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終戦、そして原爆投下から70年をもうすぐ迎える。しかし、その影響はまだ続いている(※イメージ)
原爆の恐怖は続く 被爆者が安保法案に“切実な願い”〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150806-00000003-sasahi-soci
週刊朝日 2015年8月14日号より抜粋
終戦、そして原爆投下から70年をもうすぐ迎える。しかし、その影響はまだ続いている。
広島への原爆で父親を亡くした井原毅士生(きしお)さん(72)。井原さんは2歳で当時の記憶は一切ない。だが、2012年に亡くなった実姉の遺品整理をしている際、姉が原爆について書いた手記を見つけた。
「私と姉と母は広島市矢賀にある親戚の家に疎開していたそうです。廊下で遊んでいたときに『ピカー』と何とも言えぬ光が空に広がり、まもなく『ドーン』という音が聞こえ廊下の隅で親子3人で抱き合っていたそうです」(井原さん)
母親はその後、毎日、父の安否を尋ねまわったという。だが、しばらくして父の友人から、父の部隊は全滅と聞き、母は玄関先に倒れ、夕刻近くまで泣いていたという。
その母親は病気を患い、1990年の8月6日に旅立った。
「父の命日に逝くとは不思議なものだなと思いましたよ。父を亡くした後、母は保母の資格を取って私たちを育ててくれました。原爆後、瀬戸内海の小さな町に引っ越しました。当時は『原爆にあった人が来ているようだ』などと、近所でうわさされることもあったようですね」(井原さん)
井原さんは戦後65年目に胃がんを発症。原爆症の認定を受けた。
「記憶にもない原爆の影響が、65年目でも出るのです。『戦後』はまだまだ続いていることを実感しています」(井原さん)
広島で母と妹とともに被爆した亘幸男さん(74)は、当時の様子をほとんど覚えていない。だが、亘さんは1年ほど、原爆のトラウマを抱えていたようだ。
「飛行機が飛来すると、私は家の中に飛び込み、『怖い、怖い』と泣いていたそうです。火事が発生すると、その火の手を見ただけで、『熱い、熱い』と、これまた泣いたそうです。家族で原爆の話はほとんどしませんでした。今となっては、もっと当時の様子を聞いておけばよかった」
戦後70年の今夏、安倍政権は安全保障関連法案の成立を目指している。亘さんには切実な願いがある。
「この70年間、戦争に巻き込まれなかったが、戦争に遭遇してもおかしくない状況をつくろうとしているように思います。罪のない市民が巻き込まれる原爆投下、戦争を二度と起こしてほしくない。被爆者のひとりとして強く訴えたい」
この思い、国会に届いているだろうか。
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