安倍首相が発表する戦後70年の談話について、政府は閣議決定して8月14日に発表する方針だという。また例によって「侵略」や「お詫び」ばかり話題になっているが、そういう後ろ向きの話は、戦後50年談話で終わった話だ。
過去の戦争を謝罪するより大事なのは、未来の戦争を防ぐことだ。国会では、野党は日本が戦争を起こすリスクばかり問題にしているが、他国から攻撃されるリスクはどう考えているのか。憲法を守って世界平和を願っていれば、戦争は起こらないと思っているのか。
日本軍の最大の罪は中国に共産党政権をつくったこと
1995年8月15日に出された戦後50年談話(いわゆる村山談話)は、たまたま社会党の委員長が首相になった時期に、彼の特殊な歴史観を反映して出されたため、それまでの政府見解とはニュアンスの異なるものになっている。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
もちろんこの談話は閣議決定されたので、村山氏個人の気持ちを述べたわけではないが、「植民地支配と侵略をお詫びする」という表現は、従来の政府見解を超えるもので、自民党からは異論が出た。植民地支配について謝罪や賠償をした国はないからだ。
今回の首相談話についても有識者会議がつくられ、その座長代理である北岡伸一氏(国際大学学長)は「満州事変以降の戦争は侵略だ」と言ったが、最近は「おわびが足りないというのは日本のマスコミと韓国だけだ」と言っている。
中国は「歴史の直視」を求めているが、謝罪を求めているわけではない。1964年に社会党の佐々木委員長が訪中して毛沢東主席に謝罪したとき、毛は「謝る必要はない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。これのおかげで中国人民は権力を奪取できたのだ」と発言した。
日本軍は満州から南下して国民党軍と戦ったが、10年以上の消耗戦で国民党は弱体化した。もとは反政府ゲリラにすぎなかった中国共産党は、日中戦争を利用して国民党との内戦に勝ったのだ。日本がお詫びすべき最大の罪は、アジアに巨大な共産主義国家をつくったことである。
「侵略」はヨーロッパの既得権を守る言葉
侵略や植民地支配が悪だという考え方は、歴史的には新しいものだ。主権国家の概念ができたのは1648年のウェストファリア条約だが、このときは国家と国家の戦争は合法だった。しかし大小さまざまの国家が乱立していたので、その後も戦争が続き、19世紀初めのナポレオン戦争では全ヨーロッパが壊滅的な被害を受けた。
この戦争を終結させるために1814年に開かれたウィーン会議では、オーストリアの外相メッテルニッヒが、イギリス、オーストリア、プロイセン、ロシア、フランスの5カ国の協調関係を築き、大国の力の均衡で平和を維持するウィーン体制ができた。
このときも戦争は合法であり、侵略という概念もなかった。しかし19世紀後半、ビスマルクがドイツ帝国を統一し、独仏戦争などで周辺諸国に領土を拡大し始めると、ヨーロッパの力の均衡は崩れ、20世紀の第1次世界大戦に至る。
日本がアジアでやった戦争は、このときのドイツとよく似ている。第1次大戦には明確な目的があったわけではなく、ドイツが他国を一方的に侵略したわけでもない。偶発的な地域紛争がヨーロッパ全体に拡大しただけだが、結果的にはドイツが全責任を負わされ、ヴェルサイユ条約で過大な賠償を課せられた。
第1次大戦の反省から、アメリカのウィルソン大統領は軍事力の均衡ではなく国際協調で平和を実現する理想主義を実現する機関として国際連盟を提唱した。だが、肝心のアメリカ議会が連盟加入を批准しなかったため、機能しなかった。1928年には「国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、国策の手段として戦争を放棄する」という不戦条約が結ばれたが、これも1931年に日本が満州事変で公然と破ったため、空文化した。
侵略の厳密な定義はないが、不戦条約で他国の領土を侵犯する戦争は違法とされたので、日本が起こした満州事変や日中戦争は侵略と呼ばれる。しかし当時、ヨーロッパ諸国は軍事力でアジア・アフリカ諸国を植民地支配していたが、それは不戦条約の前なので侵略とは呼ばれない。
このように侵略とはヨーロッパの既得権を守る言葉だから、日中戦争が侵略と呼ばれ、イギリスのインド支配がそう呼ばれないのは、いわば路上駐車が禁止になってから駐車した車と、そういうルールがなかったとき駐車した車の違いのようなもので、前者だけが道徳的に悪いわけではない。
平和を守るのは平和主義ではなく「力の均衡」
ヨーロッパではこの500年以上ずっと戦争が続いており、20世紀後半以降の70年は、近世以降で最長の平和な期間だった。その原因は不戦条約や日本国憲法(その第1項は不戦条約と同じ)の平和主義ではなく、皮肉なことに核戦争によって史上最大になった戦争の破壊力だった。
ホッブズ以来の近代政治哲学が指摘するのは、戦争を抑止するのは死の恐怖だということだ。キリスト教徒は死んだら天国に行けると信じていたので、中世には宗教戦争が際限なく繰り返されたが、科学や産業の進歩で社会が世俗化してくると、人々は死を恐れるようになった。
第2次大戦までは戦争は兵士の行うものであり、その結果として政治家や資本家は領土を獲得できるので、彼らは戦争を好んだ。しかし核戦争では双方の全国民が殺されるので、この相互確証破壊による恐怖の均衡が、結果的には戦争を決定する者と戦場で殺される者の区別をなくし、戦争を抑止する力になった。
他方、通常戦争は多様化し、国家とゲリラやパルチザンの戦いが増えた。アルカイダや「イスラム国」のようなテロリストとの戦争には、ウェストファリア条約以来の戦争のルールがない。中国や北朝鮮のような独裁国家に対しても、こういうヨーロッパ的な抑止戦略は必ずしも有効ではない。
こういう非合理的な国を抑止するために必要なのは、現代の戦争はどちらの利益にもならないという価値観の共有である。北朝鮮は絶望的だが、中国や韓国とは(価値観が一致することはないとしても)協調の余地はあろう。
このような「ソフトパワー」も含めた力の均衡を東アジアで実現し、欧米との国際協調を実現することが日本の役割であり、この意味で日本の地政学的な重要性はかつてなく大きい。戦後70年を機に日本が考えるべきなのは、後ろ向きの「歴史問題」ではなく、このような21世紀の東アジアの秩序をいかに構築するかという問題である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44479