する能力がそもそもないと、私は見なさざるを得ません。
あの戦争をきちんと総括すべき死者にむち打つことになっても
――それでは、どうすれば歴史認識を巡る対立を克服できるとお考えですか。
これを解消する方法を考えると、やはり戦争責任の問題に行き着く。戦争責任については対内的な問題と対外的な問題のどちらが優越するかということが、盛んに論争されてきた。ただ、いまとなってはっきりしてきたことは、対内的な責任と対外的な責任というのは、一体的なものだということです。
結局のところ庶民感情のレベルで、なぜ日本人が対外的な戦争責任に向き合えないのかというと、「私たちだって犠牲者だ」という意識があるからだと思う。例えば、従軍慰安婦問題でも何がことの発端かと言えば、要は日本軍兵士による強姦が猖獗を極めたから。それを防止するために、軍が慰安所を作ったことから問題が生じている。
では、なぜそんなにひどい軍紀の乱れが生じたのかというと、あの戦争の訳の分からなさに起因している。世界恐慌が波及して国内がぼろぼろになり、「もう戦争しかない」と海外侵略に活路を見出して、それで庶民は有無を言わさず戦地に送られた。大変な苦労をして帰国し、戦後の焼け野原から再出発し、復興して経済発展すると、今度は「お前らはあんなひどいことをした」と言われる。「これは不条理だ。受け入れ難い」、そういう感情がずっとあるのでしょう。
蛮行の責任に向き合えないのは、責任を最も取るべき人たちがほとんど誰も責任を取らなかったから。お偉いさん方が責任を取らないのに、なんで下々のワシらが悪者呼ばわりされなきゃならないの、と。極東軍事裁判はありましたが、そのそもそもの問題点は、裁く主体が日本国民ではなかったということにある。つまり、我々は自分の手で責任者を裁いていません。
そう考えてみると、対内的にあの戦争の責任、間違った国家指導に対する責任追及をやらない限り、対外的な責任にも絶対に向き合えない。対内的な責任に向き合えない政府が、対外的な責任をきっちり取れるわけもない。逆に言えば、日本の社会が対内的な責任にきっちり向き合うようになった時には、対外的な責任の問題を、前向きに解決していく糸口がはっきりと見えてくると思います。
具体的には、もう一度我々も日本国民として、あの戦争に対する責任を国内的に総括する一種の儀式をやらなければだめです。死者にむち打つことになったとしても。
安倍政権に戦争の総括はできない本気でやるなら退場してもらうべき
――戦後70年たった今、日本人の一体だれが戦争責任を総括できるのでしょうか。
『永続敗戦論』の中で、石破茂地方創生担当大臣が『文芸春秋』にお書きになったことを引用しました。石破さんは「戦後レジームからの脱却は、先の戦争に対する検証なくしては、ありえない。この検証プロジェクトは、安倍総理主導のもと、政府として取り組むべきことだと思う」と、正しいことを言っている。
ただ、「では、それは誰がやるの? 安倍首相を中心にして、そんなことできるわけがないだろう」と、僕は突っ込みたくなる。戦争責任をあやふやにすることによって権力の座にとどまった支配勢力の後継者である彼らに、できるわけがない。A級戦犯に指定された後、アメリカによって取り立てられた岸信介は、この勢力のシンボル的存在です。で、その孫であることを誇りにしている安倍さんが、あの戦争をまともに総括するなど、空想もいいところ。本気でやるためには彼らに退場してもらうしかないのです。
自民党(自由民主党)にはリベラルな部分もあると言われてきて、確かにそれが当てはまる時期があったけれども、「では今はなんなの?」ということです。リベラリズムもなければ、デモクラシーを尊重するわけでもない。まさに自由でも民主でもない。なぜこんなことになってしまったのかと言えば、結局のところ常に極右勢力――要するに戦前的なものとの連続性を無批判に肯定した勢力――を、ずっと内部に抱えてきて、ついに清算しなかったからです。
対米従属のメンタリティーを断つことが「日本が尊敬される」道
――日本の戦争責任、歴史認識を考える場合、実はアメリカとの関係をどう考えるかが、1つの大きなカギですね。
問題は何かというと、世界に類を見ない日本の対米従属の特殊性にある。その特殊性の核心とは、アメリカは日本を愛してくれているという妄想です。対米従属という国策もあらゆる国家の方針を比較したうえで選択されるのであれば、それは健全です。しかし、そうではなくて、妄想の上に成り立っている。そう考えると日本の対米従属は国際問題ではなく、国内問題だということが分かる。
特殊な対米従属によって形成されたメンタリティーは本当に根深い。それを断つことができた日には、アメリカからも、あるいは日本がかつて侵略した相手からも、それ相応の敬意を受けることができると思う。今のような形でやっている限りは、絶対に尊敬なんかされません。
(注)
●ポツダム宣言の領土に関わる箇所
(八)カイロ宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
●サンフランシスコ平和条約の領土に関わる箇所の一部抜粋
第二条
(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
しらい・さとし
1977年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程修了、博士(社会学)。専門は政治学・社会思想。早大非常勤講師、文化学園大学助教など経て15年4月から現職。『永続敗戦論』で石橋湛山賞、角川財団学芸賞
http://diamond.jp/articles/-/76413
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