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「ユリイカ」2015年7月号(青土社)
今度は七尾旅人が安保法案に警鐘ならし炎上! 「アメリカのパシリになったら日本に愛情持てない」と言いきったアクティビストの真意とは
http://lite-ra.com/2015/08/post-1362.html
2015.08.06. リテラ
著名人がSNS上で政治的な発言をすると、「待ってました」とばかりにネトウヨから下品な暴言が押し寄せる最近の傾向は本当に不快極まりないが、先日当サイトで報じたSHELLY、星田英利(旧芸名:ほっしゃん。)に続き、またもや、あるミュージシャンがその被害にあった。
そのミュージシャンとは、シンガーソングライターの七尾旅人。1999年にファーストアルバム『雨に撃たえば…! disc2』を発表するや否や、石野卓球ら同業の音楽家が絶賛。以降、自身のソロ作をつくり続ける傍ら、大友良英、ZAZEN BOYS、坂田明、飴屋法水、川本真琴、小林幸子、Charaなど、ジャンルを問わない共演でも知られている。最近では、山下智久のアルバムに楽曲提供したことでも話題になった。
そんな彼が、7月24日、安保法案が強行に採決される現状に対し批判的なツイートを投稿。
〈日本がこのままずるずるとなしくずしに堕ちていってアメリカのパシリ武力や武器商人国家になったらもう愛情持てないから亡命します もっとはっきりと混乱した懸命に生きる国へと移住します そしてそこで自分なりの誇りを持って日本人を名乗りたい〉
この発言を皮切りに、ネトウヨが〈このまま出て行かなかったら、はよ出てけって一生言い続けたいところだけど、あまりに無名すぎてそこまで構ってあげる気はないから安心してwww〉〈売れないミュージシャンが炎上商法やってるアカウント会場はここですか?〉などと、一斉に攻撃を開始したのだ。
七尾旅人はその高い音楽性・芸術性から「MUSIC MAGAZINE」(ミュージック・マガジン)や「ユリイカ」(青土社)などで表紙・巻頭特集を組まれる音楽家であり、そんな彼を「無名」「売れないミューシャン」などと呼ぶのは、自分がいかに最先端カルチャーに疎い人間であるかを証明する発言でしかない。しかも、彼はネトウヨが考えているような「にわか安保反対論者」とはまったく違う。かなり前から積極的に社会的イシューに関わり、具体的行動を続けてきたミュージシャンなのだ。
そのひとつが、東日本大震災以降の活動だ。地震発生後、早々に義援金募集プロジェクト「DIY HEARTS」を立ち上げ、1000万円以上集めたその義援金を自ら被災地に届けるツアーも行なっている。
また、福島を定期的に訪問し、その時の経験から「圏内の歌」という楽曲も生まれた。この歌は、3.11以降多く生み出された反原発ソングのなかでも屈指の名曲として聴かれ続けている。
〈激しい雨屋根を濡らす 放射能が雨樋を伝って/庭を濡らす靴を濡らす あの子の野球ボールを濡らした〉
〈離れられない愛する町 生きてくことを決めたこの町/まるで何もなかったよに 微笑みをかわす桜の下〉
〈子供たちだけでもどこか遠くへ/逃がしたい/どこか遠くへ/逃がしたい〉
(「圏内の歌」歌詞より引用)
彼の東北訪問の動き出しは早く、長渕剛らと並んで最初にアクションを起こしたミュージシャンのひとりとして知られているが、その時の様子について「MUSIC MAGAZINE」2012年9月号でこう語っている。
〈震災直後の4月アタマくらいですかね、(タブラ奏者の)ユザーンと一緒に車で福島へ行ったんです。その時はまだ、スタンダードな情報が全然出ていなくて、放射線量ひとつにしても。行くこと自体がどうなのかっていうのもイマイチよくわからなかったんですけど。でも自分たちの東北のお客さんはどんな表情をしているのか、それを見たかったんでしょうね、僕もユザーンも。それでいわきのソニックっていうライブハウスがあって、そこで演奏できることになって。まだ20キロ圏内が封鎖されていなくて、圏内からもお客さんが来てくれたりして。みんなノッてくれて帰って行くんですけど、帰りしなに出口のところで、泣いてたりするんですよ。それもライブで感動して泣いてるっていうより、言葉にできないような、複雑な泣き顔なんですよね〉
七尾はその後も、定期的な福島通いを続けながら政治・社会的なイシューに関わっていく。その際に彼が大事にしていたのは、物事をスローガンのように単純化して言い表すのではなく、色々な人々の多様な意見に耳を傾けながら、“音楽”“芸術”にしか出来ないかたちで丁寧にメッセージを発信していくことだった。
〈政治とかジャーナリズムの言語だと、ロジカルであるための単純化を免れないし、微妙な立場の差異で即座に軋轢が生まれてくる。しかし、歌だと感情の綾やひだみたいな複雑なものを、複雑なまんま、とらえることができるんじゃないか。いろんなものがグシャグシャに一体化した微妙な感情を、音楽だったら再現できる〉
(「TV Bros.」東京ニュース通信社/12年8月18日号)
〈いまは上下左右どの層においても、単純化されたステートメントが人を引きつける時代で、震災後その傾向がさらに強まったと思っています。(中略)いま何かを言わなければいけないというふうに駆り立てられている部分があったと思いますが、だからといって「全部ウソだった、全部クソだった」で済まされると、音楽に携わる一人として焦るというか、恥ずかしい。その一言で何かが解決するわけでもなく、悪化するだけだし、そうやって日本で放たれる言葉がとても幼児化、退行しているということに強い違和感を覚えて、原発事故の二ヶ月後に「圏内の歌」をつくりました〉
〈もしシンプルに何かのステートメントで解決できるような問題であれば、歌とか音楽でやる必要はなくなってしまうんです〉
(「ユリイカ」15年7月号)
時折「アクティビスト」とすら呼ばれるほど、実際に行動をともなって社会的なイシューと関わり続けた結果、彼がたどり着いた結論は、“論理を単純化させない”“多様な意見に耳を傾ける”というものだった。この姿勢は、反対意見をもつ人々との議論にまともに応じず、一方的に自分の意見を通そうとする安倍政権に最も足りない要素でもある。
もっとも、そのような意見をもち、行動している七尾までが、自分の意見を述べただけで炎上してしまう。ただ、七尾はこの状況にもまったく怯むことなく、むしろ炎上をさらに挑発するような言葉すらツイートしている。
〈文脈や歴史は無視して自分の耳に引っかかる部分だけ脊髄反射的に受容する気質っていつ頃形成されたのか 記号が乱舞したバブル期か 世界宗教から都合の良い箇所だけつまみ食いした教義でカルト性を増していったオウムの頃 あるいはワンフレーズポリティクスで絶大な大衆人気を得た小泉政権の頃〉
〈さしたる脅威もなく他所の生き血を啜って肥えてきた国なのに いつのまにか強烈な被害者意識抱えて「無人爆撃機で誰も死なずに国家を守れる」とは片腹痛いってことよ 被害者意識だけで平和を想像出来るわけがない まともな音楽も作れない それなら俺は爆撃される場所に行くわ おやすみ〉
9.11後の世界情勢にインスピレーションを得てつくられた、07年発表の七尾のコンセプトアルバム『911 FANTASIA』には、〈知ってるかい? かつてこの星の中に一つだけ、戦争をしない国があったんじゃ〉〈そうじゃ。他でもないこのワシらの国、日本じゃ〉という、まるで2015年の状況を予見したかのような語りが収録されているが、“戦争をしない国”を“かつて”ではなく“これからも”維持していくために、正念場のいま、やれることはまだ残されている。
(井川健二)
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