http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/331.html
Tweet |
http://mewrun7.exblog.jp/23536416/
2015年 08月 08日
今週6日、安倍首相が「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」の報告書を受け取った。(・・)
安倍首相&仲間たちは、終戦70年を迎えるに当たって、「安倍談話」を出すことを計画していたのだが。ここ1〜2年、その内容に関して、国内外で様々な議論が起きることに。^_^;
そこで、安倍首相は今年2月、官邸にお得意の懇談会を設置し、「安倍談話」作成の参考とするために「20〜21世紀の日本」に関してまとめることを要請したのである。(++)
21世紀懇のメンバーには、案の定、安倍首相のブレーンや支援者など超保守派の人たちが少なからず選ばれていたことから、安倍氏らの考えに沿うような内容の報告書ができるのではないかと思う人も結構いたのではないかと思うのだが。
昨日、発表された報告書をざっと見た限りでは、思ったよりも客観的に史実を検証する姿勢がうかがえるものだった。(@@)
<安倍首相らが認めたがらない「侵略」や「植民地支配」をしっかり認めるものだったし。逆に彼らが主張する「アジアの解放」は否定するものだったし。^^;>
ただし、現段階では、安倍首相は談話に「謝罪」の言葉は入れる気はない様子。「侵略」などの言葉を入れるかもビミョ〜な状況だとのことで。
この報告書は、ある種の免罪符として利用するためにまとめられて、発表された可能性も否定できない。(~_~;)
* * * * *
安倍首相らが、今年、仰々しく談話を出すことにした最大の目的は、終戦50年に出された「村山談話」をオーバ−ラップする(上から覆い隠す)ことにある。(**)
<村山談話(全文)は『村山談話と小泉談話(全文)〜キーワードは「侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」』に。>
というのも、安倍氏らは、「村山談話」が「植民地支配と侵略」「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え(たこと)」「国策の誤り」を認め、「痛切な反省」「心からのお詫びの気持ち」をあらわしたことに納得が行かず、ずっと不満を抱き続けているからだ。^_^;
安倍氏らの超保守派は、以前から先の大戦は侵略戦争ではなく、あくまでも日本とアジア諸国を欧米列強から守る意図で行なった自衛のための戦争であり、正当なものであったと主張。戦争に関して反省すべき点はあるものの、国策が全て誤っていたわけでもないし、謝罪する必要もないと考えていて、そのような発想は「自虐史観」に基づくものだと批判しているし。
しかも、彼らと全く思想が合わない&彼らが忌み嫌っているサヨク(社会党)の村山富市氏による談話であるため、尚更に気に入らず。早くその存在を消してor薄めてしまいたいのである。^^;
<安倍陣営が、21世紀懇に、日本のことだけでなく、世界全体の状況についてもまとめて欲しいと要請したのは、日本だけでなく欧米もなく、戦後の日本の国際貢献や21世紀のビジョン将来に
* * * * *
ただ、6日に発表された報告書は、安倍首相らの歴史認識や主張とはかなり異なるものだった。(@@)
報告書は、日本の「侵略」「植民地支配」を認めた上、1930年代から、植民地支配が過酷化したことや、日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ないと記載。
また、『多くの意思決定は、自存自衛の名の下に行われた(もちろん、その自存自衛の内容、方向は間違っていた。)のであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない』『国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない』と結論づけているからだ。(・o・)
もし機会があれば、細かいことは、また改めて書くとして。とりあえず、今回は報告書の戦争に関わる部分をアップしておく。(・・)
<報告書全文を読みたい方は、首相官邸HPに載っているです。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/>
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
『1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験からくむべき教訓は何か。
(1)20世紀の世界と日本の歩み
ア 帝国主義から国際協調へ (略)
イ 大恐慌から第2次世界大戦へ
1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依存していたドイツ経済は崩壊し、ナチスや共産党が台頭した。
アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進んでいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。
そのころ、既にイタリアではムソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチスが議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。
国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。
こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略(注1)を拡大し、第1次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。また、軍部は兵士を最小限度の補給も武器もなしに戦場に送り出したうえ、捕虜にとられることを許さず、死に至らしめたことも少なくなかった。広島・長崎・東京大空襲ばかりではなく、日本全国の多数の都市が焼夷(しょうい)弾による空襲で焼け野原と化した。特に、沖縄は、全住民の3分の1が死亡するという凄惨(せいさん)な戦場となった。植民地についても、民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した。
1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。
なお、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立した。多くの意思決定は、自存自衛の名の下に行われた(もちろん、その自存自衛の内容、方向は間違っていた。)のであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない。アジア解放のために戦った人はもちろんいたし、結果としてアジアにおける植民地の独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない。
ウ 第2次世界大戦後
第2次世界大戦は、全世界で何千万人にも及ぶ未曽有の犠牲者を出し、国際社会に深い傷を残した。日本人の間でも約310万人の尊い命が奪われた。20世紀後半、国際社会は、もう二度と巨大な戦争による悲惨な事態を繰り返してはならないとの強い決意の下、新たなシステムの構築を進めた。
国際社会にとり最優先であったのは、戦争の予防と平和の確立であった。第2次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟の失敗を教訓として、1945年、国際連合が設立された。国際連合は、その憲章第1章第2条で、国際関係における武力行使を原則として禁止し、この規範は、大戦後の世界平和における基軸となった。この点、日本は、戦後、不戦に関する国連憲章の規範をもっとも忠実に守った国であったと言える。憲法9条第1項を有する戦後日本の歴史において、軍事的自己利益追求行動は皆無であった。戦後の日本においては、世界中のいかなる場であれ、力による領土等の変更に常に反対する気持ちが国民の間で広く深く共有されており、政府の政策にも貫かれている。
戦後国際秩序にとってこれと並んで重要だったのが、自由貿易システムの発展だった。第2次世界大戦の要因となった、大恐慌からブロック経済、そして国際貿易体制崩壊という流れを防ぐべく、戦後間もなくブレトン・ウッズ体制が構築され、GATT体制の下、国際自由貿易体制が確立された。この自由貿易体制の下、戦後世界経済は大きく発展し、日本もこの体制の主要なメンバーとして、経済成長を達成した。第2次世界大戦前のような武力による生存圏拡大の考え方を信じる人はほぼ皆無となり、自由貿易により繁栄を追求する人が圧倒的多数となった。そして日本は、この中で、アジア諸国を中心に、平和と経済発展による国家の繁栄モデルを提供してきた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
更に忘れてはならないのは、第1次世界大戦後に生まれた民族自決の動きが、第2次大戦後、多くのアジア・アフリカ諸国において独立、脱植民地化という形で結実したことである。日本も参加した1955年のアジア・アフリカ会議では、植民地主義が糾弾され、基本的人権の尊重を求めるコミュニケが採択された。この流れの中、1950年代から60年代にかけて、アジア・アフリカの多くの国が独立を達成し、第2次世界大戦前に、大国が力によって他国を支配していた時代は終わり、全ての国が平等の権利を持つ世界となった。
エ 20世紀における国際法の発展
以上振り返ってきた激動の20世紀史を象徴するように、国際法の性格も、20世紀前半と後半で大きく変化した。20世紀前半の国際法は、国家間の紛争の概念を明確に限定したうえで、紛争要因を縮減することを目的とした消極的な性格のものであった。そして、その中心的課題は、戦争をどう制御するかということに絞られ、経済社会問題は基本的には各国の国内管轄事項として、国際法の規律の対象外とされていた。戦争の制御については、1919年の国際連盟規約、1928年の不戦条約を通じて、国際法は、戦争放棄の大きな流れを作ることには成功した。しかし、連盟規約は戦争に訴えるための手続きを厳格化したが、戦争に訴えること自体を禁止したものではなく、また不戦条約も禁止の例外となる自衛権の範囲や「戦争に至らない武力の行使」をめぐり、解釈の余地を残した。なお、国際法上の「侵略」の定義については、国連総会の侵略の定義に関する決議(1974年)等もあるが、国際社会が完全な一致点に到達したとは言えないとする指摘もある。
20世紀後半の国際法は、各国の共通利益の実現を促進する積極的な役割を担うものに変貌(へんぼう)を遂げた。第2次世界大戦の教訓を基に、国際連合の設立を通し、武力行使を国際社会全体で防ぐ体制が整えられた。また、国際貿易体制の崩壊が第2次世界大戦勃発の要因の一つになったことを踏まえ、国際法によって経済面、社会面における各国の協力を推進し、規範を形成する動きが急速に進んだ。人権や環境についての規範の発展もあった。先の大戦に至る過程において、国際連盟を脱退し、不戦条約の抜け穴を利用しようとして武力行使に踏み切った日本が、大戦後においては、憲法9条1項と共に不戦に関する国連憲章規範をもっとも忠実に守り、また国連を中心とする多様な活動に積極的に貢献する国に生まれ変わったことは前述したとおりである。
(2)20世紀からくむべき教訓
20世紀から我々がくむべき教訓とは何だろうか。第一に、国際紛争は力によらず、平和的方法によって解決するという原則の確立である。力による現状変更が許されてはならない。第二に、民主化の推進である。全体主義の国々において、軍部や特定の勢力が国民の人権を蹂躙(じゅうりん)して暴走した結果戦争に突入した経緯を忘れてはならない。第三に、自由貿易体制である。大恐慌からブロック経済が構築され、国際貿易体制が崩壊したことが第2次世界大戦の要因となったことを踏まえ、20世紀後半の世界経済は、自由貿易体制の下で発展してきた。第四に、民族自決である。大国が力によって他国を支配していた20世紀前半の植民地支配の歴史は終わり、全ての国が平等の権利と誇りをもって国際秩序に参加する世界に生まれ変わった。第五に、これらの誕生間もない国々に対して支援を行い、経済発展を進めることである。貧困は紛争の原因となりやすいからである。このような平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援などは、いずれも20世紀前半の悲劇に学んだものであった。
この世界の歩みは、第2次世界大戦によって焦土と化した日本が、20世紀後半に国際社会の主要メンバーとして発展してきた歩みに重なる。日本は、20世紀の前半はまだ貧しい農業中心の国であり、産業と貿易によって富を築くという考えよりも、領土的膨張によって発展すべきだとする考えが、1930年代には支配的となってしまった。戦前の日本においては、政治システムにも問題があった。明治以来、アジアで初の民主主義国家として発展してきた日本であったが、明治憲法は多元的で統合困難な制度であって、総理大臣の指揮権は軍に及ばず、関東軍が暴発した時、政府はこれをコントロールする手段を持っていなかった。独善的な軍は、戦局が厳しくなるにつれ、国民に対する言論統制を強め、民主主義は機能不全に陥った。そして軍事力によって生存圏を確保しようとする日本に対し、国際的な制裁のシステムは弱く、国際社会は日本を止められなかった。
しかし、20世紀後半、日本は、先の大戦への痛切な反省に基づき、20世紀前半、特に1930年代から40年代前半の姿とは全く異なる国に生まれ変わった。平和、法の支配、自由民主主義、人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援などは、戦後の日本を特徴づけるものであり、それは戦後世界が戦前の悲劇から学んだものをもっともよく体現していると言ってよいのではないだろうか。
(注1) 複数の委員より、「侵略」と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。』
THANKS
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK190掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。