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対日宣戦布告を日本政府に届かないよう妨害していたソ連ー(天木直人氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sn7qpq
9th Aug 2015 市村 悦延 · @hellotomhanks
史実のを知ることの重要性についての三番目のメルマガはこれだ。
きょう8月9日の産経新聞が一面トップで大スクープを書いた。
英国立公文館所蔵の秘密文書で分かったという。
すなわちスターリンのソ連は、1945年8月9日に、
突然日ソ中立条約を破って対日戦争に参戦したが、
その宣戦布告を伝えられた佐藤尚武駐ソ連大使が本国政府に宛てた公電が、
ソ連当局に遮断され、日本政府に伝わっていなかったというのだ。
ただでさえ中立条約を一方的に破ったことで日本を裏切ったソ連が、
その通知が日本に届くことを遅らせる妨害工作まで行っていたのだ。
二重の意味で背信行為を行ったことになる。
なぜ佐藤大使が公電で伝えたものが日本政府に届かなかったのか。
その産経新聞は要旨こう書いている。
・・・モロトフ外相はクレムリンを訪れた佐藤大使に宣戦布告文を読み上げ手渡した。
モロトフ外相が暗号を使用して東京に連絡することを許可したため、
佐藤大使はただちにモスクワ中央電信局から日本の外務省本省に打電した。
しかし、外務省欧亜局が作成した『戦時日ソ交渉史』によると、
モスクワ中央電信局は受理したにもかかわらず、
日本電信局に送信しなかったため、この公電は外務省本省に届かなかった。
日本がソ連の宣戦布告を知るのは、
ソ連が武力侵攻を開始してから4時間がたっていた。
タス通信のモスクワ放送や米サンフランシスコ放送などから参戦情報を入手したという・・・
驚くべき記事だ。
英国秘密文書でソ連の二重の背信が明らかになったことも驚きだが、
日本の外務省が検証して、それを知っていたことはもっと驚きだ。
ソ連の背信行為をやすやすと許す責任は日本側の油断にあったのだ。
そこまでソ連を信じていたということなのか。
あまりにも恥ずべきことだと見えて、外務省は日本国民に隠して来たのだ。
これではソ連に北方領土を取られるはずだ。
すべては日本外交の無能さがもたらした国益の損失だ。
そして日本外交の無能さは戦前から始まっていたということである。
これでは北方領土の返還など夢のまた夢だ。
産経新聞のスクープ記事は、そのこともまた教えてくれている
◇
対日宣戦布告時、ソ連が公電遮断 英極秘文書
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000036-san-pol
産経新聞 8月9日(日)7時55分配信
■1時間後に満州・樺太侵攻…日本政府は4時間後に報道で把握
昭和20年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って参戦した時点で、ソ連の宣戦布告が日本政府に届いていなかったことが8日、英国立公文書館所蔵の秘密文書で明らかになった。宣戦布告を通告された佐藤尚武(なおたけ)駐ソ連大使が日本の外務省宛てに打った公電がソ連当局によって電報局で封鎖されていたためだ。ソ連は宣戦布告から約1時間後に満州(中国東北部)や樺太などで一斉に武力侵攻を開始。その約4時間後にタス通信の報道などで参戦を知った日本は不意打ちされた格好となった。(編集委員 岡部伸)
◇
日米開戦における真珠湾攻撃で対米宣戦布告が約1時間遅れたことで、日本はだまし討ちをする卑怯(ひきょう)な国と東京裁判などで汚名を着せられたが、終戦直前の意図的な闇討ちで、北方領土を奪ったスターリン首相の背信行為が改めて明らかになった。
秘密文書は20年8月9日、日本の外務省から南京、北京、上海、張家口(モンゴル)、広東、バンコク、サイゴン、ハノイの在外公館にソ連の宣戦布告を伝える電報で、英国のブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読したもの。この文書は英政府の最高機密文書「ウルトラ」として保管された。
電報を要約すると、「ソ連は8月9日に宣戦布告した。正式な布告文は届いていないが、(日本がポツダム宣言受諾を拒否するなど、対日参戦の趣旨と理由を書いたソ連の)宣戦文の全文と日本政府の声明がマスコミで報道された」などと書かれている。外務省がソ連による正式な宣戦布告ではなく、マスコミ報道をベースにソ連の侵攻を在外公館に通知したことが分かる。
ソ連のモロトフ外相はモスクワ時間の8月8日午後5時(日本時間同日午後11時)、クレムリンを訪問した佐藤大使に宣戦布告文を読み上げ手渡した。モロトフ外相が暗号を使用して東京に連絡することを許可したため、佐藤大使はただちにモスクワ中央電信局から日本の外務省本省に打電した。
しかし、外務省欧亜局東欧課が作成した「戦時日ソ交渉史」によると、この公電は届かなかった。モスクワ中央電信局が受理したにもかかわらず、日本電信局に送信しなかったためだ。
ソ連は佐藤大使への通告から約1時間後のモスクワ時間8月8日午後6時(日本時間9日午前0時)に国交を断絶し武力侵攻を開始。日本政府がソ連の宣戦布告を知るのは日本時間の9日午前4時で、ソ連が武力侵攻を開始してから4時間がたっていた。タス通信のモスクワ放送や米サンフランシスコ放送などから参戦情報を入手したという。
正式な宣戦布告文が届いたのはマリク駐日大使が東郷茂徳外相を訪問した10日午前11時15分。ソ連が侵攻してから実に約35時間が経過していた。
日本が8月15日にポツダム宣言を受諾し、降伏文書が調印された9月2日以降も、武装解除した北方四島などに侵攻したソ連が一方的な戦闘を停止するのは9月5日。日本は最後までソ連に宣戦布告していない。
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